2004/11/13(土)「これで世界が平和になる……ワケありません。」
先日亡くなったムハンマド・アブドゥッラウフ・アル=クドゥワ・アル=フサイニー、またの名をアブー・アンマル、通称ヤーセル・アラファート、彼は私にとっては、子供の頃からなじみの顔でした。もちろん知り合いじゃないんですが、子供心に「どうしてこの人はただの議長なのに大統領みたいなんだろう。」なんて思ってましたよ。小学生が知ってる「ギチョー」は、クラスの話し合いの司会進行みたいなものでしたから。
それに似たのでは、どうしてブレジネフは一番偉いのに「書記長」なんだろうとか、そういう不思議なことは昔はありました。
それにしても彼がアラブ人だということ、いまでも信じられません。なんというか、ちょっと違いましたよね。あの独特の風貌。
彼が死んで、その人となりを紹介する記事を読みながら、私が気になっていたことはふたつ。彼が頭に巻いているカフィーヤがいつも同じ模様であること、そして、彼はどんな髪型をしていたのか、という、恐ろしく低次元のことでした。
○ッシュさんとか、シャ○ンさんとか、そういう人たちから見れば、通称アラファート氏は「テロリスト」なんでしょうが、私から見れば、自分たちの民族意識に突き動かされた「ゲリラ指導者」です。そしてこの「ゲリラ指導者」が方針を改めて90年代初頭に穏健路線に転換したことは評価されるべきです。そこには行き着く先としての政治決断があります。
イスラーム主義者、あるいは「イスラム原理主義者」が、中東・西アジア情勢のカギを握るかのように喧伝されていますけれど、実際にはイスラーム主義が政治的になったのではなくて、政治がイスラーム主義を生んだ、というのが昨今の正しい理解の仕方です。そうなると、アラファート氏は、最後までムスリムとして戦うのではなく、パレスチナ人として戦ったのだといえるでしょうか。だからなおさら、晩年の彼に、時代に取り残された哀愁がつきまとうのです。
彼の妻はキリスト教徒だそうですが、それもある意味では政治的な決断といえるでしょう。その妻による、夫の死亡時間の完全掌握もまた、政治的なものです。考えてみれば、アラファート氏ほど、本人が死ぬ前から埋葬地についての話題がメディアをにぎわせた人間はいなかったと言えます。彼の死が、単なる「個人の死」を越えた何かであるのは明らかです。「死」までもが政治的なのは仕方ありません。
ところで、時代は完全に政治よりも「武力」に傾いています。あるいはもっと根源的に「暴力」に満ちているといいかえても良いかもしれません。暴力が問題を解決できるのはダイハードとか、ダーティーハリーとか、必殺仕事人とかの世界であって、実際にはそんなモノはそれほど役に立たない。べつに「元暴力信仰者」であったアラファートを崇拝するワケじゃありませんけれど、エアフォースワンに乗って世界を旅する2期目の米軍最高司令官殿(俗称"Dubya"氏)は、アラファートの「弱腰」をちゃんと学ぶべきじゃないでしょうか?
2004/11/8(月) 「生徒が不良品か、学校が欠陥品か。」
福井県の副知事が「不登校児は不良品だ」と発言した件で、当の副知事氏が陳謝したというニュース。世間では「生徒をモノ扱いしている」「人権侵害も甚だしい」と批判されているようですが、この発言、ある意味で核心をついているかもしれません。
「不良品」がいるってことは、「良品」があるということですね。この場合は、決められた時間にきちっと登校して、きちんと授業をこなし、きちんと単位を取って卒業してゆく生徒のことです。
考えてしまうのは、それが本当に「良」なのかってことです。教師としての立場からいえば、休まず通って、勉強にいそしんでくれる生徒はたしかに「良い生徒=扱いやすい生徒」ではあります。でもそれは一面的な見方でしかないわけで、良品は良品でも、単位回収ロボットとしての良品でしかない可能性だってあるわけです。
福井県副知事さんは経済界から転身した方だそうですが、そういうバックグラウンドを持つ人が、現代の学校教育を「規格品製造ライン」としてとらえてしまったとしても、それが学校教育システムそのものの「欠陥」である気がしてなりません。
2004/11/5(金)「半分をちょっと超えても『過半数』です。」
私はこれまでいろんな投票行為をしてきましたが、私が票を投じた候補者で当選した人は一人しかいません。私が投票するとまず落選しますから、候補者の皆さん、私に「お願いします」の声をかけるのはやめたほうがいいいですよ。
あ、候補者との一体感を感じたこともないので、よしんば当選したとしてもそれほどうれしくはないんですが。
アメリカの大統領選は結局ブッシュが僅差で勝利した、ということになったようです。私はいろんな波乱を期待してケリーの当選に期待をかけていましたが、かといってケリーが何をやってくれるのか知っているわけでもありません。ただ、ケリーがアメリカの政策を転換させれば、当然日本の政権にもいろんな刺激がびしばし来るだろう、というところを楽しみにしていたのです。うーん、つまらん。
もっとも人間の心理には「現状維持を望む機制」というのがありますから、これでひとまず、面倒な論争抜きでこのままやっていけるというのは、たとえば財界などにとっては良い材料でしょうね。
でも、911はブッシュ政権がFBIなんかの情報を軽視したから現実化したんですよ。その責任をないがしろにして、アフガンやイラクの一般人を死に至らしめてしまったことを、かれはどう考えているのでしょうか。牧場で馬を乗り回したり、プレッツェルを喉に詰まらせたりしている場合じゃないんですけどね。
それにしても、アメリカの大統領選挙の仕組み、なんとかならないんでしょうか。得票比率に応じて選挙人数を割り振るような仕組みを採れないもんですかね。そうすればもっと有権者個人の意向を反映した「民主的」な選挙になると思うんですが。せっかく多数決やってるんだしさ。
2004/11/3(水)「動悸が、止まりません。」
イラクで人質となって殺害された香田さん。
この一件では、どうしても国家と個人の関係のあり方について考えてしまいます。私たちはふだん、税金を払うとか、パスポートを使用するとか、そういうところで国家との関係を確認しています。そして戦争の時にはなおさらそのことが問題になります。
もし自分が徴兵されたら? 国家のために命を捨てよといわれたら? 戦場に出て、そこでたとえば私が、敵国人の首をはねたとしましょう。それは私個人が殺したことになるのでしょうか? それとも国が殺したことになるのでしょうか?
イラクで日本人が犠牲になるのは、日本が直接戦争をしているわけではないがゆえに、なおさら理不尽に感じる度合いが強くなります。日本大使館員が殺害されたときには、彼らが外交官であったがゆえに、その葬儀を国家事業とすることで、彼らの死は国家的物語のなかに吸収されてしまいました。公式にも彼ら外交官は国家という得体の知れない存在の、はっきり形のある最前線の人間です。だからイラクで死んでしまったことも「殉職」として処理することができました。
ジャーナリスト2名が殺害されたときには、彼らの勇気ある行動が称えられ、橋田さんが面倒を見ていたイラク人少年を日本に招いて治療するという前向きな解決が図られました。
でも、これらの例では、こうした物語化を施すことで、かえって国家と個人の関係について考える機会を逸したように思うのです。
香田さんが48時間の恐怖と絶望の末に無言のまま殺害されたことで、日本政府は国家と個人の関係について考え直してくれるでしょうか? 国家は邦人を保護する義務がある、だが国家的事業である(そして国際協調のための「貢献」である)自衛隊派遣は絶対にやめない。これが小泉政権のスタンスです。そして結果として、国家事業は個人の生存権に勝ったのです。
もちろん、まず何よりも香田さんを殺したなにものかを非難すべきです。しかしここでも、私は、直接手を下したムスリムの男たちを非難すべきなのか、それともイラク聖戦アルカイダ組織を非難すべきなのか、それとも残虐行為自体を非難すべきなのか、あるいは犯行に関わったすべてを呪うべきなのか迷います。
おことわり:この文章は、11/3に公表したものを、4日に書き改めました。本来なら、一度公表したものの大幅な改正は好ましくないのですが、内容に関して思うところがあり、前半部分を大幅に削除しました。御了承ください。
2004/10/31(日) 「大臣には資質は関係ありません。」
南野(のおの、と読むらしい)法務大臣の一連の珍プレー騒動もひとまず沈静化したようですが、私はこの人がこうなることははじめから分かってました。大臣就任から二日ほどして、NHKの新大臣直撃インタビューで、このオカンはなんだか頓珍漢なことを言っていたのです。いまはっきり思い出せないんですが、たしか「看護の精神で法務大臣を務めたい」と言ったような・・・。
だけど死刑制度を撤廃するつもりもないようです。看護の精神で受刑者の生殺与奪を握るってことなんでしょうか???
この人、例の優生保護法が「母体保護法」などというアヤシイ法律に名前を変えたとき大きな役割を演じた人だそうですが、DV防止とか、集団強姦罪の成立を目指すとか、いろいろやってます。
本人曰く「初心者」。まったく持って法律のド素人。ですが、派閥順送りとか、総理の意向とか、そういうので大臣は決まるんですよね。「著しく資質に欠ける」なんて批判、ぜーんぜん意味ありませーん。
2004/10/26(火)「来年の楽しみが、またひとつ。」
落合監督率いる中日ドラゴンズは、よく戦いました。今年のチームはなんとも地味でしたが、地味であるがゆえに、試合運びの豊かさを満喫できる、そんなチームでした。来年も野球の醍醐味を見せてほしいものです。ごくろうさまでした。
それにしても、最近のBBBは野球ばっかりですね。
2004/10/20(水)「ITもスポ根頼り」
楽天、ライブドア、ソフトバンク。それぞれがプロ野球に金を出すといっています。理由は野球への情熱だとか、宣伝だとか、ライバル社への対抗心だとか、いろいろあるようですけど。
これらIT企業に金がうなるほどあるというのは、まあいいでしょう。でもこうした会社は、インターネットというサイバーな空間で生きているのであって、汗と涙と砂埃にまみれたプロ野球に金を出すことで顧客を増やすというのは、なんともおかしいですわ。
ソフトを売るのにも、まずハードで攻めるってあたりが、なんかヘン。
野球チーム(とくにパリーグ)はどこも経営にアップアップですから、このさいお金のある会社はどんどん球団を作りましょう。日本たばことか、再春館製薬とか、トヨタとか、そういうところが球団を作ったら、いったいどうなるかと思うと、ちょっとうんざりだけどさ。
2004/10/11(月) 「落合監督、済みませんでした!」
皆さんご存じのように、私は中日ドラゴンズのファンです。その中日が今季、ぶっっちぎりの優勝。広島に負けた日に、ヤクルトが負けて優勝が決まったから胴上げ、という締まらない展開も、この際ゆるします。中日らしいです。
落合監督、済みませんでした。なにせ私は、昨シーズン終了時に山田監督の解任が決まり、あなたに白羽の矢が立ったときに、心の中では大反対だったのです。落合は理論派のヒッターだけれど監督には向かない、絶対にうまくいかない、こう言い切っていました。それがどうですか。あなたの采配と、地道に得点を稼ぐポリシーには、いつも脱帽させられっぱなしでした。かつて「恐竜打線」といわれた猛打中日を、適材適所でこつこつ稼ぐチームに作り替えたあなたは、チームのディレクターとしては一級です。
それにしても、今季の中日の試合はどれも面白かったですね。次から次へといろんな選手を送り出しては、チーム全体がひとつの生き物のように動く。負けるときにはちゃんと理由があって負ける。バントやら、盗塁やらでひとつずつ塁を進めていく試合運びは、まるで少年野球のようでした。
そういえば、中日とイチローの最多安打記録更新のニュースがつづいた頃、野球のボールの話題も重なりましたね。中日の場合は、ナゴヤドームでの主催試合では、相手チームのホームランを抑制するために「飛ばないボール」を使っていたとか、イチローの打順ではシリアルナンバーの入った特製のボールを使っていたとか。
2004/10/1(金) 「お世話になりました。」
引っ越しです。箱詰め作業の仕上げは、業者さんがきてからやることにしました。一日だけ、荷造りのお手伝いさんに来てもらったのですが、さすがはプロ。テキパキという言葉は、彼女のためにあるのだと思いました。
両隣への挨拶もすませ、電気・水道・ガス・郵便の連絡もこなし、市役所に転出届を出し、大量に発生したゴミを袋に詰め、そして冷蔵庫のスイッチを切る。もはや、寂しいだの悲しいだの言ってる場合ではないんですが、単純作業って、やってると結構アタマが働いちゃうんですよね。何を考えたかは、そのうちtalkにでも書きます。
いまはただ、3年間住んだこの家にお礼を言いたいです。「お世話になりました。」
2004/9/19(日) 「古い商品のことなんか知ったことではないのなら、はっきりそう言ったらどうですか?」
黒板に書ききれないかと思いました。今回は今までで一番長い落書きですね。
引っ越しをひかえて、いらないものを処分しようとしています。燃える粗大ゴミは市のクリーンセンター(ガベッジ・センターっていったらいいのに)に運ぶとして、電化製品はメーカーに問い合わせなければなりません。
まず10年前に買った某E社のパソコン。メーカーの回収センターに電話し、趣旨を伝えると「それでは回収センターの番号をお伝えします。0120-xxxxxxxです」って、それ、私がいま電話している番号なんですよと言うと、「あ、あ、そうですね(明らかに先方焦ってる)、はい、こちら回収センターです」(って、じゃあ、さっきまではなんだったのだ?)。なんでも、振り込み用紙がうちに送られ、それを使って費用を振り込み、一週間から10日すると、伝票が郵送されてくるので、それをパソコンを入れた箱に貼付して郵便局に持ち込むのだとか(←この説明で分かりますか? 私は2回聞いてやっと分かりました)。
ついでに言えばこのメーカー、「こちらで商品をご購入になれば無料で回収しますよ」ともおっしゃいました。もちろんウィンドウズを走らせるパソコンは欲しくないので、きっぱり断りました。
某R社製の電子ピアノ。逗子市のパンフレットによると「電子オルガン」を750円で処理するとあるので、例の「クリーンセンター」に電話しました。「あのー、電子ピアノも電子オルガンと同じなんですか?」と問い合わせると、電話口の女性は、「え、えっと、それってエレピアンのことですか?」。「エレピアン」はデノン製電子ピアノの商品名であって、電子ピアノの一般名称ではないんですけど・・・ま、それはいいとして。その方はしばらく向こう側でひそひそ相談した後で、「電子ピアノは処理困難物なのでメーカーに問い合わせてください」と回答してきました。
で、某R社。まずはサービスセンターに電話すると、若い女性が出て「うちはサービスセンターなんで、処理はやってないんですよねー」なんて言ってる。そのかわり、出入りの運送業者に委託しているので、そちらの番号を教えてくださいました。対応は概して丁寧。横浜にあるという運送業者に電話すると、これまた女性の担当者がでて(どうして、電話にでるのは女ばっかりなんだ?)、「処理代行費用が9000円、運送料が2万1000円になります」とご回答くださいました。しめて3万円(+消費税)! いらないピアノをリサイクルに回すのに、なんで消費税がかかるんだ!?
パソコンメーカーEの電話番は、自分が回収センターであることを自覚しておらず、楽器メーカーRは自分でやらない代わりに運送業者に仕事をくれてやっていると、こういうワケなんですか? 裏事情は知りませんが、いまのところこう言ってやりたいわけです。「古い商品のことなんか知ったことでないのなら、はっきりそう言ったらどうですか」と。
2004/9/15(水) 「謝っても、許されません。」
大阪で小学生を殺害した宅間守の刑が執行されたそうです。彼の生い立ちとか、家庭環境とか、いろいろと同情しないわけではありませんが、でもやったことに対してはケリをつけなければならなかったのに違いはありません。彼自身が死刑を望んでいる以上、やってしまったことの重みと比較してあの量刑は仕方なかったと思いますが、しかし、死刑が執行されたとて、「償い」の重みまでは伴っていないと思うのは私だけでしょうか?
理由は二つあります。ひとつは、宅間守自身が死刑を望んでいたこと。罪人が望む通りすることで、司法が利用されたという感じがします。
ふたつ目は、遺族が最後まで謝罪を求めたのに、宅間守がそれに応じなかったこと。伝えられるところでは、宅間自身も被害者に同情する気持ちがなかったわけではないようですけれど。
被害者と遺族の望みは、宅間が謝ることと、その上での死刑執行だったと聞きます。謝っても許されるわけではない、だけど謝らせたい、そんな遺族の心情に同情するとともに、どうしてもスッキリしない何かが心に残ります。
とどのつまり、この事件は「8名が命を落とした殺人事件」という客観的な事実だけでは処理できない、心情的なものが比重を占めてしまったのです。そして「遺族の願い」がマスメディアを通じて伝えられることで、「復讐劇としての裁判」がクロースアップされてしまった。それは「司法」を越えた「私法」の領域に足を踏み入れていることになりはしませんか?
2004/9/12(日)「ため息」
最近、ふとした瞬間にため息をついている自分を発見します。またある時には、目が宙をさまよい、どこにも焦点を合わせていない自分に気がついたり。心に重くのしかかるものの正体を突き止めるべく、思考の泥沼にはまりこむ毎日。
2004/9/6(月) 「ブラック・ウィドウを利用しないでください」
北オセチアで起きた学校立てこもり事件。入学式を襲った自爆、立てこもり、銃撃戦も衝撃的なら、死者300名以上というのもあまりにひどい。
こうしたテロ(その多くはチェチェンがらみだといわれる)で取り上げられるのが、犯行グループの中に必ずいるといわれるブラック・ウィドウの存在。ロシア軍の攻撃で夫や息子を殺された女性がテロ集団に参加して、そして自爆の部分を引き受けるのだとか。
テロ集団はあきらかに、「未だ亡くならざる者」としての女性を利用しています。あるいはその社会の中のジェンダーを悪用しているともいえるかもしれません。
こうした女性たちに「ブラック・ウィドウ」という名称を与えてしまうことに、疑念を覚えます。なぜならこうしたラベリングと分類は、そのあり方を価値観の中の「しかるべき位置」に位置づけてしまうからです。まっくろい化粧をした女たちに「ヤマンバ」という名称を与えたことで、彼女たちに明確な「ヤマンバ・アイデンティティ」を与えてしまったように。
2004/8/31(火) 「答案用紙に再生紙は使ってほしくないです。」
匿名で行きますよ! A大っ! 試験の答案用紙に再生紙を使わないでください! いま、私はとっっっってもイラついています! 別に環境に優しくするなとは言いません! でも500枚もの答案用紙を再生紙で受け取る身にもなってください!
B4版再生紙の何が嫌かって、あの「腰のなさ」。ピッと伸びず、すぐにくねくねよじれるあの軟弱さ。いいことだとは思いますよ、再生紙を積極的に使うのは。でもね・・・答案を受け取った私は、まずこれを採点します。つぎに、学部も学科も順番バラバラの答案を並べ直します。センセイはこういうのを自分でやらなきゃならないんです。
この並べ替え(=分類)がとっっっっても大変! 腰がなく、手になじまない再生紙が相手では、作業効率はいっこうに上がらず、イライラ感と不全感だけがつのります。
お願いですから、答案が百枚以上になるクラスには、普通紙で答案用紙を印刷してあげてください。
私はもう金輪際勘弁です。あー、イラつく〜(怒)
2004/8/29(日) 「ラロンベと読んでください。」
最近、名刺を配る機会が増えて、その度に聞かれる質問ふたつに答えます。
Q:「lalombe」って、なんて読むんですか?
A:「ラロンベ」と読んでください。
Q:「lalombe」って何ですか?
A:私のバンナ名です。
この名前の由来は、けっこうあちこちで説明したつもりだったんですが、まだ周知が足りませんでしたね。名刺のおかげで、アクセスしてくれるひとが増えたのはうれしいかぎりです。
2004/8/25(水) 「おカネを握りしめて、ABCに走れ!」
いったんは経営破綻したABCこと青山ブックセンターが、9月末に営業再開するそうです。じつにうれしいニュースです。
学生時代、本はだいたい古書店で買っていました。新刊書店で買うのは、古本では手に入らない本とか、出たばかりの本とか、そういうのだけでした。おカネがなくて買えなかった本もたくさんあります。
いま、仕事をするようになって、比較的おカネが自由になったら、本もCDもDVDも、買いたいものはだいたい買えます。でも、買わなくても本屋をうろうろするのは本当に楽しい。だって、自分の知らない世界があれだけ凝縮している空間って、図書館か本屋くらいなものですよ。
青山ブックセンターは、そういう「うろうろ」する楽しみを味わえる無二の書店でした。紀伊国屋みたいに通路が狭くない、といったようなアメニティの要素も大きいのです。青学で授業をした後、ABCに立ち寄って1時間、2時間。そしていつも何万円もの本を買ってしまいます。帰り道に重たい思いをするのが分かっているのに、そして同じ本をアマゾンで注文すれば宅配もしてもらえるのに、ABCで買ってしまうわたし。
青学生のみなさん、営業再開したら、おカネを握りしめてABCに走りましょう。正門前にあんな立派な書店があるのにほったらかしにするなんて、考えられません。もしまたABCがつぶれたら、それは身近な書店を大事にしない青学生の恥だと思いなさい。
2004/8/21(土) 「男子高校生に席を譲ってあげてください」
ちょっと前の話ですが。
小田急江ノ島線のC駅から乗ってきた、××高校の男の子10人くらいが、ジュースの缶を手に、乗車するなり床に座り込みました。
彼らは不作法である、と年輩の方はいうでしょう。私もそう思いますが、それは私がだんだん「年輩」に近づいている証拠です。しかし「不作法」は、合理的根拠のない「作法」を前提としています。「なんで床に座っちゃいけねぇんだョ!」
駅や町の階段で座り込み、幅半分も占拠して通行者の流れを遮断している彼らを、「迷惑だ」と切り捨てる人もいます。私もそうですが、でも彼らはある意味でなんらかの機能を果たしているはずです。
目的論的に解釈すれば、彼らの「占拠行動」は人の流れの調整です。ちょうどコンデンサーみたいなものです。それを「迷惑」だと思うのは、「流れがスムーズな方がいいに決まっている」という前提を自明視しているからです。
高校生たちには、みんなで席を譲ってあげましょう。
「汚い床に、他人の迷惑になってまで座るなんて、それほど疲れているんでしょう。どうぞお座りください。」
しかし、これ、極端な相対主義だな。
2004/8/13(金) 「よろしくなんて、してあげないもんね」
8月の半ばに入って、ようやく前期試験の採点に着手できるようになりました。集中力がないもので、何日かかるやら・・・
ところで、答案の最後にいろいろ書いてくるヤツがいます。ほとんど真っ白な答案の末尾に、「後期はもっと頑張りますので、よろしくおねがいします。」って、あなた、もっとって何ですか? 真っ白な答案も頑張った成果だと???
「卒業がかかっています。よろしくおねがいします」ってのもあります。お願いされても困りますわ。そりゃ無事卒業してくれたらいいだろうとは思いますけど、テストの答案の末尾に「よろしく」っていわれてもよぉ・・・これって、要するに「できは悪いですが、どうか目をつむってください」ってことでしょ?
それって私に職務放棄しろってことだし、それがまかり通るなら、たった数日の貴重な夏休みを採点でつぶしたりしませんよ。人の仕事をなんだと思っているのだ、こらっ!
ちなみに、こういう学生さんは、メールアドレスを答案に書いてきたりします。これって、「点数が足りなかったら、何でもしますからメールで連絡ください」っていう伝言ですよね。アドレス宛に恫喝メール送ってやろうかと思いましたが、やめます。
2004/8/8(日) 「おいしいビールを飲もう」
私はビールが大好きです。一人で東京を出歩いていて、時間があれば渋谷のビール・バーにはいって白ビールのヒューガルテンや、ギネスやペールエールなんかのドラフトを何パイントも空けてしまいます。
しかし夏といえば、私の定番は「ハイネケン・ダーク」。7年くらい前までは日本でも缶のものが売られていて、24本入りを何箱も買い込んでました。いまでは缶はありませんが、こころある酒屋さんが瓶のものを通販で売っています。
ハイネケンダークがなければ私の夏ははじまりません。関心のある方はビア・カフェ・ウエダさんのページをご覧あれ。 →http://www.alulu.com/kgwing/index.html
2004/7/28(水) 「追悼 中島らも」
先ほど飛び込んできたニュース。中島らもさんが亡くなりました。階段で転んで病院に運ばれたことは新聞の片隅で知ってましたが、まさか死んでしまうとは。
友人に勧められた『今夜、すべてのバーで』、人類学者(とくにアフリカニスト)のあいだで話題になった『ガダラの豚』、合法薬物体験記『アマニタ・パンセリナ』・・・私はこれくらいしか読んでいませんが、でも残念なことには違いありません。
あ、あと、朝日新聞の「明るい悩み相談室」はすごかったですね。大麻でパクられて、判決が出て、拘置所から出たときの第一声が、「誰か煙草お持ちじゃないですか」だったってのが面白かったですね。ちなみに煙草をくれたのは、拘置所口で待ち構えていたフライデーの記者だったそうです。
2004/7/24(土) 「率先して物事に取り組んだりしません」
使える人材は、「率先して物事に取り組む」んだそうです。自分からアクションをおこすってのは、好評価につながるとか。んな、バカな。
私がこれまでの経験から得た教訓は「率先して物事をやるべからず」です。
たとえば「率先して原稿を書く」。これは絶対に損です。イの一番に原稿を書き上げても、ほかの人たちが書かなければ本は出版されません。提出したけどほかの人たちが全然書かないので、結局日の目をみなかった原稿があります。
一番か二番で書き上げたのに、編集方針の変更から、結局書き直しを余儀なくされる原稿があります。これなど、重い腰を上げずに、後から書き出す人の方が有利だったわけです。
率先して提出して、私がゲラの校正まで済ませてから、やおら「あの本、何枚書くんだっけ?」とうちに電話してきた人もいます。(まだ書き始めてもいなかったらしい!) 結局、バカをみるのは、「率先してやった人間」です。
プロジェクト・リーダーみたいなのも、できればやりたくない仕事ですね。リーダーとは名ばかりで、結局は世話役だったり連絡係だったり。世話役がどんなに頑張っても、ほかの人たちが「任せきり」的態度だったりすると、じつにむなしい。こちらからたくさんメールを送ったり、なんども電話したり、会議の招集をかけたりすることはあっても、向こうさんから「率先」して連絡してきてくれることなんかありゃしませんって。
「率先してやる人」は損します。むなしいだけです。
もっとも、「むなしい」なんて思わない人には、「愛」があります。私にはないのかもしれません・・・「愛」
2004/7/19(月) 「勤め人だけがイイ思いをするような社会を変えようなんて考えるバカな役人はいません。」
今年の国民健康保険の振り込み用紙が逗子市役所から届けられました。目もくらむような数字が並んでます。毎月2万7千円。昨年払っていた金額の、ほぼ1万円増しです。
住民税については、聞いた瞬間にクラっと来てしまったのではっきり覚えていませんが、昨年のほぼ倍額だったと記憶します。これは逗子市が、前年度の年収に対する課税率を高く設定しているからだと考えられます。
しゃかりきになって仕事して、収入が増えれば税金も保険料も上がるのは当たり前です。じゃあ、私がそんなに高給取りかというと、同じ年齢の会社員の平均と同じくらいでしょう。大学専任教員と比べれば、彼らの3倍以上のコマ数をこなして、やっと月給が肩を並べるかといった感じです。しかも私が諸大学から得ている報酬は、収入全体の3分の1にもならない。私の主たる稼ぎは民間の企業から得ているものです。非常勤講師なんて、大学にとってはしょせんは「穴埋めのバイト」扱いですから。
日本という国で生活するのには、支配者の考えるスタンダードな国民像に合わせるのがベストです。つまり会社員か公務員の夫に専業主婦の妻がいて、何人かの子供がいるという世帯を築いていれば税金も健康保険も安く済みます。
会社員か公務員であれば、年金も、税金も、そして健康保険も、個人負担は低く抑えられます。逆に、どこにも所属しないフリーの仕事人は「無所属の野良」として国家の反感を買い、国民健康保険料をふんだくられたり、国民年金13300円を完全自己負担させられたりします。おまけに私のようにシングルだと、ナントカ控除が一切ありませんから、またもや不利になります。
いやはや日本の行政システムは、大人を片っ端から不自由な結婚生活に追いやって、子供を作らせて、そして専業主婦を大量生産することを目指しているようです。
自分が近々そういう「優遇された勤め人」に成り果てようとするからこそ、なおさら腹が立つわけです。(今回はワケわかんない愚痴ですいません、、、)
2004/7/14(水) 「バレエ・カンパニーに一票」
私の愛弟子Yがまたもや映画の宣伝をしています。今度はロバート・アルトマン監督の「バレエ・カンパニー」。渋谷Bunkamuraル・シネマおよび日比谷シャンテ・シネにて7月24日(土)より公開です。
Yahoo!映画のトップページ右側の投票欄でもみなさんの清き一票を投じていただけると幸いです。
なお、次にひかえるのはチェ・ゲバラの青春旅行記「モーターサイクル・ダイアリーズ」です。こちらは10月公開。これも楽しみ。
2004/7/12(月) 「ウィルスとの共存をはかりません。」
連日のような虫付きメール、ウィルスメールの到来。友人のアドレスを騙ったウィルスメールは、しかし当の友人のパソコンが侵されているわけではないので、対処のしようもなく。
生物学の常識(?)では、進化したウィルスや寄生虫は、宿主の命を絶たないように絶妙なサバイバル術を身につけているそうですが(だから宿主を死なせてしまうHIVはまだ未熟なウィルスなのだと、どこかで読みました)、こうも怪しいメールがつぎつぎと飛び交うようだと、そのうちインターネット空間のトラフィックがパンクして死んでしまうんじゃないかと心配になります。
みなさん、ウィルスはきちんと駆除しましょうね。
2004/7/4(日) 「忙しさを言い訳にしません。」
いくつかの学校での講義が終了したものの、いまだ忙しい毎日が続いております。先週は風邪をひいてしまい喉がガラガラの状態でしたが、毎日授業をしていると、喉を休める暇(いとま)もありませぬ。
急遽、九州への日帰り出張もありましたし(朝一番の飛行機で出て、用事を済ませて夕方に羽田に着き、夜には授業をしていた・・・)
少し時間的に余裕ができたといっても、週の授業時間はトータルで1270分(21時間弱)、90分授業に換算すると14コマに相当します。会議とか営業とかに縛られない身分であることを考えると、これくらいの仕事量は当たり前かもしれませんが、しかし実際には、授業の準備と後処理、それにかなり負担になる移動時間(1日平均2時間)がありますから、自由に使える時間はほとんどありません。
それに、使える時間があっても、炊事・洗濯・掃除・アイロンがけなどをやっていれば、あっという間に消えてしまいます。
まとまった時間はお盆休みまで取れませんが、じつはいま〆切寸前の原稿がふたつ控えています。以前と違ってのんびりじっくり原稿を書いている暇はありません。にも関わらず、どちらかといえば、私はわりと早めに原稿を提出する方です。忙しさを言い訳にしたくはないんです。
とか何とかいっていながら、「忙しい」を連発するヒトと対峙すると、「オレと比べたらぜんぜん暇じゃねーか」なんーて、心の中で毒づいている私です。「忙しさ」って、ほかと比較できるようなものではないんですけどね。
2004/6/28(月) 「更新を、滞らせません」
このウェブサイトを試験的にはじめたのが2003年9月だから、もう10ヶ月たつわけですが、こうしてトップページを見てみると、結構思いつきでいろいろ始めちゃったなあと反省することしきりであります。
一番最初に作ったのがプロファイルとワークスとトーク。それからLife in Bannaのページに没頭して、ついでにほかの写真のページを作って、といった感じですすめていったのですが、バンナ語とNotesのところは、完全に更新が滞っています。
バンナ語のページは、自分の中のバンナ語をもう一度整理し直すことをしないといけないので、いまはちょっと時間がありません。藤岡弘探検隊のところは、すくなくともあと2回は書かないと完結しないのですが、これまた時間不足で、前回からすでに3ヶ月がたとうとしています。これは夏にはなんとか終わらせます。
結局定期的に更新できているのはトークとこのBBB、そして連絡のページだけ。
ここ数週間、ひどい精神状態の中にあるので、とくにTalkのところは誰が見ても分かる陰鬱な雰囲気を醸しております。インターネット上での発言は、編集者のようなチェック役がいないので、思いつきがそのまま公開されていまいます。これはある意味で強みですが、しかし「弱み」の側面のほうが大きいですわな。だからたぶん、このさき数回分のTalkもかなりドロドロしたものになるでしょうが、まあ、仕方ありません。
ということで、かつてないほど焦点のさだまらないブラックボードとなりました。ごめん!
2004/6/15(火) 「講師なんです。」
玉川大学には自動車を運転して行くことが多いのですが、毎回、門番のおじさんと暗闘を繰りひろげる事態になっています。わたしが門にクルマを入れます。おじさんは毎週のように聞きます。
「はい、何の御用でしょう?」
「講師なんですが。」
「あ、はいはい」と答えておじさんは、「業者」と書かれた許可証をくれます。
「あの、文学部の講師なんですが…」
「あ、コーシの方でしたか。コージ(工事)かと思いました。」
「……」
「コーシ」では発音が通じにくいと感じたわたしは、別の手を使うことに決めました。
「はい、何の御用でしょう?」
(そろそろ顔くらい覚えて欲しいよな)などと思いながらも、わたしは答えます。
「文学部のキョーインです。」
おじさんが持ってきたのは「配送」と書かれた許可証です。
「あの、文学部の教員なんですが…」
「あ、そうでしたか。てっきりノーヒン(納品)かと思いました。」
たしかに、わたしはスーツも着てないし、ネクタイもしてませんよ。年だって若いし、見た目はまだ20代で通用すると、すくなくとも女性はいってくれます。大学のセンセイに見えないのは、それはそれで自慢したいことではありますが、それにしても毎週これが続くんじゃなあ。
つぎの週からわたしは、玉川大学の教員IDカードを、教員専用の青いストラップにつけ、首にかけて門をくぐることにしました。(玉川大生の皆さん、最近わたしがちゃんとIDを首にかけて歩いているのは、そういうワケなんですよ。)
「はい、何の御用でしょう?」
(IDカードをちらつかせながら)「文学部の教員です(きっぱり!)」
「あ、はいはい、納品の方ね」
玉川学園高等部口の門番のおじさん、いつの日か、あなたに認めてもらえる日が来るよう、日々精進いたします。
2004/6/10(木) 「嫌な子、殺す子、普通の子」
ちょっと不謹慎かな、と思いつつも、今回のBBBは「嫌な子、殺す子、普通の子」。長崎県で起きた小学6年生の同級生殺害事件。事件発生からだいぶ経ちましたが、事件直後の教育委員会だかどこだかの方の、記者会見での発言が気になって仕方ありません。「普通のご家庭の、普通のお子さんがこのような事件を起こし…」という発言。
揚げ足を取って「じゃあ、普通でない家庭の普通じゃない子供が殺人事件を起こすなら驚かないってのか!」と言うこともできますが、それよりも「普通」だとされている場所にこそ、「非・普通」が潜んでいること、そして何より「普通であること」が「まともさ」を定義する基準にはなり得ないことを理解すべきでしょう。閑静な住宅街だからといって、凶悪事件が起きないとはかぎらないことは、何年か前の世田谷一家殺害事件をみれば分かることですし。
おそらく、これから、あの少女がいかに「普通でないか」というのがじりじりとほじくり出されていくことでしょう。「普通」を死守するために、ありとあらゆる手を使って。
2004/5/31(月) 「もう失っているかもしれない重さ、21g。」
私の秘蔵っ子Yが映画の宣伝やってます。「21grams」。6月5日より公開されます。詳しくは公式ウェブサイトをご覧あれ。http://www.21grams.jp/
4月から5月にかけてはずいぶんと映画を観ました。見たてのほやほや2作品については、Talk62をご覧ください。かつて武満徹さん(作曲家、故人)は、御息女の眞樹さんに、「映画をたくさん観なさい、映画を観るか観ないかで人生は全く違うものになる」とおっしゃったそうです。「全く」違うものになるかどうかは分かりませんが、でも「違う」ものになるのは確かでしょうね。
2004年5月24日(月) 「華氏911度で発火するものは何ですか?」
カンヌ映画祭でパルムドールを受賞したマイケル・ムーア監督の「華氏911」。皆さんご存じの通りレイ・ブラッドベリの小説「華氏451」(のちにフランソワ・トリュフォーが映画化)のタイトルをもじったものです。私はムーア監督の前作「コロンバイン」も観ていませんが、聞いた話だけからすると、ずいぶんとカンヌ出品にはそぐわない映画のようですね。あるいはカンヌのふところがそれだけ深いということなのか。
キムタクが出かけていって、それを日本のマスメディアが追いかけ回して、キムタクも熱心にカメラの前に出て、その割には発言が面白くないという、そんなアホらしい状況とは別世界でクエンティン・タランティーノはじめ審査員はヤギラくんを選んだというのが、何ともおかしい。
ところで今回の審査員長がもしタランティーノでなかったら? 勝手な推測をすれば、タランティーノは「華氏911」とムーア監督の「人を選ぶ」というあたりに共感したのでは? 万人ウケしない、というあたりには、私も共感を覚えます。でも「華氏911」を観に行くかどうかは別問題です。観たい映画はほかにいくらでもあるし。
2004/5/9(日) 「年金未加入は"自己責任"でしょ」
国民年金未加入がつぎつぎと発覚する国会議員たち。ごたごたの果てに福田官房長官が辞任し、民主党の菅さんも代表辞任は避けられない情勢になっています。これが「年金国会」とよばれる、今回の立法府の現状です。
私は、閣僚や国会議員が年金を払っていない、あるいは一時期払っていなかったことがそんなに重大な問題だとは思いません。もちろん、国民に対して「払え!」と言っている立場の人たちですから、そりゃあ払っていた方がいいでしょう。でもね……
国民年金は実質的に「任意加入」です。最近お得意の国会論法を使えば、年金未加入は「自己責任」となるでしょう。国(社会保険庁)は「払いなさいよ、さもないと哀れな老後が待っていますよ」と脅かし、それでも払わない人には「それはあなたの自己責任だ。国の知ったことではない」と言い放てるわけです。
国会議員とて同じこと。たしかに議員センセたちにはいろんな特権があるようですが、実質的に任意加入の国民年金に加入していなかった時期が「過去」にあったからと言って、それが国会の審議をストップさせ、連日のように新聞の一面を飾るくらい大事なことですか???
ちなみに未払い分の「時効」は2年です。時効が成立している失敗(犯罪とまではいえないでしょ)を根拠に、空転する国会とは……。
さて、"自己責任"。イラクでの人質事件の際に突如浮上したこの言葉。なにか違和感ありませんか? 責任は基本的に自分(自己)が負うものだという過程から出発すると、「責任」の前置修飾「自己」は余分です。ある行為に対して、その本人が責任を持つというのはある意味で常識ですから、いちいち"自己"責任という必要はないわけです。
それがわざわざ「自己責任」の大合唱になるのは何故か。どうも、自分で自分の「自己責任」を述べる人はいないようで、この言葉が発せられるときは、いつも「他人=他者」の「自己責任」のことを指しています。つまり「それは自己責任です」という言葉が発せられた瞬間、それを言った発話者自身が責任の負担を放棄する、つまり「責任転嫁」をしていると言うことになります。
こういう便利な言葉は数ヶ月にわたって流行し、下手をすると定着する可能性があります。これからしばらく、何があっても「自己責任」で済まされる可能性がありますよ。気をつけましょう。
2004/5/4(水) 「GWは、まったりと」
ほとんど何もせずに、明日一日でGWは終わろうとしています。1日から5日までの5連休が、実質的な私の黄金週間だったわけですが、溜まっていた仕事はほとんど手がつかず、かえって生活のリズムが崩れそうで恐かったですね。長期休暇より、一日の労働時間をセーブさせてくれ、というのが正直なところです。
GWならではといえば、学生さんと飲みに行ったとか、頻繁にメールを書いたとか、客が来たとか、映画を2本観たとか、美術館に行ったとか・・・あ、こう書くと、それなりにGWしてましたネ。
皆さんのGWはいかがでしたか? つぎの休暇は「お盆」。それまで、休みのほとんど取れない生活が3ヶ月続きます。いやはや。仕事人生に安らぎを、日々の生活にときめきを。
2004/4/28(水) 「教卓から遠隔操作しません」
「あなたがた教員は、教卓のボタンで連絡を取り合ってますね。指示を出し合っているんでしょ。私知ってるんですよ。」という訴えがありました。授業終了後です。「え、そんなことできませんよ。どうやったらできるんですか?」 これが私の答え。あとの顛末はいろいろあって書けません。
「あなたがた教員は、得体の知れない妖怪みたいなものですよ」ともおっしゃいました。「いえ、私は人間ですよ」と私は素直に答えました。
まてよ、と私は考えます。教卓から学生を遠隔操作できたら、けっこう便利かもしれないぞ、と。「はーい、皆さん、遠隔操作に入ります。黒板を見てくださーい、スイッチオン!」「ここにアンダーラインを引いておきましょう、ポン!」「はい、集中度アップ!」(ダイヤルをぐりぐり)」
授業開始時にもし教員がこんなことを言ったら???
「では授業をはじめます。はい、チャンネル合わせてくださーい」
「さあ先週の復習からはじめましょう。波長は合ってますかー?」
2004/4/25(日) 「の」
玉川大学文学部249教室で授業が終わり、学生たちがレスポンス・ペーパーを一生懸命書いているところに、次の授業の生徒たちが扉を開けて入ってこようとしました。もうちょっと待ってもらおうと制止しました。
そのあとの廊下での会話が漏れ聞こえてきます。
「まだ空いてないの〜?」「うん、先生みたいなのがいるー」
みたいなの。先生みたいな「の」。
2004/4/21(水) 「琵琶湖は滋賀県にあります。」
学会があったので、琵琶湖畔のホテルに滞在しました。湖面にはボートが浮かび、ブラックバス釣りに興じる釣り人がたくさんいました。
ところで私は行動範囲がとっても狭い人間なので、生まれて36年、たぶん初めて滋賀県の土を踏みました。琵琶湖が滋賀県にあるのは知っていたんです。でも、はじめて来たところですから、いちおう近くの人に聞いてみました。「ここ、滋賀県ですか?」って。
行ったことのないところは、自分にとってはまだ「実在」しないところです。次の目標はまだ見ぬ大地、四国です。
2004/4/13(火)「手慣れた犯行も目をつけられたら終わりです」
テレビでもよくお目にかかるW大学のU先生が逮捕されました。品川駅で手鏡を使って女子高生のスカートの中を見ようと頑張ってるところを見つかったらしいです。これは推測ですが、たぶん彼は常習で、鉄道警察隊は前から目をつけていたのでしょう。手慣れた犯行(?)も、目をつけられたら終わりです。
女子高生のパンツに執着する人がいるのも分かりますが、なんと言っても有名人で、しかも教育者ですよ。大学はあちこちでセクハラ防止に躍起になっているというのに。
以前、とある大学(うう、名前を出したいけど、出せない)の講師控え室でよくご一緒した先生が、痴漢の現行犯で逮捕されたことがありました。彼はアメリカの情勢に詳しい先生だと聞いていたので、ちょうど事件の一週間前には、ブッシュとゴアのどっちが勝つかとか、パームビーチの数え直しはどう決着するか、なんて話をしていたのです。
あとで聞いたところでは、この人も常習犯だったとか。それまでも何度かしょっ引かれたのに表沙汰にならなかったのは、外務省の兄上の威光があったからとか言われてましたね。その兄上も、鈴木宗男事件の時にマスコミでいろいろ言われてました。
大学関係のセクハラ問題は、書き出したらキリがなさそうですね。(そういうお前は大丈夫か、というツッコミが聞こえるぅ)
2004/4/7(水) 「イヌをだしにして高利貸しするなんて」
テレビで「地獄スペシャル」などという番組をやっていました。杉田かおるの借金地獄とか家田荘子の結婚地獄とか、そんなのを面白おかしく笑う番組でした。
しかしこの番組、CMに入ると笑えない状況になります。まずおなじみ、チワワのクーちゃんを「だし」にした高利貸しの宣伝が流れています。次のCMタイムには小野真弓ちゃんが元気な某高利貸し、その次のCMタイムには井上和香ちゃんがはつらつとした別の某高利貸し、と。
借金地獄の番組で高利貸しが提供するってのはどんなもんでしょう。実質年率15%から30%弱というとんでもない金貸し(ただし保証人不要)が、テレビ局の15秒から30秒という貴重な時間を使って大々的に宣伝しているなんて、こんな国ほかにありますか?
一度、ある人物がこういうところから金を借りて、緊急連絡先として私の名前を登録し、とんずらしたことがあります。うちにも電話がかかってきましたが、保証人でもあるまいし、話をする筋合いではないと怒鳴りつけてやりました。アコムやアイフルがどんなにまともな会社であろうとも、イヌや若い女の子を「だし」にして金を借りさせようなんて魂胆、あっしにゃ解せませんぜ。
2004/3/29(月)「出るとこ出なさい、五菱総業!」
最近多いですね、虫付きメール。最近のコンピューター・ウィルスは差出人を偽るので、出した覚えのないメールが「宛先不明」でうちに届きます。うちでは常時ネットに接続している3台すべてがマッキントッシュなので、感染のおそれはほとんどありません。Winを使っている皆さん、きちんと駆除してくださいね。
ところで一昨日、架空請求のメールが届きました。差出人は「五菱総業」を名乗る自称債権回収業者、宛先は私の古い休眠アドレスです。支払いがない場合は回収担当者が自宅まで来るとか、家族親族から取り立てるとか、告訴手続きにはいるとか、いろいろ書いてあります。すでに27日(土)の時点でネット上で話題になっていました(5万通も出回っていたそうです)。
架空請求は無視が一番。「お仕事」熱心なら、出るとこ出ましょうよ、五菱総業さん! 回収員さんのご来訪もお待ち申し上げております。
2004/3/22(月) 「野町さんの写真を見に行こう」
3月30日から野町和嘉さんの写真展「祈りの大地」が開催されます。場所は東京都写真美術館。恵比寿ガーデンプレイス内にあります。近くの恵比寿麦酒記念館でテイスティングと称して、ついでに一杯というのもいいかもしれません。
野町さんは偉大な方です。彼の写真を見ると、私のようなへそ曲がりですら「ああ、世界はこんなに輝いているぅ!」と涙があふれます。学生さん、ぜひ、お行きなさい。
2004/3/19(金) 「アロエは効きまっせ」
バーベキューの最中、鉄板に油を引いていたところ、その油がはねて右手の甲にやけどを負いました。ちゃんと冷やさなかったせいで赤く腫れてしまい、ひりひりと痛くて仕方ありませんでした。ところが、同居人の入れ知恵で庭のアロエの葉(?)を数本ちぎり、スライスして透明な果肉の部分を1時間ほど載せておいたら、あら不思議、痛みはすっかり消えていました。すごいですね、アロエ。
バンナではアロエは呪いに使う植物でした。新芽のところを引き抜いて道におくと、病気やイナゴの襲来を防げるというのです。八丈島ではアロエの刺身を食べたことがあります。透明で、けっして苦くはなく、おいしく食べました。
日常的にはアロエヨーグルトを、週に3回は食べてます。でも、火傷を癒す効果があるなんて、知りませんでした。
2004/3/12(金) 「ホワイトデーに塩は贈りません」
ホワイトデーに塩を贈ってしまったバカのことは、今年の学生さんはご存じでしょう。交換論の講義をした際に募った「ホワイトデーに贈ってはいけないもの」リストはかなり充実したものです。たとえば、ハンカチ(涙を拭けよ、ってことか)、鏡(自分の顔をよく見ろってメッセージ)、下着(尻軽女だと思っていると勘違いされるから)、保存の効かないもの(長続きしない愛情)などなど、それなりにうまい理由のついた「贈ってはいけないもの」たちが登場しました。
ホワイトデーなんてのが一般的になったのは、私が小学校高学年になってから(1980年代初頭)ですが、当時はマシュマロを贈るものだと聞かされていました。ところが学生さんからの回答は様々です。たとえば「 友達としてはキャンディーを贈り、嫌いならマシュマロを贈る。 好きならクッキー」などとアイテムごとの使い分けがあったり、「好きならキャンディー、嫌いならマシュマロ」、あるいはその逆などと、どうも地域によって(?)完全に反転しているようです。
最後に残る謎に誰か答えてください。ホワイトデーに「サボテンを贈ってはいけない」という回答が多かったのですが、これは何でですか?
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