2005年9月17日(土)「This Airport always makes me angry!」
エチオピに行くこと/来ること自体は喜ばしいことなのに、いつもいつも、どうしても気が重くなってしまうのが、エチオピア航空とアディスアベバ国際空港の乗客マネジメントの拙さを思う時です。
今回もそうでした。大変なことが多すぎて、飛行機に乗った時にはへとへとでした。そして猛烈に怒っているので、空港のSuggestion Boxに投書しましたよ。This airport always makes me angry! って。
まず空港にはいるのに、荷物検査(X線)と身体検査(金属探知器)がありますが、金属探知器の感度が強すぎて、ほとんどの人が一回では通りません。でも、これはまあ序の口です。
私はアディスから一度バンコクへ飛ぶので、バンコク行きのチェックイン・カウンターを探したのですが、見つからず。ようやくたったひとつだけ「Ethiopia Airline All Flight」というところで行列に交わって待つこと20分ほど、さてチェックインしようかというとき、衝撃の一言が。「ここはイエメン航空のカウンターですよ」。でもそのカウンターのディスプレイには、しっかりと「Ethiopia Airline All Flight」ってでてるじゃないの、これは何なのよ、と、くってかかるも埒あかず、また一から出直し。
結局、バンコク行きの便のためのチェックインカウンターはないので、ワシントン行きのカウンターに並ぶこと、さらに30分。ようやく自分の番が来てチケットを差し出すと、「バンコク行き? ここはワシントン行きのカウンターですよ!」とすげなくいわれ。さすがに怒りを抑えきれず、「どこにバンコク行きのカウンターがあるってんだ。あちこちさんざ歩き回らせたあげくにチェックインさせないってのか! こらっ。だいたいお前らちゃんと仕事してないだろ。乗客がどこにいったらいいのか全然分かんないなんて、いったい何なんだテメェらの仕事は。まったくぅ、アスチェッガリだぜ!」と、ここまでぜんぶアムハラ語。
ひとまずごり押ししてチェックインし、出国税20ドルを払う段になって、手持ちのドルが10ドルしかないことに気付き、エチオピア・ブルで20ドル相当払うからいいでしょ、というと「ダメ。ガイジンはドル払いよ」とこれまたアホなことをぬかしよる。しかたないので、手持ちのブルをドルに替えるべく空港内の銀行に出向くも、職員はひとり、換金を待つ客は5名ほど。横はいりが数名。ここでもうへとへと。なんで出国するのに税金が必要で、それがドルでなきゃダメなのよ。死ね死ね団員の私は、出国税のスタンプをくれた女性にむかって、心のそこから「お前らみたいなイシアタマはみんな死んじまえ!」と呪いの言葉を吐いておりました。
ゲートに行ってみれば、ふたたび荷物と身体の検査で、行列。しかもその行列はナイジェリアかニジェールとおぼしき西の方のアフリカ人で、なにせ彼らは荷物が多いし、横入り、大騒ぎ、勝手な座席変更など当たり前な人たちだから、ここでもいろいろと大変な目に。
ねえ、エチオピア航空と、アディスアベバ空港のお偉いさんたち。
新しくできた空港の「箱」は立派でも、システム自体は旧態依然たる官僚体制ですね。私は入国の際に、プリンターとハードディスクにかけられた税金のリファンドを申し出ようとしましたが、私が問い合わせた職員(たとえばCustomer Serviceなど)の誰ひとりとして、そのお金のリファンドが可能かどうかを知りませんでした。この低級な仕組みと貧弱なサービスに対して、私たちはわざわざドル払いで20ドルの出国税(ようするにエチオピアから出たかったら払って行きな、というみかじめ料みたいなものでしょ)を差し出しているのですよ。
それとも、相変わらず「俺達はプロの乞食だ」なんて開き直りを続けているのですか? …なんて、ここで日本語でわめいても仕方無いんだけどね。(^_-)
2005年8月4日(水)「少年よ、ユンケルを一気飲みするなかれ!」
Stars and Stripes Foreverをいう行進曲を「星条旗よ永遠なれ」と最初に訳したのは誰なんでしょう。あるいは、例のBoys, be ambitious! を「少年よ、大志を抱け」と訳したのは。
今日のBBBは読んだら、そのままです。要するに、薬局のドリンク剤コーナーでユンケルを買い、それを一気飲みしている少年を見かけただけです。小太りな、5年生くらいの男の子でした。
さも美味しそうに、そして慣れた手つきでぐいっと飲んだら、そのまま、そばにある瓶の回収箱にポイ! こっちは唖然。。。子どもがユンケルを飲むなんて。
最近、めずらしく何本かユンケルを飲んだので、どんな製品ラインナップか気になって調べてみたんですが、これがまた、いろいろあるんですね。中にはいざという時の精力剤としか思えないようなものもあるようです。それはそれで微笑ましいですけどね。美女を車に乗せて、さあこれからという時に、薬局に駆け込んで4000円くらいの強烈なユンケルを一気飲みするオジサン、とか。
子どもがこうしたサプリメントの類を摂取することには、反対する人も多いようです。どうでしょうかね。私は、その少年の手慣れた飲みっぷりと、小太りな体型が妙に気になるんですが。
2005年8月16日(火)「ご意見番さん、さようなら」
しばらくお休みをいただいていておりました、このBBB。サクサクからジゴローが消えてしばらく、ショックから立ち直れなかった……というワケじゃないんですが、なんとなく気乗りがしなかったのと忙しかったのとで、ほったらかしにしておりました。
じつはサクサク関連で重大事件が。前回のBBBで「ジゴローとペパーを返せ」といったバナーを紹介しましたが、そのペパーをやっておられたサクサクの「ご意見番」さんが、先週お亡くなりになったそうです。ジゴローが消えてから、新キャラ「白井ヴィンセント」になってからのサクサクをまだ一度も見ていないのですが、そこにもちゃんとご意見番(あるいはゴイゴイ)は出ていたのに……
今週は、生前のご意見番さんが収録した最後の回が放送されているそうです。
享年35歳、クモ膜下出血。近頃は若くして病に倒れる方が多いですね。今年に入ってからも
杉浦日向子(46)下咽頭癌
中尊寺ゆつこ(42)S字結腸癌
橋本真也(40)脳内出血
ちょっと前だと、
ナンシー関(39)虚血性心不全
いまのところ健康そのものの私ですが、酒は飲むし、タバコは吸うしで、おまけに、肝臓に虫の卵を大量に抱え込んでいる身からすると、すぐにでもぽっくり逝っておかしくないです。
明日死んでも構わない。そういう生き方、できないでしょうか。
2005/7/4(月)「ジゴロウとペパーを俺達に返せ!」
というバナーを見つけたので貼り付けておきます。あのサクサクから増田ジゴロウが姿を消しました。詳細はネット上の各地に散見されますので、省きます。あの上目づかいのサイコロがもう見られず、あのヘリウム声が聞けないかと思うと、残念でなりません。
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2005/6/10(金)「インテル、入るんですか?」
はいる、とスティーブ・ジョブズは答えてます。
マッキントッシュが来年、プロセッサをPowerPCからIntelに移行させるというニュースは、それ以前からちらほらウワサで聞こえてきてたとはいえ、実際にジョブズの口から発表されると、ああ、やっぱり、という感じがしました。
アップルが現在のPowerPCを採用したのが、ちょうど10年前。そのあと、PowerPCプロセッサはG3、G4、G5と発展してきました。(私の手元にはG3のマシンが3台、G4が2台、G5が1台あります。) ところが最新のG5は発熱がものすごいのです。速度はとっても速いし、なによりマックのOSを気に入って使っているのですから、それそれで良いのですが、しかし。この熱さではパワーブックには載せられないでしょう。
業界筋のウワサでも、Intelに移行するとパワーブックの開発が進む、といったような論調が見受けられるのはそのせいです。私が普段使っているG4だって、熱、すごいのですよ。モヤシ炒めは無理でも、温泉卵くらいなら作れそうなくらいの温度です。
ひとつだけ気になるのは、マッキントッシュがIntelを採用すると、マックの筐体にもあの「Intel Inside」シールが貼られてしまうのか、ということ。それだけは止めてくれ〜。それからマックのCMにも、あの「レ・ソ・レ・ラ」の音を入れて欲しくないなあ。
2005/5/27(金)「名指しでクズ呼ばわりしません。」
コトがビミョーな問題だけに、適度にボカしつつ。
私が関係している数多くのメーリングリストの一つで、個人的な雇用契約への不満を訴えている方がおられます(仮にA氏としておきましょう)。いまのところA氏からの主張しか目にしていないので、はたしてコトの真偽はいかがなものか、判断のしようがありません。
しかしながら、つい最近のA氏の投稿はもはや「暴走」と呼ぶに値するものでした。彼をそこまで追いやった(と本人がおっしゃる)当事者たちを「人間のクズ」とカテゴライズし、「お前らみんな廃棄物処理場へ行け」と叫んだのです。そう、これはメールの文面を通した叫び。
すごいなと思ったのが、その「人間のクズ」とされた数十名の実名が列挙され(私の名前も入ってます……(^_^)v ……認知されてる! 感動的ですらあります(笑))、それらの集合に対してバカ、クズとののしりの言葉が綴られていることです。なにせ呼びかけ表現が「お前ら」ですからね(爆笑)。攻撃モードに入ったときに二人称複数形を使うのは、かなりキケンです。
「人間のクズ」は、私自身もある特定/不特定の人間に対する罵倒表現として、ときどき使います。しかしそれは心の中でのことであって、相手に対して「お前ら人間のクズだ」なんて言ったことはありません。(ついでにいえば、廃棄物処理場へ行け、とも言ったことはありません。)そして、そういうことを直接口にしたことがある人を、いままで一人も知りません。これは単に私の世間が狭いからでしょうか?
人間の行いや振る舞いを貶す表現と、人間そのものの本質(?)を貶す表現には、かなりの隔たりがあります。A氏の場合は、もちろん彼が敵と見なす人間それ自体を罵倒しているわけです。(それが二人称複数形だからなおさらキケンなのです。)
40代後半でインテリのA氏が使う罵倒表現としてかなり荒っぽいこれらの言葉については、これ以上論評する必要はないでしょう。腹が立つと同時に可笑しくも感じ、こりゃ同じ土俵には立てねえや、いや立ちたくねえなと思ったことだけを付け加えておきます。
それにしても。正義とか公正とか責任とか、そういうことをいろいろ考えるにしても、やはりA氏のやり方はオカシイと思います。箇条書きしてみると、こうなるでしょうか?
(1)一個人の雇用をめぐるすったもんだをMLでまくし立てて欲しくない。また他人の雇用をめぐる問題には関心はない。(雇用者側からのきちんとした説明が行われないこと自体は間違っていると思いますし、私などもある意味で巻きこまれているわけですから、説明は受けたいと考えています。この点ではA氏の言い分も分かるのです。でもあくまでも他人の雇用問題です)。
ですし、
(2)雇用をめぐる問題は労働組合など、外部の組織に仲裁を頼めばいい。トラブルがあったからと言って、仲間を作って戦うとか、組織の問題だとかいうのがおかしい。(これはA氏の職場の特殊性から言えることです。普通の企業とは違います。)
その上、
(3)被害者意識を持つのはいっこうに構わないが、その標的を次々と拡大して「お前ら」と表象できるような組織にまでもって行くのは(A氏は、自分は組織ぐるみでいじめられていると感じているらしい)、ある意味極端なシネクドキの適用であって、これまたインテリらしくない。
よって
(4)当事者間での解決を望む。当事者間で無理なら、外部の仲裁を頼むべし。
いままでは、やり方はメチャクチャだけど、一応言い分を聞いておかなきゃなくらいには思っていたわけですが、もうすっかり幻滅です。腹の辺りに重いものを感じます。気分悪いです。
あ、そうそう、A氏はご自分のことを「オレは○○の第一人者だ」「オレは天才だ」と吹聴しているらしいのです。確かに第一人者らしいのですが(…というのも、私はA氏のことを個人的にまったく知らないのです)、「天才」の対義語が「バカ」ではなくて「クズ」だったとは、私も知りませんでした(笑) ちなみに、私を含めた十数名が「バカ・クズ」の称号を頂いたのは黙りを決め込んでいたからだそうです。「お前らものが言えんのか」ですって(くすっ!) 味方になって欲しかったら、ちゃんと言ってくださればいいのに。とりあえず、謹んで、断り申し上げますけれど。
でももちろん、雇用者側も、ちかごろ流行の説明責任とやらは果たした方がいいと思いますよ。訴訟になったらどうするおつもりでしょうか? 暴走したA氏は、やりかねませんぜ。
(以上、一切の実名を伏せました。)
2005/5/12(木)「ゴールド免許を手放しません。」
警察から免許更新の知らせが届きました。(正確には、知らせを送ってきたのは交通安全協会です。あの、日本各地で警察署にフジツボのように寄生している団体です。) 次に与えられる免許証は「ゴールド」だそうです。
運転免許を取得して18年半、私は基本的に優良ドライバーであり続けました。事故は一度も起こしたことがなく(ひやっとしたことは何度もありますが)、違反も二度だけ。
もっとも、事故は一度もない、というのはすこしウソで、それには「日本では」という但し書きがつきます。エチオピアではどでかい事故を経験しています。それは絶対忘れられない「ウシ衝突事件」でした。書き出すと長くなるので、いずれサイトのどこかに書きます。
二度の違反はいずれも駐車違反でした。一度目は大学生の時に、そして二度目はちょうど7年前に。この7年前の違反のおかげで、私はこれまでゴールド免許というのを取得できなかったのです。年に何度もクルマをぶつけて、その度に保険の世話になっているような他人が、偉そうにゴールド免許を振りかざしているのを見るたびに、悔し涙を流してきました。
7年前のその朝、私は、当時勤めていた横浜の大手学習塾の仕事で、神奈川県立柏陽高校の正門前にいました。一年間手塩にかけて育てた精鋭たちの「受験見送り」をしていたのです。朝早かったので自動車で行き、クルマはすぐそばの公園横に路駐していました。同僚たちもおなじくです。
さて、見送りが終わって、「そろそろ帰るか」なんて話していたとき、見覚えのある茶色いボルボ・ワゴンがレッカーに引かれていくのを目の端で捉えました。「ウチのクルマにそっくりだなあ」なんて思って、それが自分の車だと気づくのに数秒かかり……。「あああーーーーーっ」と叫んだ私を尻目に、ヤバイヤバイと口々に唱えながら、同僚たちは自分の車に走り寄っていきました。
結果、レッカーの犠牲となったのは私だけでした。違反金とレッカー代で2万5千円取られたのをはっきり覚えています。
そして、それきり、違反は、やってないとはいいませんが(短時間の駐禁違反、微弱なスピード違反はみんなやってるでしょ?)、しょっ引かれたことはありません。でもあのレッカー移動のおかげで、ゴールド免許は遠のきました。
ゴールド免許という制度が導入されてもう10年ちかく経つと思いますが、はじめて私の手に届けられるであろうゴールド免許は、あのレッカー事件から7年後に訪れたわけです。
そうそう、あの日、受験を見送った生徒(浦川トモミさん)は、のちに青学に入学し、そこで私の文化人類学を受講して、この3月に無事卒業されました。7年というのは、それくらいの年月です。
2005/5/10(火)「がんばれ、琴ノ若」
大相撲夏場所。同世代の幕内力士はついに琴ノ若一人になってしまいました。昭和43年5月15日生まれの琴ノ若は、6月17日生まれの私と1ヶ月しか違いませんNomo、桑田、大魔神。彼らも同じ年です。
昨日(二日目)の時点で、琴ノ若は一勝一敗。番付も悪くないし、まだまだ現役でいけます。そして、私の見るところ、現在の角界で一番の色男には、あと数年頑張ってほしいモノです。
2005/5/2(火)「単純に喜びを表現してみました。」
恥ずかし気もなく……。
サクサクDVD入手。ひとまずサラッと観て、故郷を懐かしんでみました。ディープ神奈川。鮭の産卵、巨神兵がドーン、金のしゃちほこ、フォッサマグナー! などなど。
それにしても「シンプソンズ5」はなかなか出ませんね。
2005/4/27(水)「芸能レポーターの真似をしません。」
JRの脱線事故。私たちは普段、テクノロジーと計算の結果を疑うことなく生活していますが(それを疑いだしたら、怖くて横断歩道も渡れないでしょう)、そういう心性がまさに技術崇拝に過ぎないものだということが、あらためてはっきりしました。
じつは今日(4月27日)の午後、自転車で大学周辺を周遊していた際、私は自動車にひかれそうになりました。国道をまたぐ横断歩道でのことです。もちろん歩行者用の信号は青、自動車用の信号は赤。路面電車もストップして、運転手は私が自転車で渡のを見送っていました。
そして、私が路面電車の鼻面を過ぎたとき、一台の乗用車が横断歩道に差し掛かりました。私は前ブレーキを強くかけたせいで、後輪が持ち上がり、くだんの乗用車は横断歩道のシマシマの途中でストップしました。完全にドライバーの信号見落としです。
長崎では、多くのドライバーは周囲に気を配っていない。これが私の経験則なので、べつに驚きませんでしたけど。
そんなことより、JRの事故です。マスコミ報道は主に、事故原因の推測、そして遺族の哀しみ、というふたつの点に絞ってネタを集めているようです。そして、あらゆる報道が私を苛つかせます。
記者会見で公表された断片的な所見(それはデータとすら呼べないものです)と、乗客の主観的な(そしてガーッとかドンッといったオノマトペに満ちあふれた)感想表明に基づいた事故原因の推測は、マスメディアがそれを行うことで、それ自体が既成事実化してしまう危険をはらんでいます。松本サリン事件のときの教訓をみなさんお忘れでしょうか?
遺族の悲しみについてもそうです。愛する人を失った悲しみは当然です。しかしそうした悲嘆にくれる人びと、あるいは、行方不明の肉親を求めてさまよう人びとに、何本ものマイクを差し出して、根掘り葉掘り聞き出すえげつなさは、見ているだけで吐き気を催します。友人を失って泣きじゃくる女性に、「どんな方だったんですか?」と、もはや帰らない死者の人となりを聞き出すことに一体どれほどの価値があるでしょう。報道記者はいつから芸能レポーターになってしまったのですか?
素材がなきゃニュースにならない、コンテンツを埋めなきゃ番組は成立しない。それはそうでしょう。「亡くなったご友人はどんな方でしたか?」という質問に対して、「いい人でした」というコメントを得なければ採用されません。逆に万が一、「あんなヤツ、死んでよかったんだ」というコメントが出てきたとして(私が死んだら、こういうコメントを吐かないまでも、そう「思う」やつはいるに違いありません)、放送局はそんなネガティブ・コメントを採用するでしょうか? しないでしょ? いい人だったのに死んでしまった、そんないい人を死なせたJRは悪い。そういうシナリオのために取材陣を派遣してるんでしょ?
悪者はJRだもの。いくらJRを叩いたってどこからもクレームは来ません。この事件報道は、報道する側にとってははじめから安全な戦いです。JRは幾ら叩いても文句を言わないサンドバッグですから。
そういう出来シナリオの裏地を繕うために、悲嘆に暮れる人びとに付きまとい、何本ものマイクを向けるってのは、見ていていい気がしません。
2005/3/31(木) 「断固反対! 昭和の日」
最近はろくに新聞も読まない、人文・社会科学者としてはあるまじき生活をしているわけですが、それにしてもこの法案には賛成できません。4月29日を「昭和の日」にするなんて。
もともと、個人の誕生日を祝日にすること自体間違ってます。われわれ凡百の民のだれが、自分の誕生日を祝日にできますか?
「本日は朕の生誕記念日である。民どもはゆるりと休まれるがよいぞよ」なんて、そんなことは天皇は言いはいませんけれど、でも、ようするに、そういうことでしょ?
昭和天皇はたしかに、そこはかとないカリスマ性を漂わせていましたが、でも彼(と、あえて言わせてもらう)の存命中にその日が「天皇誕生日」としてゴールデンウィークの一画をなしていたことがヘンでしたし、死後、同じ日を「みどりの日」なんて名前にしてGWの延命を図ったのもおかしな話です。
まとめれば、こうです。
(1)個人の誕生日が国家の指定する「祝日」なのはおかしい。
(2)それが「天皇」(つまり国民の"象徴")だからといって、祝うことを強制されるのは道理が通らない。
(3)それなら、国民はひとしく己の誕生日を休日にしなければならないという法案も作らなければならない。
(4)戦争責任が問われている前・天皇の誕生日が、相変わらず「祝日」扱いなのもおかしい。だったら「みどりの日」なんて名前ではなく、もっと右よりな命名にしてくれたほうが、攻撃する方にとっても分かり易かった。
(5)そういう前・天皇(故人)の誕生日を、その在位期間を示す元号、すなわち「昭和」の記念日にするということの必然性がまったく感じられない。
ところで、いまの皇太子徳仁の誕生日は2月23日。GWにも、クリスマスにもかからず、しかも大学生にはまったく喜ばれない日付ですね。なんたって、彼が天皇になっても、その日はすでに春休みでしょ。
2005/3/24(木)「GWが待ち遠しい」
一度は発売が中止された「sakusaku DVD Ver.1.0」。発売が決定したそうです。うれしい! バンザーイ!
ちなみに発売日は4月28日。GWが待ち遠しい。
どうもこのところジゴロウの話ばっかりでスミマセン m(_ _)m
発売元:アミューズ →http://www.amuse-s-e.co.jp/sakusaku/
2005/3/10(木)「痛恨の極みとはこのことです。」
すでに公言したとおり、私は長崎では数少ないサクサカーです。そして、私の母(横浜在住)もまた最近サクサカーになりました。
そのDVD「sakusaku version 1.0」。昨日が発売日だったので「いつ届くかな〜、今日あたり届くかな〜」なんてウキウキしてたのに、今日アマゾンから届いたメールは、「発売が中止されたことが判明しましたので、ご予約はキャンセルさせていただきます」というつれないもの。
ファンの間にも衝撃が走っているようです。
「ぜろよんよん〜、ぜろよんよん〜、川のさきっちょ川崎は〜♪」と歌う「川崎の女」、「Z,A,ま〜!」と叫ぶ「座間の歌」、「タテっすか、ヨコっすか、どっち向き〜スカ〜♪」の横須賀の歌、「くじらは星になったのさ〜♪」のベイスターズ応援歌など、もう一度聴きたかったのですが。
権利関係をスッキリして、めげずに発売を目指してほしいものです。
2005/2/28(月)「母性本能は、やっぱりあるんですか?」
いやー、ほんとにびっくりしました。先週水曜日の「トリビアの泉」、ご覧になりましたか?
トリビアの種、のコーナーで「母性本能をもっともくすぐる仕草は何か」を調べるため選ばれた6人の学者の中に、なあーんと! 江原由美子さんがいらっしゃるじゃありませんか。我が目を疑いました。
江原先生は都立大の社会学の先生で、直接お話ししたことはありませんが、廊下では何度もすれ違いました。そしてこのお方、上野千鶴子さんと並んで、日本のフェミニズムを背負うリーダー的存在なのです。(いや、フェミニズムの世界で「リーダー」とか言っちゃうとアウト、なのかな?)
そのラディカル・フェミニスト江原由美子と、その他5名の学者が選んだ「もっとも母性本能をくすぐる仕草、それは……。はずかしくて、ここには書けません。そして私は思うのですが、よしんば母性本能なんてものがあったとしても、あの「仕草」ではくすぐれないでしょう。
いまだに「???」がアタマの中で点滅しているのは、なぜ江原由美子がこの企画に乗ったのか、です。細かいこと覚えてませんが、フェミの世界では「母性など神話に過ぎない」が、もはや証明済みの命題だったんじゃありませんでしたっけ。
もし、「母性は神話だ」という説を支持しつつ、トリビアの企画に乗ったのだとしたら、非常に挑発的な行為だと言わざるを得ません。「あんたたちはみんな馬鹿よ、なんにも分かっていない、ということすら分かっていないのよ。」という江原メッセージが、地底から響いてくるようです。
2005/2/21(月)「刺叉を、肌身離しません」
先般、死刑執行された宅間守のときもそうでしたし、佐世保で同級生を殺した事件もそうでした。学校では殺人事件は起こらないという無根拠な前提は覆されつつあります。
考えてみればおかしなものです。これまでも学校ではいろんな不祥事があったのですから。バイクで校庭を走り回る不良中学生(道路交通法違反)、一年を通じて常にどこかのガラスが割れている中学校(器物損壊)、そしていじめ(名誉毀損など)。殺人事件だけが起こらないなんてという保証は無かったはずです。
大学も同じです。サルマン・ラシュディの小説を翻訳した教授は大学構内で謎の死を遂げ、出世できない恨みを晴らすために教授を殺した助手もいました。
今回、件の小学校に常備されていたのは正確には「さすまた」ではなくて「刺叉もどき」のようです。刺叉といえば思い出すのは、魯迅の「故郷」ですね。
どうしても引っかかることがひとつ。事件とは直接関係ありませんが。
亡くなった鴨崎先生。よい先生にあたった生徒たちは幸せ者です。今回テレビを通して、その鴨崎先生に涙を流しながら別れを告げる映像を観ました。それを観た人が、こう言ったんです。
「先生大好き、だなんて、馬鹿みたい」と。
その人は小学校時代に、体罰教師にあたってしまい、憎んでも憎みきれないそうです。そういう気持ちが、かえって、「好きな先生」にあたった人への攻撃に転じているのでしょうか? でも、それは逆恨みというものです。
そこでは、ひとが一人死んでいるんですよ。「馬鹿みたい」なんて言っちゃいけません。
2005/2/7(月)「ほんと、なワケありません。」
Bartholomew's Black Boardのモットーは、「もっと否定を!」です。「〜ありません」的なものを心がけてはいるのですが、実際には「〜してください」みたいな文句たれが多いですね。
ここ数ヶ月、スパムメールは減りましたが、かわりに出会い系のメールがすごいです。多い日だと、一日20通から30通くらいに達します。最近多いのはこういうの。
当グループは男性に一切のご負担なく高収入女性をご紹介致します。
このあとに、各社それぞれ個性を競う売り文句が続くわけですが、面白いのは、最近のメールがみな、いわゆる「逆援助」つまり、女性と遊べてなおかつお金がもらえるっていうのをウリにしていることです。
これに「巨乳美女があなたの部屋にやってくる」を付け加えたら、もう完璧ですわ。金銭欲と性欲がいっぺんに満たせて、しかも投資額がゼロだなんて、ほんと、なワケないでしょ。
この手のメールはみーんなbiglobeのアドレスに届くので、そろそろこのアドレスを停止しようか、なんて思ってますが。
2005/1/28(金)「心の教育の総点検って何ですか?」
長崎発のニュースなので思わず喰いつきました。
地元のニュース番組だけでなく、全国紙でも取り上げられてしまった調査結果−− 「死んだ人が生き返ると思いますか」の問いに、中学二年生の18・5%が「はい」と答えたそうです。しかも小学生より、中学生のほうがそう思っているとか……。
その理由としては約半数が「生き返る話を聞いたことがあるから」と答え、ほかにも「テレビや映画で見たことがあるから」とか「ゲームでリセットできるから」とか、大人が喜びそうな回答が見られます。
なかには「クローン技術が発達すればできる」とか、「ほかのものに生まれ変われる」「前世や来世がある」といったものもあるそうです。でも、これ、生き返るかどうかって話じゃなくて、「生まれ変わるかどうか」っていう話ですよね。
長崎県教育委員会の分析
「子どもたちは経験ではなく、周囲の情報の影響を受けて死を認識している」
「生や死にじかに接し、喜んだり悲しんだり他者の気持ちに共感することは欠かせない」
まあ、これはいいといましょう。経験だって「情報」なんですが、まあ、それはいいとして。
「学校や家庭、地域一体となって「心の教育」を総点検し、充実させる」っていう方針、これはいったい何ですか?
「心の教育」って一体なに?
「総点検」っていうことは、学校・家庭・地域の強力タッグで、すでに「心の教育」なるものをやっているんですか?
「人間、死んだらおしまいなんですよ」っていうことを理解させるのが、「心の教育」なんですか?
そんな教育をされる「心」って、何?
2005/1/11(月)「増田ジゴロウは、私の親戚ではありません。」
長崎に来て何が悲しいって、テレビ神奈川の「saku saku」が見られないほど悲しいことはありません。そう、私はサクサカー。
さいころキャラの増田ジゴロウと、最近歌手として大ブレイクした木村カエラちゃんがまったりと会話するこの番組。神奈川県から東京の大田区あたりまでは毎日見られます。木曜日だけは全国ネットしているというのですが、九州は福岡だけ。
私が、財政的苦難を覚悟のもと新しいテレビを購入したのは、じつは「saku saku」が見たいからでした。なのに、なのに…(ぐすん)……長崎じゃ見られないなんて。ジゴロウが歌う「川崎の女」がまた聞きたいよ〜っ!
なんて思ってたら3月にDVD発売。さっそくアマゾンで注文しました。あと2ヶ月の辛抱です。
ちなみに、ジゴロウの携帯ストラップは、いまもカバンのなかに常備しています(笑)
→saku saku(オフィシャルサイト)
→さくっとsakusaku本館(非公式ファンサイト)
→さくっとsakusaku別館(非公式ファンサイト)
2005/1/7(金)「ああ、もどかしい」
私の授業を受けたことがある人なら、私が皇室ネタ好きだというのをご存じでしょう。好きなんですよ、あの方々をまな板にのせるのが。
最近の動き−−高松宮喜久子の薨去(こうきょ、と読む。要するに死亡のこと)と紀宮清子(のりのみや・さやこ)の婚約−−についても、いろいろ書きたいんですが……皇室をネタに書きたいことをそのまま書くと、かなりヤバイですよね。ですから、書きません。ああ、もどかしい。
だけど、これだけは言っておきます。日本で情報操作をもっとも成功させているのは宮内庁だ、ということです。
2005/1/1(土)「謹賀新年」
みなさん、新年あけましておめでとうございます!
今年もlalombe's websiteを(そして、増田のことも)よろしくお願いいたします。
昨年はいろんな意味で激動の年でしたが、終わってみると、まあこんなもんな、です。
ま、talkにも書いたように、気分は「ふわふわ・どんより」ですので、ここらで一丁、今年の目標なるものを書きたいと思います。書き初め、ですね。
○○は1日に××を上限にする。
○○は3日に××にする。
○○は週××に押さえ込む。
週に××度は○○をする。
週に××つは○○を△△する。
○○はぜんぶ△△する。
○○を△△にする。
○○と△△る。
なんのことやら分かりません、といわれても、これはきわめてプライヴェートなことなので、伏せ字の部分はご容赦ください。ちなみに××には数字が入ります。
2004/12/30(木)「ドキっとさせないでください」
まずはこれをご覧あれ。
この前、メールありがとう♪
ちょっと忙しくって遅くなってごめん!
今度食事でも連れてってください。
由紀恵
最近多いんですよね、こういうメール。私の場合ですと、一日3通くらい来ます。
「この前、メールありがとう♪」なんていわれると、あれ、だれにメールしたかな、などと、まず考えます。「♪」ですよ、♪。ルンルンです。私からメールをもらって「♪」な女性がいるわけです。
はて、と思って次の文面。「ちょっと忙しくって」っていうあたりが、師走なだけにリアルです。そのうえ、食事に連れていってください、なんて言われちゃうともうどきどきものですよ。
もちろん、差出人の由紀恵さんに心当たりはありません。
いや、ほんと、多いんですわ。先日など、夫にかまってもらない28歳の人妻からメールがありましたし。
2004/12/26(日) 「サルと目を合わせないでください。」
今朝は「サル警報」で目を覚ましました。
長与町の広報スピーカーが自宅のすぐ横にあって、ふだんは正午のサイレンとか、夕方のチャイムとか、イベント情報とかを流しているのですが、今朝は(そして夕方になっても)サル警報でした。
「ただいま、長与町○○地区においてサルが出没しております。出会っても目を合わせないでくださいください」
「サルと目を合わせるな」というのは、自治会からの通達でも見ましたし、張り紙もされています。サルと目を合わせるとキケンなんでしょうか? ミカンとか投げても懐かないんでしょうか? シカトしていれば、サルはおとなしく去ってゆくんでしょうか?
2004/12/25(土) 「レンズの引っ込まないカメラは作りません」
愛用のデジカメ、リコーのCaplio GXがいうことをききません。レンズが出たまま引っ込まず、電源を入れると怪しい数字の羅列によるエラーメッセージが表示されます。カメラは何台も使ってきましたけれど、こういう不具合ははじめてです。
「はじめて」なのは、これが私にとってはじめて手にした電子制御のカメラだからでしょう。これまで使ってきたカメラがみなメカニカルな故障しかしなかったのに対して、今回の故障は、パソコンがご機嫌斜めなときにそっくりです。
このカメラは、いまのところ私にとってのベストチョイスです。デジカメが主流の時代になっても、私には「買うに値するデジカメ」の条件が3つあって、それを満たすカメラが現れなかったのです。
その3つの条件とは、(1)コンパクト機であること、(2)500万画素を超えること、(3)広角28ミリの画角をそなえていること、です。
とくに三番目の条件は、コンパクトデジカメには厳しい条件らしいのですが、私の場合28ミリが標準なのでこれは譲れませんでした。だからCaplio GXがベストチョイスなわけです。
ひとまず明日あたり修理に出せるかどうか問い合わせます。
そういえば、この不具合についてネット上でいろいろ調べていたら、こんなページを見つけました。この探求心に感服します。写真も上手です。
2004/12/9(木) 「進め! 大魔神!」
日本球界最高額年棒で契約更改した大魔神。今年はほとんど活躍しなかったのに「なぜ?」、と首をかしげる人もいるでしょう。しかし私からしたら、彼は希望の星、あるいは断末魔の超新星爆発の輝きみたいなものです。
いま36歳の私と同年代の野球選手はみな、岐路に立たされています。清原はジャイアンツに残るかどうかが取りざたされ、桑田は年俸下落を受け入れて再起を期し、野茂はドジャーズを解雇されて移籍先を探しと、みな現役人生の後始末の時期が近づいているのを知っています。
同じことは、カズにもゴンにもいえますよね。琴ノ若(私と一ヶ月しか誕生日が違わない)には、ずっとあの端正な顔立ちで土俵に立ってほしいものです。
で、大魔神・佐々木主浩。ヒジの手術も終わったことだし、来年こそはびしびしとセーブを稼いでもらいたい。でももっと気になるのは、12歳年下の女優(?)E・Kとの同棲生活はどうなっているのか、ということです。
進め、大魔神! 最後にでっかい花火を打ち上げろ!
2004/12/4(土) 「子供まで ダシに使うな 国税局」
私が住んでいる長与町の広報に、11月の「税を考える週間」にちなんだ租税標語の受賞作が紹介されています。すべて中学生の作った「秀作」なんだそうです。
【福岡国税局長賞】
考えよう 税のおもみと ありがたさ(中2 OSさん)
税のおもみ=重み、ととらえれば確かにそうですね。重いです。税金をありがたいと感じる想像力が、中学2年ですでに備わっているなんて、ほんと、賢いお子さんなんでしょうね。
【長崎税務署長賞】
税金は 未来につづく 夢の橋(中3 KAさん)
これは比喩です。もちろん税金は「橋」でも「夢」でもありませんが、税金の支払いを、将来への「投資」として把握したときに、納税行為が「未来につづく夢の橋」になるんですね。だから国税局がいろんなことに経費を使っていることもまた「夢の橋」なんです。考えようによってシャレのきっつい標語です。
似たようなのに、長与町長賞を受賞した「税金は 未来を支える かけ橋に」というのがあります。「に」の後が気になります。
【長崎県税事務所長賞】
この社会 支える税に ありがとう(中3 TAさん)
この標語では、税は未来も架け橋も関係なく、いまの社会を支える「柱」として認識されています。この柱があるおかげで、私たちの社会はぐらつかずにすんでいるのです。中学3年では社会で税制について学びます。TAさんはそれを学んだ上で、税金は公共の福祉と社会基盤の維持に役立っているということをうたっているのです。
私もまた、国立大学の教員として「ありがとう」って言いたいですネ。
【長与町教育長賞】
国と人 支えていくのは 人と税(中3 IKさん)
それにしても中学生は、税が何かを「支えている」っていうの、好きですね。だれかにそそのかされたんじゃないかって勘ぐりますよ。
私がもし中学生だったら、たとえばこんなのを作るでしょうね
税金を 払いもせずに 標語書き
人びとがぶうぶう言いながら払わされている税は、社会のあらゆるところにしかるべく投入され、役に立っていますよ、だから感謝しなさいよ、きちんと払いなさいよ、中学生でもそんなことはわかってるんですよね、っていう暗黙のメッセージがぷんぷんにおいます。
「税のおもみ」なんて感じたこともない中学生たちをダシに、くだらない標語を書かせるなんて、やめたらどうですか? 子どもたちが可哀相よ。
2004/11/28(日) 「こんな国で、誇りもへったくれもあるか!」
報道されていることだけから判断すると、中山文科大臣というのはかなり困った人みたいですね。なんでも、歴史教科書について「極めて自虐的で、やっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」なんていったとか。
さらに、「どの国の歴史にも光と影はある。悪かったことは反省しないといけないが、すべて悪かったという自虐史観にたって教育だけはしてはいけない。これからの日本を生きる子供たちに、自分たちの民族や歴史に誇りを持って生きていけるような教育をすることが大事だ」なんて宣ったらしく、これを聞いた私はのけぞりましたよ。
つまりこういうことなんでしょうか。
(1)どの国の歴にも光と影があって、彼がいうところの「自虐史観」は影ばかり強調している、と。
(2)つまりもっと「光」のところをクローズアップするか、「影」をへらしてバランスを取れ、と。
(3)でもって、従軍慰安婦とか強制連行という客観的事実性を記述することが、光と影のバランスを損なっている、と。
(4)山中氏いうところの「影」が教科書に載ることが、自らを「虐」することになるのだ、と。
(5)歴史教科書で「影」を帯びた言葉が減ることが、バランスを取ることを意味する、と。つまり、言葉の量が問題なのだと。
(6)でもって、それが子どもたちから「民族」や「歴史」への誇りをうばうことになる、と。
現代の日本で、「民族」の歴史を云々することのバカらしさについてはいうまでもないでしょう。日本語で教育を受けているのは日本「民族」の構成員ばかりではないのですから。
だいたい、日本の「民族」って何なのかを、ちゃんと考えたことあるんですか? あなたが言う「民族」ってのは、日本語をしゃべり、インチキくさい「日本文化」を身にまとい、日本国籍を持った人、という程度のことなんじゃありませんか? それって、戦前の「同化論」の論拠と同じなんですけど。
ねえ、中山さん。
そもそも「自虐史観」ってなんですか?
過去の「影」の部分を記述に盛り込むことが「自虐」なのだとしたら、戦争に「負けた」ことを教科書に盛り込むことは「自虐」じゃないんですか?
日本には戦争に勝てるだけの技術も能力もなかったと認めずに、原爆や空襲によって一方的にやられたのだという書き方をすることで、戦争遂行能力の欠如を隠蔽してはいませんか?
戦争にまつわるお涙頂戴話ばかりを「国語」の教科書に載せることは、あれは「自虐」じゃないんですか?
南京大虐殺や従軍慰安婦といった問題をまったく知らないまま、「戦場に散った英霊」の勇猛果敢さだけを植えつけられたこどもたちが、その手の「誇り」でもってグローバルなレベルで通用すると思ってるんですか?
どうなんですか? 文科大臣殿。
そういえば、あの青年がイラクで拘束されたときに、町村外務大臣はこんなことを言ったそうです。「バックパッカーというか、後ろに荷物を担いで世界中を旅して歩いている類ではないか」と。荷物を担いで旅行する類(たぐい)だったら、なんだっていうんだ?
みなさん、早く日本を脱出しましょう。こんなところにいると、ろくなことになりません。年金ももらえないし、いずれあなたの息子は徴兵されます。経済はこのさきずっと低迷します。教養もなく、懐も浅い大臣が、己が「正義」をふりかざす日本にいたって、いいことありませんよ。
なーにが「民族の誇り」だ。くそ食らえ!
2004/11/21(日) 「「みちのく一人旅」がアタマから離れません!」
これはもう不幸としか言いようがありません。夕方からいま(22時過ぎ)まで、アタマの中で山本譲二が歌ってます。
今日はすこしだけドライブしました。その帰りの渋滞。どうやらどこかで「ふるさとまつり」というのをやっているらしく、ひどく渋滞していました。その「ふるさとまつり」、そこには山本譲二がゲストできたらしいのです。
そのことを知ったのは、トイレ休憩に立ち寄った商店のレジでの地元民の会話からでした。
その瞬間、山本譲二が降臨! もう頭の中は「みちのく一人旅」で満たされ、歌詞は思い出せないのに、コード進行からからバックの弦楽合奏のフレーズまでが脳の中でループされる事態に。
思えば不幸な音楽好きです。どんな曲でも頭の中でコードに変換してしまい、それがそのまま鍵盤イメージとして定着し、そのまま離れなくなってしまう性質。だから簡単なコード分析を可能にしてしまう岡本孝子はもう聴けません。どうして彼女の曲はみんな「C→G/B→Am→G→F→C/E→Dm→G→C」と進むのか。
だからこそ、簡単にコード解析を許さない音楽を好むのです。
演歌のほとんどはDmかGかAかEでほとんど解決します。そして私の愛する「ガッチャマンのテーマ」や「魔法使いサリー」もほとんど演歌のコードでいけます。ためしに「津軽海峡冬景色」のカラオケで、「ガッチャマンのテーマ」(だれだっ! だれだっ! だれだ〜っ!)を歌ってみてください。かなりのところまで行けますから。
そんなこんなで、いま、頭の中から元高校球児ヤマモトさんの歌声を消そうと躍起になってます。
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