リハビリテーションにおける目標の設定をめぐって
手記にみる患者-医療者関係を手がかりに
足立由起
本論文では、リハビリテーションの過程における患者と医療者の目標設定、および二者間での認識や意識の違いを、患者と医療者の関係性に焦点を当てて分析する。
今日、リハビリテーションは医療の場で主要な位置を占めており、近年では医療の場でインフォームドコンセントやQOL(Quality of Life)など、医療における患者自身の生活や人生をより良いものにするための概念が重視されつつある。これは医療の場において、患者の病気や障害のみに注目するのではなく、患者自身にも目を向けるという考え方が広がっているということを意味する。そこで、この論文を通して今後の患者と医療者の関係を考察する。
第一章ではまず、リハビリテーションの定義を述べ、海外と日本での障害者とリハビリテーションの歴史的背景を記述した。
第二章では、実際にリハビリテーションを体験した患者の記録である『ボディ・サイレント』および『可能性への挑戦』を検討対象として、患者と医療者の関係や両者の意識の違いについて考察を行った。この章では、著者が記述した内容を細かく検討しながら、患者の意識や医療者の態度のあり方を分析した。そして両者の記述から、リハビリテーションにおける患者と医療者の関係に、共通する二つの問題点を見つけ出した。その問題点とは、「患者が患者としての役割を期待されていること」と「患者と医療者の意思のつながりが弱いこと」である。
第三章では、この二つの問題点について、医療社会学における「病人役割」の概念を用い、患者と医療者の役割と両者の関係を再検討した。またそこから、患者と医療者のあるべき関係作りにおいては、患者の側のみならず、医療者の側にもある役割が必要であることを明らかにした。その役割とは、自身の意見を正確に患者に伝え、また患者の意見にも耳を傾け、患者を理解しようとする役割である。また医療者がこの役割を重視し、患者自身も医療者を理解しようとする関係を築くことで、二つ目の問題点である「意思のつながりの弱さ」の解決も可能になることを示した。
この関係はビーチの言う「契約モデル」にまさに当てはまる。「契約モデル」とは、患者と医療者が互いの利益を想定したうえで、共通の目標と果たすべき義務を設定し、そのために協力し合う関係を表したモデルである。この「契約モデル」における患者と医療者の関係こそが、これからのリハビリテーションに必要なのである。
波佐見焼の史的展開
有田との比較を通して
井上綾香
本論文のテーマは、波佐見と有田という地理的に隣接する地域において、波佐見焼は「日常雑器」、有田焼は「高級磁器」と言われるようなイメージの差異化がなぜ生じたのか、またどのようにして両者の間に品質と量のバランスに差異が現れたのかについて、主として波佐見焼の歴史を通じて考察することである。さらに、波佐見と有田の双方の意識や関係、および波佐見焼従事者が定義する波佐見焼の独自性についての検討も行う。
波佐見焼は、歴史・社会・経済的背景やその時代の消費者のニーズに応えるため、非常に短いスパンで、陶磁器製品を作り変え続けてきた。ニーズに合わせた波佐見焼の大量生産は、高価であった磁器を庶民が購入できる安価な陶磁器へと変えたという大きな特徴を持つ。本論文は、日本において重要な役割を果たした波佐見窯業の歴史を明らかにする点、また同時に、有田焼との比較を通して、波佐見焼の今後の方向性について考え、波佐見焼の振興について検討を行う点において意義を持つ。
第1章では、主に波佐見焼の現況をまとめる。ここで、国内の他の窯業産地と比較を行った結果、波佐見焼が長崎県下で重要な産業であるということが明らかになった。
第2章では、江戸時代の波佐見焼の歴史を取り上げる。波佐見、有田の品質と量のバランスに差異を生んだ要因として、第一に、海外輸出用製品の影響が挙げられる。有田には海外輸出以前からの染付技術の蓄積があり、それが海外需要に直接結びついたのに対し、波佐見には染付技術の蓄積がなく、海外輸出を行うにあたり低廉な染付製品しか生産できなかった。次に、原料の品質の差から、佐賀藩は技術漏洩防止の強固な管理と手厚い保護を行ったが、大村藩は保護体制が脆弱で、波佐見は有田焼の中から売れる製品を選択し、模倣する必要があったという、藩の窯業政策の違いについても挙げられる。
第3章では、ヒアリングの結果と文献資料から、波佐見焼従事者が「有田コンプレックス」なるものを持ち、またその歴史的背景を認識していることが明らかになった。さらに、波佐見焼従事者によって波佐見焼の独自性は「表現が自由自在である」と定義づけられた。
波佐見焼従事者が、ブランド力では「有田焼」に決して勝てないとする一方、有田焼を利用し発展してきた歴史がある。両者はお互いに意識し、それによって個々のアイデンティティを確立しながら、共存共栄する関係にあるようだ。
今、波佐見焼従事者は歴史的背景に裏打ちされた安価な製品イメージを脱しようともがいている。けれども逆に「表現が自由自在」である波佐見焼の長所を生かして時代のニーズに合わせ、また個々の窯元が独自性を持ち、逆境に強い波佐見焼として、これからもしぶとく生き延びるだろう。今後の波佐見焼は、各窯元が自社ブランドを確立して製品を生み出し、またロケーションを活用するなど、ただ販売するのではなく、観光としての側面を生かす必要がある。
観光と地域振興
九州小京都の事例から
田中 真希
本論文の目的は、九州において小京都と呼ばれている市町の事例から、観光イメージと観光文化の創造がいかに機能しているのかを考察することである。また、これからの観光の動向と観光政策の取り組みのあり方についても目を向ける。
第1章では、観光とはどのようなものか、成立背景や分類などの先行研究をまとめた。また分析枠組みとして、観光人類学における「文化の客体化」をはじめとする諸概念を概説し、京都イメージの模倣と流用という観点から小京都を考察するための理論的素地を整えた。
第2章では、全国の小京都の実態について明らかにするため、小京都創生の経緯と全国京都会議の詳細を文献調査及び聞き取り調査により明らかにした。小京都として認定されるには主として3つの条件があるが、実際にはこれらの条件が恣意的に適用されていることが明らかとなった。とりわけ、小京都観光には「町並み観光」としての特徴が色濃く表れており、こうした「視覚にうったえる観光対象」が、観光の現場で重要視されていることが明らかとなった。
第3章では、全国京都会議の九州ブロックに属する8つの市町にたいして行った聞き取り調査、及びアンケート調査の結果を検討した。九州の各小京都が、全国京都会議のような全国的な組織に加盟することで、他の自治体との情報交換や共同宣伝活動などを活発化させていることが明らかとなった。
結びでは、九州小京都の事例を受けて、現在のノスタルジア観光に「ふるさと」と「昭和」の2つの潮流があることが明らかとなった。また、観光が地域振興に生かされるためには、国家的取り組みと地域的な取り組みがともに必要とされていることを指摘した。
以上のことから、現在の日本の観光の流れの中で、ノスタルジアを対象とする「ノスタルジア観光」というものが存在しており、その一例が小京都観光であることは明らかである。小京都は単なる京都のミニチュアではなく、「小京都」という言葉から「京都らしさ」というイメージを持ち、客体化される価値があることを小京都の当事者たちも認識している。本論文ではこの現象にたいして「京都化」という概念を用いて説明を試みた。
小京都の今後には、2つの方向性が考えられる。町並みや文化など京都の面影を残し、京都らしいイメージの中で記憶される各小京都市町と、その土地の気候風土に合わせてはぐくんできた独自の文化を持つ小京都市町である。地域振興に活かされる観光には、国家的取り組みのみでなく地域的取り組みをも、重要となってくるだろう。
児童労働の再検討
アジア地域の事例にみられる定義と用法を用いて
向 香奈子
国際労働機関(ILO)の推計によれば、いわゆる児童労働に従事する5歳から17歳の子どもは全世界で2億4600万人にのぼり、その7割近い1億7100万人の子どもが、ILOの定義する「最悪の形態の児童労働」に従事するとされる。さらに、「最悪の形態の児童労働」に従事する子どものうち、7300万人は10歳未満である。
この現実に対処するため、国連を初めとする諸機関が児童労働の廃絶に向けた取り組みを展開しているにも関わらず、その取り組みは効果的になされているとは言えない。本論文はそうした事態の一因として、「児童労働」概念の定義が曖昧であり、なおかつ現実に即していない点に着目し、ILOによってなされている現在児童労働の定義を再検討することを目的としている。
第一章では、ILO138号条約および182号条約と、それに付随するいくつかの条約および宣言を取り上げ、問題点を指摘した。第二章では、アジア地域の事例の中での定義、用法、児童労働の現状を述べ、ILOによる定義との比較を行った。第三章では、第一章で述べたILO定義の問題点と、第二章で行ったアジア地域の事例との比較をもとに、現在の児童労働の定義の検討を行った。
第一章で考察したILO条約の問題点として、就業の可否を年齢で決めているという点が挙げられる。児童労働が存在するとされている国は主に途上国であり、出生登録率が低い国が多く、年齢による区分が必ずしも効果があるとは限らない。またそうした基準が、「子どもの働く権利」を奪うことにもなりかねないことを明らかにした。
第二章では、アジア地域(ネパール、ミャンマー、インドおよびパキスタン)の事例とILOの定義を比較して、国際条約の内容に各国の国内法が合致していないこと、各事例が家庭内労働を含んでいることを相違点として挙げ、国別の出生登録率の低さから年齢によって労働の可否を決めることが容易ではないことを指摘した。
第三章では、第一章と第二章の内容を整理し、国際条約と国内法の内容に差異がある理由として、国連の条約適用勧告専門委員会が法規主義的であることを述べ、児童労働の形態が国や地域によって様々であることから、それぞれの国に対して柔軟な監視体制を敷くことが必要だと指摘した。
年齢による区分では子どもの働く権利を奪いかねず、生活上必要とされている労働も禁止の対象となりかねない。現在の年齢による区分の定義ではなく、ILO182号条約に定める「最悪の形態」をなす労働を、児童労働の定義の柱とするべきだと結論付けた。
ヘルスリテラシーと「素人の知」
若者の健康志向におけるバランス感覚
森 美里
健康至高主義の現代において、人々はヘルスリテラシー、つまり健康に関する情報を読み解く能力をもつことが求められる。人々がすでに獲得し活用しているリテラシー、「素人の知」が本論文のテーマである。その知識の実在を確かめ、その形成過程および活用のされ方、そこで働くバランス感覚を明らかにすることが本論文の目的である。
本研究の意義であるが、いわゆる「素人の知」は、私の個人的な興味の域を出て、社会学においてはこれからの重要な研究テーマであるとされている。柄本は、1990年代から、支配的専門家の知の考察から、たんに抑圧されているだけでない素人の知の考察へのシフトがおこり、彼らの知と実践を論じるときに来ていると主張している。その背景のひとつには、医療問題が大衆化し、医療に関わるときに人々の自己決定が必要とされる場面が増えてきたからだと考えられている。そこで必要とされるのは、科学的な知識ではなく、人々の身体に対するそれぞれの知覚や経験なのだ。人々が日常生活の中で使用する「素人の知」は、まさに人々の知覚や経験に裏づけされた重要な知識であり、ここから素人の知に着目する本研究は必要性があるといえよう。
第一章では、「健康」に関する基本的な情報を整理した。思想の面では、「養生」と「健康」という似て非なる「健康観」を比較し、現代の健康志向は「健康であるかの基準は、感覚的に捉えられる」養生的な性質をもつことを明らかにした。また、健康は言説であるという前提のもと、「素人の知」を生む契機となる社会での活動について言及し、自ら「健康知」を獲得しようとする人々の姿を明らかにした。その他「素人の知」には、健康の悪影響を免れようとする心理があり、フードファディズムという健康への影響を過大評価する傾向に陥りやすいと指摘した。
第2、 3章では、長崎大学の学生の食物選択を対象にした調査をもとに、素人の知の実践の方法とその形成過程を明らかにした。第2章において、長崎大学の学生の特徴として、野菜の摂取に対し「積極的タイプ」と「消極的タイプ」があること、また野菜の摂取に対する独自のバランス感覚を持っていることを明らかにしたことは重要な点であろう。3章では、素人の知の実践について柄本の分類に若干変更を加えて、実際の学生の発言から裏づけをとりつつ分析を進めた。素人の知の実践や形成過程のみでなく、その知の実践がはらむ問題点も取り上げた。
結論として、「素人の知」とは、「経験知」を重視した、独自性の強いものであり、感覚的で恣意的なものである。その特徴ゆえ「健康であること」という本来の目的から逸脱しかねないが、彼らにとっては、ヘルスリテラシーであり、「健康」の行く末の検討のため、さらに「素人の知」に着目していく必要があろう。
長崎における河童伝承の現代的展開
星野千瞳
本論分のテーマは架空の存在である河童を、人間と環境、とくに水にまつわる環境との仲介者としてとらえ、社会における役割を評価することである。
論文全体は二つの章からなる。第一章では河童伝承に見られるイメージの変遷をまとめ、第二章では長崎市の中島川流域に伝わる河童伝承を取り上げた。調査はおもに文献によるもので、一部現地での視察を行った。
第一章では、柳田國男をはじめとした先行の研究者による成果を踏まえて、河童の特徴やその成り立ちをまとめた。人々の河童存在の認識の変化はその河童をとりまく環境の変化につながるものであり、河童イメージ成立と移り変わりに重点を置いて本章を構成した。
先行研究より、河童が水辺の怪物の中心的・標準的存在となるのが近世以後からであり、またその原因となるのが当時の本草学・博物学的調査であることが明らかになった。それ以前の水妖としての様々な性質、水神の要素も、近世の統一的「河童」の中に受け継がれており、そのことは例としてあげた民話の中にも見ることができる。
また近世における河童イメージの変遷の延長線上に位置する、河童自体の現代における一般像について第一章の最後に具体例をまじえながら紹介した。これは先行研究が直接的には触れていない分野である。
第二章では、長崎に残る河童の伝承と関連史跡についてまとめ、第一章において解説した河童と水神の結びつきをまじえて論じた。まず長崎県下における河童伝承のあらましを全国の事例と比較しながら記述し、ついで長崎市の中島川流域に対象を絞って資料の整理を行った。
中島川流域には河童伝承がいくつもあったが、江戸時代初期に水神神社が建てられた後に、水神信仰との統合が起こり、また水神祭や在来のさまざまな伝承が習合するかたちで、水と人々との間の象徴的な関係が築かれてきたといえる。
しかし、こうした儀礼的習慣は戦後にはほとんどが失われた。河川環境の保全と回復のためには、そうして失われた「人と水環境を媒介する河童伝承や神社」にかわる、抽象的媒介者の新しいあり方が必要ではないかという問題提起を行って結論とした。
2期生の卒論要旨はこちら


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