「長崎さるく」にみる観光資源の再発見
囲 光
近年、観光に対する意識の高まりがみられており、以前に比べると人々が観光に求めるものも変化している。単に観光施設を巡るだけの観光の時代は終わり、観光客だけでなく、観光客を受け入れる地域住民の重要性もが主張されるようになった。そして、全国各地で地域住民主体の観光を通したまちづくりが行われ、 2006年に長崎市でも「長崎さるく博'06」という新たな観光の形が提示された。
本論文では、現在も行われている「長崎さるく」における観光資源の再発見に焦点を当て、この「まち歩き博覧会」の可能性を検証していくこととする。さらに、この観光資源が「長崎さるく」の中で新たに発見し直されていることを明らかにし、観光資源が再発見される過程における地域住民の関わりについて明らかにしていく。
第1章では近年における観光の傾向と、長崎観光の歴史および現状について述べ、過去に発行された観光パンフレットを元に主要観光スポットの定着について検証した。
続く第2章では、「長崎さるく博'06」と「長崎さるく」の概要について述べ、第3章では筆者が「長崎さるく」で実施されている通さるくの10コースを、延べ11回にわたり参加して得た資料から、それぞれのコースについて詳しく分析を行った。
更に第4章では、第3章で明らかにする観光資源の再発見と、それに関わる市民プロデューサー、さるくガイド、参加者である長崎市民の3つのアクターについて検証した。そして、その中で特にさるくガイドの役割について目を向け、地域住民が主体となる観光まちづくりのあり方について検討を加えた。
長崎さるくにおいてはガイドは、コースマップだけでは伝わらない長崎の魅力を引き出し、再構成して参加者に伝えている。さらには、市民プロデューサーと参加者の間にさるくガイドが介入することにより、再発見された観光資源をそのまま見せるのではなく、ガイドなりの工夫がなされ、コースによっては物語性が感じられるようになっている。つまり、通さるくの1つのコースの中で何に重点を置くか、何をコンセプトにするかはガイド次第である。
このように、地域住民、長崎さるくにおいてはとりわけ長崎市民で構成されるさるくガイドとの関わりがあってこそ、観光客にとっての「新たな発見」にとどまらず、参加者である長崎市民にとっても「長崎の再発見」に繋がっているのである。
県民性イメージの構築について:長崎大学生を対象としたインタビュー調査より
金谷由美
本研究は、近年注目を浴びている「県民性」論を検証し、人々が他県に対して抱く「県民性」イメージの形成過程を明らかにすることを目的としている。
1991年に国民生活白書が「生活の豊かさ指標(地域別豊かさ指標)」を発表したことから、昨今「県民性」に関する話題がテレビや書籍、インターネットのサイト等で多く取り上げられるようになった。
「県民性」という言葉は辞書には載っていないが、水口禮治(1992)によると「県民性」とは「県人に共通に見られる人格的特徴」のことであり、その他の書物では、社会構造や民俗習慣の地方差、日本の国民性における地域差、地域ごとの性格や行動の特徴、それぞれの県や地方に長い間受け継がれてきた特有の気質などとされている。
まず、第1章にて従来の県民性論を検証することで、県民性の論じられ方が時代とともに変化し、研究対象としてよりも、趣味的対象として比重が置かれるようになっていることを明らかにした。また近年では、「県民性」がテレビやインターネット等のメディアにおいても数多く取り上げられるようになり、それによって人々の間に県民性イメージが多分に定着しているのではないかと考えられると指摘した。
これらを踏まえた上で、第2章では、長崎大学の学生を対象とした県民性イメージの聞き取り調査をもとに、イメージとその根拠の関係性について、全国・地方・都道府県レベルでの分析を行った。その結果から(1)情報選択とイメージの多様性、(2)ステレオタイプによる県民性イメージの固定化、(3)イメージと情報量の関係性、の3つの推測がなされた。
第3章ではこの推測の妥当性を検証するために、心理学的枠組みを用い分析を行った。その結果、イメージには、個人的な体験をもとに形成され、基本的に個人の心理活動に属しているという基本特性があるため、回答者により多様なイメージが回答されたことは当然であるということが明らかとなった。しかし、回答されたイメージを詳細にみてみると、表現の仕方や根拠は多様であるものの、県民性イメージそのものは、情報のステレオタイプ的認知によってつくられているということがわかった。
本論文における結論は、あくまで長崎大学の学生において見られた傾向であるため、県民性イメージの構築のすべてに当てはまるとは限らない。県民性イメージのさらなる理解のためには、より広い視野のもとでの分析と更なる検討が必要である。
ボスニア紛争における性犯罪の事例から
田崎 洋平
冷戦以後、民族紛争は各地で多発している。その紛争の特徴は、犠牲者のほとんどが兵士ではなく、一般の市民であるということだ。大量の市民が殺戮され、極端な場合には「全民族の虐殺」あるいは「民族浄化」などの形態をとる場合も多い。特に、ボスニア紛争ではレイプや暴行などの性暴力によって多くの女性が被害にあった。悲惨であるとされたのが、レイプをしたあとで女性を閉じこめて監禁し強制的に出産させるという手法であった。
ボスニア紛争において女性への性犯罪が多かったことに注目し、なぜセルビア人がムスリムに対して性犯罪を行ったのかを明らかにするのが本論文での目的である。第1章ではボスニア・ヘルツェゴビナの歴史をふりかえり、ボスニア紛争の要因とされる民族意識がいかに形成されたかを考察した。ボスニア紛争とはセルビアやクロアチアといった国の民族主義者によって民族的に対立「させられた」ために起きた紛争である。第2章では、ボスニア紛争の概要、さらには一般的な紛争の中での性犯罪を取り上げ、ボスニア紛争で行われた性犯罪の特徴を指摘した。ボスニアで起きた性犯罪では、住民を追放する「民族浄化」の過程において組織的に「女性への性暴力」が行われた。第3章では、旧ユーゴ裁判資料や文献資料などから性暴力の被害者となったムスリム女性の証言を取り上げ、セルビア人がなぜ性犯罪を行ったのかを検討した。セルビア男性はセルビア男性との間にできた子供はセルビアの子供、ムスリム男性との間にできた子供はムスリムの子供とシンプルに考えていた可能性が高い。セルビア人が行った「妊娠させるためのレイプ」は、「チュトニックの子供」を増やすことを目的としていたのである。さらに、セルビア人のレイプは、単にレイプ被害者のみを傷つけただけではなく、家族や共同体も破壊するレイプとして機能していたと指摘した。第4章では、セルビア人によるレイプ事件がなぜ「民族浄化」のなかで発生したのか、そして犯罪が当事者のエスニック・アイデンティティにとってどのような意味を持つのかを論じた。セルビア人によるムスリム女性へのレイプは、ムスリム「エスニック集団」のエスニック・アイデンティティを混乱させ、ムスリムの「ネイション」化を阻止しつつ、「エスニック集団」のレベルにとどめることにつながった。そのことがさらにセルビア「エスニック集団」のエスニック・ナショナリズムを高騰させることにつながったという意味において、ジェンダー観年とエスニック・アイデンティティとのあいだには結びつきがある。
「エスニック集団」であるセルビア人の男たちは、自らの「ネイション−ステイト」を築き、その領土をナショナルなものに変えようとする過程でレイプや暴力を用い、エスニック・ナショナリズムを高揚させ、セルビア「エスニック集団」内部における男性の支配力を高めようとしたのである。
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