博士論文
アイデンティティとしての「周辺」:エチオピア南部における近代の物語
学位請求論文(東京都立大学社会科学研究科 社博第96号 2003年)
増田 研
論文要旨
本論文は、エチオピア南部バンナ社会の事例を中心に、20世紀のバンナとエチオピア国家の関係を動態的に記述することを通して、政治・経済・文化という回路を通じた支配と抵抗のあり方を分析するものである。また同時に、エチオピア人類学研究における既存のパラダイムを相対化し、その問題点を指摘し、より精密な分析枠組みを提供することをもその目的としている。
エチオピアの人類学研究において、その中心的な分析枠組みとなってきたのは、国家と民族の関係を「中心」と「周辺」の関係として捉えるものである。本論文ではそれを中心/周辺パラダイムとよぶ。これは世界システム論や広い意味でのポストモダン研究の影響を受けて、それ以前の静態的な民族誌記述にかわるものとして構想され、なおかつエチオピア学(言語学、歴史学など)における周辺民軽視への異議申し立てとして組み立てられたパラダイムである。
本論文もまた、この中心/周辺パラダイムから出発する。周辺としてのバンナは、エチオピア国家より圧政の標的とされ、経済的搾取の対象となり、なおかつその文化すら否定され続けてきた。ここではこうした事例を、バンナの人々が語る「歴史」として提出する。そこから見えてくるのは、あらゆる意味で「周辺」として位置づけられたマイノリティの姿であり、なおかつエチオピアの国内植民地的なあり方である。
国家はバンナのような周辺社会を、まさに「周辺」として定義し続けることで、国家の体を成してきたといえる。したがって本論文における民族誌記述は、バンナ内部だけに閉じたものではあり得ず、バンナの内部と外部をつねに相互参照しながらすすめられることになる。
第1部「社会を律する価値」(1-3章)では、まず第1章「権力とジェンダー/セニオリティ」ではバンナ社会の、いわゆる伝統的価値観を提示する。そこではバンナがジェンダー区分を明確に設定し、なおかつ相対的な年齢の序列に基づいた社会編成をしていること、および成人男性(ドンザ)の政治権力と、儀礼首長(ビタ)の呪術的な力が大きな役割を果たしていることを示す。その際に、理解の鍵となるのはすべての豊饒をもたらすカミ観念、バルジョである。ドンザたちやビタは、祝福の技法(ファツィ)によってバルジョに対して唱えごとをする権利を与えられており、これによって彼らにはバンナ社会の運営に対する排他的な権力を保証される。また彼らには祖霊(メーシ)による災いを回避するための儀礼的力が備わっているとされる。こうした観念に取り巻かれて、ドンザを中心として構成されたバンナの社会秩序を、本稿ではドンザ・イデオロギーと呼ぶ。
第2章「洗い落とされるミンギ」と第3章「性・婚姻・嫡出性」は、第1章を補完するものである。ここでは規範からの逸脱を意味する「ミンギ」の観念が、「あるべき人間」とそうでない人間とを隔てるものとして析出される。ここでの分析は、後にバンナであることをやめた人々についての分析のための予備考察となる。
第3章では、正当な嫡出性を持つ子供のみが出生を許されるという規範が、ジェンダーとセクシュアリティの問題として提出される。バンナにおいては規範上、「既婚女性が出産した子供」でなければ生存が許されない。そのようにして生まれた子供は「産んだ女性の夫」の子供として認知され、父親のクランに組み入れられる。しかし女性は、夫の死後もバスキといわれる愛人関係によって、亡夫の夫を産み続けることが可能である。ここから生物学的母を通じた母系的側面が観察されるものの、イデオロギー上は社会的父の存在が不可欠であることが分かる。本章では、こうした「社会的父」となる為の条件として、男性に成人儀礼が課されていることを明らかにし、第1章で論じた成人儀礼が、単に個人の人生過程の一部としてだけではなく、バンナ的規範に従った「正しいバンナ人」として認知されるための条件であることが明らかにされる。
第2部「周辺的状況」の2つの章(4-5章)は、政治と経済にかかわる周辺的状況を記述する。
第4章「武装する周辺」では、過去100年間にバンナが使用してきた銃と戦いの記憶を通して、バンナが自身の周辺的状況をどのように想像してきたのかを考察する。バンナにおいて銃は狩猟や殺人のための道具として、また「男らしさ」を表示する象徴的記号として重要な役割を担ってきた。この章では、こうした銃のあり方を、エチオピア国家との政治的関係を通観し、その中に位置づけることで、明らかにする。銃は贈与や交換といった形で国家から与えられたが、それらがやがて敵(ガル)に対する抵抗活動に利用されるようになった。しかしバンナによる政府への「抵抗」は、国家支配に対する抵抗というよりは、政府による搾取や人的被害といった、個別の損失に対する復讐という側面が強く、たとえば政府の転覆や独立志向をもったゲリラ戦などは展開されていない。その意味で、バンナでは「近代国家の一部」としての自己像が明確には描けていなかったことが分かる。ここからバンナにおける「「周辺」アイデンティティ」は、少なくとも武力闘争を通じては強くは醸成されていなかったと言える。
第5章「豊かな南、貧しい南」では、自然資源の宝庫として見いだされた南部が、どのようにして世界との経済的回路に接続したのかを考察する。バンナを含む南部一帯は、エチオピア政府によってまず資源資源の宝庫としてとらえられ、象牙や牛、蜂蜜などが搾取や略奪の対象となった。バンナは政府から与えられた銃によってこれらの動物を狩り、象牙や毛皮を譲渡することでエチオピア中央部との政治的、経済的な関係を取り結んだ。20世紀半ばには道路網の整備によりマーケットネットワークが確立された。これらのことは、エチオピア南部地域が、エチオピア中央部との関係を結んだことのみならず、広くグローバルな政治経済関係に接続したことを意味する。こうした関係は、メタレベルからみれば近代世界システムへのエチオピア南部の包摂として捉えられるが、たとえばバンナの人びとの歴史経験からいえば、「大きなシステムへの包摂」というよりは、「外部との関係の始まり」であった。
第3部「闇から光へ」(6-7章)では、1970年代以降の社会変化として、福音派キリスト教と学校教育を取り上げる。この2つの章は、外部からの言説支配の可能性という点において密接に関連しており、なおかつ文化の政治性を明瞭に示すものとして位置づけられる。
第6章「異文化としての福音」では、北米からもたらされた福音派教会の活動を記述し、改宗者と非改宗者の間の葛藤関係を描く。バンナ・クリスチャンは1990年代にはいって信者を増やしている。筆者の調査地であるボリ村では、この頃から村の一画にクリスチャンが集まって居住するコミュニティが形成されるようになった。本章ではまず、エチオピアにおける福音者ミッションの歴史を概観し、次いでバンナ・クリスチャンたちの改宗の動機について分析した。これらの分析を通して、改宗がかならずしも宗教的な理由だけではなく、むしろバンナの伝統的価値観からの離脱として捉えられ得ることが分かった。この分析結果から、ドンザたちの間の反キリスト教感情も理解することが可能である。また福音派のキリスト教徒たちが、エチオピアの支配的民族であるとされるアムハラの風俗を生活に取り入れている点に着目し、こうしたキリスト教徒たちの動向が、エチオピア研究においていわれてきた「アムハラ化」の側面を持つことを指摘した。
第7章「バンナがエチオピア人になるとき」では、学校教育をとおして、国家による価値の開発がバンナ社会にもたらす影響を考える。とくにバンナにおいて強く否定される女子の就学を中心的に取り上げ、その葛藤の根源をバンナの伝統的価値観と、国家による近代化言説の両面から照らし出すことを試みた。こうした葛藤は、文化や価値観の対立としてとらえることが可能である。近代学校教育はその意味で、アムハラ語による「アムハラ文化」の伝達であり、バンナにとっては、子どもたちの「非バンナ化」を促進するものと映るのである。学生たちへのインタビューからも、彼らが学校教育を通じてバンナ的価値観を相対化し、国家における「「周辺」部としてアイデンティファイする態度を身につけつつあることが明らかとなった。
第4部(8-9章)では補完的な資料の提示と分析を行い、総合的かつ理論的な考察をおこなう。
第8章「中心/周辺論の再検討」では、この地域において長年にわたって続けられてきた民族間関係研究を、中心/周辺パラダイムの立場から批判的に考察する。まず従来の民族間関係論を、国家などの外部からの影響を度外視した自律的な民族間関係を扱ったという意味でエスノシステム(民族系)論としてくくり、その特性を検討した。ここではエスノシステム論を、生態・環境や土着文化に過度に力点を置いた一種の決定論であるとして批判をおこなった。その上で、中心/周辺パラダイムの検討では、このパラダイムがエチオピアにおける中心/周辺構造を事後的に追認する危険性を指摘し、この構造を脱中心化するためには、まず「中心」のあり方そのものを検討する必要があることを確認した。エチオピア「周辺」部を「周辺」としてあらしめる構造を解明するためには、「周辺」を「周辺」として呑み込んできた「中心」を解体することが必要なのである。結論として、エスノシステム論と中心/周辺論は、まったく異なる視角からなされた理論でありながら、「周辺」社会の理解のために相互補完的に利用されるべきであると論じられる。
第9章「バンナの「近代」」では、これまでの考察を総合する。その際、鍵となるのは「近代」と「物語」である。バンナの20世紀は、広い意味での「近代」を拒絶する歴史であったといえる。にもかかわらず、銃、市場、キリスト教、学校教育などを通じて「近代的なるもの」は否応なくその触手を伸ばしてくる。このような事態を語る彼らの物語、近代化を唱える国家の物語、そして鳥瞰的な視点から「周辺」を語る人類学の物語、これらをすべて相対化しつつ、なおかつ自らを周辺として認識するアイデンティティ、「周辺民」を「周辺民」として同定する権力作用、世界システム的な視野からその「部分」を切り出して論じてきた人類学の言説といった二重三重に折り畳まれた状況を対象化しながら、本論文はそのメタ・ナラティブたることを目指すのである。