Talk173:平成20年度を省みる:前編
(Apr. 5/2009)
かなり長いこと、このTalkを更新していなかった。その原因として思いつくのは、だいたい3つ、つまり「忙しいじゃん」「面倒じゃん」「ジャーナルがあるじゃん」、といったところだ。とくに最後のところは、このTalkというコーナーの存続を左右しかねないだけでなく、lalombe's website全体の構造に関わる重要論点である。
そもそもWork journalというのは、長崎大学に着任してからほどなく、日常の出来事(とくに大学生活)を書き留めておくつもりで始められたもので、場所を移動しつつも、もう4年半も続いている。現在のWork Journal4になってからでも、すでに2年経ってしまった。あちこち相当にぼやかしたり、都合の悪いことをごまかして書いたり、時にはウソを書いたりと、まあいろいろ操作しているわりには、自分の仕事をふり返るのには大変に役に立っている。(とくに年末/年度末の報告書を仕上げるときには、このジャーナルを読み返すことが欠かせない)。
個人運営による、ウェブログスタイルのサイトとしては、けっこう長続きしているほうだろう。読者数も一日あたり100人〜200人の間で安定しているし、固定的で友好的な読者にも恵まれている。逆に一日に1000人もアクセスするサイトになってしまったら店じまいしようとも思ってる。だってどんな気味の悪い人が見に来てるか、分からないでしょ? 研究書だって初版500部くらいだっていうし。
では一体だれが私のジャーナルを読んでいるのか。私がすぐに顔を思い浮かべられるのは20人〜30人ほどなので、あとの部分は私に気付かれないまま読み続けている読者、ということになる。そのなかには私の知人や友人、研究者仲間もいるだろうが、最近になって長崎大学内にもかなりの数の定期的訪問者たちがいることを知った。そのほとんどが他学部の先生方である。これはじつは、あまり想定していなかったことだ。
まことに、文字媒体で何かを表明するというのはリスキーなことである。黙っている方がよっぽど安全だ。
ただ、私自身は、自分が書いたことをどんなふうに読んでもらっても構わないとは思っている。いまのところ匿名でメールを送りつけてきたり、コメント欄に深いな書き込みをする不逞の輩はほとんどいない。(実際にはわずかながら、いる。)
現役の大学の教員が、実名と身分とをさらして、大学生活を綴る(それもほとんど毎日)というサイトは、あまりないのかも知れない。よって時には、まったく見ず知らずの、どこかの大学の先生からメールやコメント、励ましの言葉をいただくこともある。大学でのことについて、「これはちょっとホンネを書きすぎたかな?」と思うこともあるし、「かなりウソ書いちゃったな」と思うこともある。ジャーナルとはいってもしょせん公開前提なんであって、ウソや脚色は当たり前だ。ここに書いてあることがすべて事実だと思って情報収集している人がいたら(そんなストーカーがいたとして……だけど・笑)、悪いけれどそれはムリだと思ってほしい。
実際には日常あったことを細大漏らさず書くことなど不可能で、たとえ事実を淡々と記述したとしてもかなりの情報が間引かれているし、むしろ書かれていないことのほうがよっぽど多い。そんななかで、今回は「とっても忙しかった」平成20年度を、自分のジャーナルを読み返すことでふり返ろうというのが趣旨だ。そうやって猛反省することで、新しい年度につなげたいのである。
2008年4月
平成20年の前期は授業数「週平均8コマ」だった。もっとも多い週で10コマやっている。そのストレスのせいなのか、月初めには授業中にいきなり耳鳴りがして、左耳が聞こえなくなってしまった。ちょうど浜崎あゆみの突発性難聴の話題の後だったので、これはまずいと、耳鼻科に駆け込んだ。
研究関係では個人研究の科研費が当たり、エチオピアでの調査の目処が立った。個人での申請だったが、実施に当たり共同研究者を一人追加した。共同研究の科研も滑り出したので、研究に関してお金の面での不安は取り除かれた。あとは時間が確保できればいいのだが……。
4月末にナイル・エチオピア学会があり(運営幹事なので参加しないわけにいかない)、弘前まで出かけた。研究発表をやり、懇親会で憧れのデヴィッド・タートン先生(ちょうど来日されていた)に拝謁する。私の英語論文をすべて読んでいてくださっていたことを知り、感激する。弘前公園の桜が美しかった。
長崎大では学部企画(?)の国際シンポジウムがあり、急遽発表と全体の司会進行を依頼された。私よりもずっと英語がお上手な先生がたくさんいるのに……。
ほかにも「新企画を考えろ」と言われたり(そして、やっぱあれはなかったことにという不条理な結末になったり)、卒論の指導が本格化したり、マルチメディア室が稼働したり。マルチメディア室については管理人に指名されてしまったが、経緯を考えればしかたない。ただ、これはけっこう大変な仕事だということが、後になって分かる。
4月26日、福井勝義先生が逝去された。急いで京都に向かい葬儀に参列。京都からもどってすぐにCHOHOの取材を受ける。
しっかり休めたのは2日だけ、作ったポスターは1枚。ポスターを作るのはデザインに半日、チェックに数時間、プリントに数時間かかるので、結局一日以上かかってしまう。もちろん無料奉仕であり、業績にもカウントされない。ただ「あいつに頼めばポスターを作ってもらえる」という実績(?)だけが残ってしまう。
2008年5月
博士課程の授業が本格的に始まるが、外国人ばかりを相手に英語でやることになってしまった。長崎大で新たな巨大研究プロジェクトの準備に関わり、月末には京都でアフリカ学会に参加した。
メインのマシンをPowerBook G4からMacBookに替え、Windowsもインストールした。GISのソフトウェアも使えるようにした。
国際健康開発研究科(MPH)の院生2人の指導教員になる。ほかに2人の副指導教員にもなった。(副指導のうち1人は、のちに主指導に変更)。
前月にクルマがダメになってしまったので、おなじ車種をディーラーに探してもらった。生まれて初めてクルマのローンを組む。
論文のリバイズに時間がかかった。なぜなら細切れ時間しか手に入れられないから。
ゼミの全体飲み会で誕生日を祝ってもらった。けっこうなサプライズで、NM(みっこ)の誕生日を祝うのだと思っていたら「はっぴーばーすでー でぃーあみっこーーーー、っと、せんせー♪)と歌ってもらって感激。ケーキがなぜか「Happy Wedding」になっていた(笑)。
ゼミ生YSが、私のインストラクション通りに幽体離脱に成功した。
教育関連の経費の請求書類を2つ作る。2つとも当たる。
「時間がない」のと「時間がない感」の違いを発見する。
2008年6月
月初めにぎっくり腰をやり、その後しばらく身体の自由がきかなかった。鍼治療に通い出す。
恒常的に授業準備に追われた。基礎演習でマルチメディア室を本格稼働させ、MPHゼミ、卒論のデータ収集も軌道に乗り始める。MPHについては研究計画発表会があり、急ごしらえの計画ドラフトとパワーポイントの作成に時間をかけ、夜9時までゼミをやったことも。同じくMPHの件で読売新聞の取材を受けた。
17日に40歳の誕生日を迎えたが、院生のSHさんもおなじ誕生日なので一緒に祝ってもらう。その前日に甥が生まれた(きっかり40年違い!)。これで二重の意味でオジサンになった。
4日ほど休みの日を確保したが、ほとんど家事労働に明け暮れた。
2008年7月
腰痛が長引き、鍼治療を続けた。
研究生Sさんの個人指導(ネパール民族誌と日本語レッスン)を再開。Nさんの修論指導もやった。ゼミ生NMのGPS調査が進んだ。
長崎大学に招聘したエチオピア人の歴史学者テカリン・ウォルデ=マリアム先生が到着されたので、空き時間のほとんどはお世話で明け暮れた。この月は日本語よりも英語を話していた時間が長かった気がする。
長崎大学の広報誌であるCHOHOに、MPHスタッフとして登場した。去年のおなじ月の号には環境科学部のスタッフとして出ていたので、これで2年連続の露出になってしまった。行きつけの耳鼻科で「CHOHO見ました」といわれた。
どういうわけか教務の雑用が忙しかった。中身を思い出せない細かな業務がたくさんあった。
基礎演習の映像作品が完成したが、短時間にしては素晴らしい作品にしあがっている。
院生SHとORに「エチオピアに行きたい」と言われる。経費に余裕があったので科研調査に同行させることに決定。院ゼミ(国際保健学演習)にマックス10人が来る。
月末に修論中間発表会と、その準備。3年生の3ゼミ合同飲み会を開き、20人近くで壮絶なカラオケをやる。
同じく月末にはテカリン先生を連れて京都へ出張。
作ったポスターは1枚。
2008年8月
月初めに大阪大学での集中講義があったので、その直前は雑用で忙殺された。大阪から帰ってからも成績処理に追われる。授業が多い上に、受講生も多いので、数百人分の採点と評価を数日でこなさなければならなかった。
NMの卒論に関して9日に原爆関連慰霊祭の調査をやり、長崎にいたゼミ生を総動員した。
相変わらず鍼治療を続ける。ゼミ卒業生TYが帰省してきたので、KHも呼んでゼミの思い出話に花を咲かせる。
15日にテカリン先生を精霊流しに誘う。精霊船を曳いている人から缶ビールと爆竹をもらった。
生活の一部が鎌倉に移転することになったので、荷物の整理に追われた。月末にはテカリン先生も帰国されたのでその荷物もまとめた。この頃はパッキングばかりやっていた気がする。
3日ほど鎌倉で休暇を過ごす。
月末には、もはや恒例となったFDでの講師を勤める。研究ではGIS作業をすこしだけ進めることが出来た。MPH院生は短期インターンシップでバングラへ。
研究室に「本日は アポなし面会 お断り なんだな」の貼り紙をする。
2008年9月
月の前半は中国への出張。文部科学省からの委託調査で、なぜか調査メンバーに入ってしまった。これにより科研費でのエチオピア渡航をあきらめたが、中国での仕事はまことに面白かった。
中旬には神戸市外語大での集中講義。この大学での講義はもう7年目だ。
9/20頃から4日ほど休暇(これで夏休みを消化した)。
中国出張の報告書を書くのに時間がかかる。
月末に伊王島でゼミBBQ、
作ったポスターは1枚。
末日より院ゼミ再開。
お世話と出張とで、あっという間の夏休みだった。書き上げようと思っていた原稿はほとんど進められなかった。
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