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Talk174:平成20年度を省みる:後編

(Apr. 5/2009) 


 ジャーナルでの私はいつも愚痴やら文句やら、そんなことばかり書いているのだが、ふと過去のエントリーを覗いてみれば、毎年同じ時期に、ほとんど同じ愚痴が書かれている。これはいったい何を意味するのか。

 毎年、同じ時期に、おなじようなことを考え、書いている。つまり何も進歩していないし、改善もされていない。自分が変わっていないし、環境も変わっていない、むしろ悪化さえしている。こんなことを繰り返していて良いわけがない。

 忙しい、ということをひたすら書き続けるのは、それほど生産的なことではないだろう。ここでそんなことを書いてところで何かが変わるわけではないのだ。環境が変わらないなら自分で変わるしかない。環境が改善されるのを待つのは時間のムダだ、というのはおそらく誰もが共有できる教訓だろう。

 そのために、いちいちふり返るのだ。

 ところで「忙しい」というのは一般には「やることが多くて時間がない」ことである。時間がないのは大変つらい。たとえば平成20年度の後期はバタバタし通しで、授業や会議の合間にお茶を飲む余裕すらないとか、昼飯がとれないから学生にお願いして弁当を買ってきてもらう、というようなことだって多かった。いろいろと「お仕事」に関わっていると、自分の研究など優先順位最下位になってしまう。一体何のために大学教員になったんだろう、と思うことしきりである。

 ただ私は、「時間がない」ことよりも、「時間がない感」のほうがタチが悪いと思っている。

 じつは「仕事」には二種類ある。それは「鉛筆で打った点」と「筆で滲ませた点」の違いである。鉛筆を持ち、紙に突き立てたとしよう。そこにはひとつのドットが打たれる。これがひとつの仕事だ。私が大学でやる仕事でいうと、出席だけしていればいい会議とか、試験監督とか、そういったものがこれに相当する。一回こっきりやってしまえばそれで終わり。前にも後にもなんにも心配することはないし、終わってしまえばそれっきり、そういう仕事だ。

 それにくらべて後者の「筆で滲ませた」ような仕事はどうだろう? 今年の私みたいに教務委員というやたらと宿題の多い委員会に名を連ねて、学部のゼミ生が13人いて、大学院生が3人いて、副指導の院生が2人いて、研究生が1人いて、週に8コマも9コマも授業をやるとなると、それらが一つ一つの「筆で滲ませた」点である。紙はあっという間に滲みで埋め尽くされる。ひとつの仕事にはたくさんの心配事と打ち合わせと調整と会議と準備と後始末がつきまとい、それらがあたかもインクの染みのように紙に広がっていく。

 最近のジャーナルで「関与」という言葉を使って書いたのは、こういう部分だ。

 おそらく要領が悪いからだろうけれど、わたしの場合はひとつの点を打つと、滲みがばあーっと広がってしまうので、あっという間にオーバーフローしてしまう。これが目下の改善すべき点だ。滲みはできるだけ狭い範囲に、というのが新しい年の努力目標になるだろうか。


2008年10月

 後期が始まる。週平均7コマと相変わらず多いが、授業のノリは総じて良く、講義をしていても楽しい。ただし空き時間の論文指導がハンパじゃない。忙しすぎて一人では仕事が回らなくなる。

 10月を通して喉の調子が悪かった。

 上旬には集中して原稿書きをしたが、結局〆切には間に合わなかった。8月に自分のための時間を取れなかったのが敗因と分析。

 週末は家事労働にあけくれる。

 文化環境コロキアムの準備がはじまり、タイムテーブルの作成やポスターの制作を行う。

 学部のゼミでは3年と4年の合同ゼミを3週間にわたって行った。

 休んだ日……3日くらい?


2008年11月

 初旬の1日から3日までしっかり休み、すこしだけ研究っぽいことに没頭した。

 4日〜6日は文化環境コロキアムで、事務局としてバタバタと手配をする。増田ゼミ生の発表は上々。

 今だから書くが、この頃は他ゼミの学生の卒論相談まで受けていた(今年に始まったことじゃないが)。 教養セミナー委員としての調整仕事、それに教務の仕事がめちゃくちゃ忙しい。

 MPH院生の研究計画書作成が本格化し、文教と坂本の往復生活が始まる。研究生のSさんが調査のため東京へ向かった。

 毎年そうなのだが、11月は本当に忙しい。一日が終わるのがとても早い。


2008年12月

 初日をまったりすごしたあとは、ほとんど休めなかった。卒論の指導がきつくなってきて、週末も卒論の添削をするようなありさまである。MPH院生の英文プロポーザル添削も始まった。ゼミでは3年生の卒論テーマ絞り込みが始まる。

 編集的な仕事に時間を取られる。

 初旬から中旬にかけてプールに通った。数日通ったら確実に体型が変わった。

 クリスマス前後に神戸市外大で集中講義があり、そのまま関空からエチオピアへ飛んだ。よって中旬以降は片付け仕事で猛烈に忙しかった。


2009年1月

 エチオピアから帰国したのが10日。

 帰国翌日にTK先生のところで美味しいご飯とお酒をいただいたのが唯一の休日だった。

 12日からは容赦ない仕事の雨あられ。普段の授業に加えて、卒論指導とMPHの個人指導がどかっとやってきた。このころから不機嫌が炸裂しだし、あちこちにごねまくるようになる。

 おそらく疲れからなのだろうけれど、風邪をひいて熱を出した。この頃からリポDのお世話になりだす。

 MPHの仕事が忙しくなり、坂本キャンパスとの往復頻度が高くなる。空き時間の全てを9人分の添削で過ごす生活だった。


2009年2月

 最初の5日間は卒論このことしかやっていない。2日にMCの音姫論文が完成、4日にTMの箸論文が完成した。5日の午前には全員にゴーサインをだし、無事に(……とはいえなかったけど)すべての卒論が提出された。

 卒論が終わっても気が抜けず、すぐに週末を費やしてMPH院生のプロポーザルチェックをした。このころは研究室に泊まり込む日が何度かあり、しかも修論発表会、MPHプロポーザル提出、MPH研究計画発表会、卒論発表会とイベントが立て続けだった。全てに関与しているので欠席するわけにいかない。

 うちのゼミからHAとNMの卒論が、文化環境研究会の優秀卒論に選ばれた。卒論発表会の夜には、伊王島で泊まり込みの打ち上げをやった。

 成績処理その他、やってもやっても追いつかない状況に追い込まれ、たくさんの宿題を抱えたまま22日からエチオピアとケニアへ。

 休んだ日……あったかなぁ。


2009年3月

 エチオピア〜ケニア旅行中も、異文化交流論の原稿5本と文化環境研究の原稿(HAとNMのもの)の執筆・改訂に追われた。ケニアに着いてからはネットに繋がってしまったので、原稿を送ったり、打ち合わせしたり……。

 出張そのものはとても刺激があって楽しかったのだけれど、いろんな「滲み」と「染み」と「くすみ」が残っているので、かなりの不機嫌を抱えていたのも事実。自分の論文(英語)のゲラチェックも2つあった。

 帰国してからすぐさま東京へ向かい、講演の準備。8日に科学博物館で講演をした。

 講演を終えてから数ヶ月ぶりに心から酒を楽しんだ。

 月半ばに3日間、完全休養をいれた。具体的にはトマトとサフランパスタ。これでだいぶ心が救われた。

 後半は教務仕事など、お仕事ラッシュ。卒業式。MPH院生をフィールドに送り出す準備。

 ゼミ生は元気に巣立って行き、院生も明確な目的と目標をもってフィールドに出て行った。


 さて、こちらもぼちぼち新しい年にそなえなきゃ。その前に、まずは、研究室の片付け、だな。