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Talk182:ホントのことを言っていいんですか? 

(Oct. 18/2009)


 説明責任、という言葉がある。英語のアカウンタビリティの翻訳語だそうだ。使い方は「説明責任を果たす」「説明責任が果たせない」。この2つしか知らない。どちらかというと、後者のほうが多く聞くかもしれない。

 誰かがこっそり裏で何かをやっている、ズルをやっている。そう思われないために、きちんとプロセスを開示しなきゃならない。だからいつでも開示できるように、しておこう。

 こういう企業のあるべき姿のスタンダードとして、すっかり定着した言葉だ。もちろん大学においても同じである。入試の点数の開示請求があれば開示するし、成績について疑義がある学生は担当教員に説明を求めることが出来る。われわれ教員は、成績評価に用いた資料(テスト問題、回答用紙、その他のもの)全てを、短くとも4年間は保管するよう指導されている。

 定められた手続きによって担保された説明責任は、定められた方法によって果たされる。あるいは、果たされない。説明する方が「果たされた」と考えていても、説明される側が「不十分」と感じることはしょっちゅうである。

 成績についての学生からの問い合わせに対して説明責任を果たすのは、それほど難しいことではない。まず第一に、説明する側が「教員」であるから、あらかじめ優位にある。教師が学生に説明するのだから、学生は「話をうかがう」という立場からはじめることになってしまう。

 説明責任を果たすためには、それなりのコストをかけなければならない。そしてそのコストに見合うだけのものが得られるかどうかは、ケース・バイ・ケースだ。不合格とされたことに疑義を持った学生に対して、それぞれ2時間をかけて「説明する文書」を書いたことはすでにどこかで書いたと思う。だが、それが報いられないケースもあったりする。

 ジャーナルかどこかで書いたことだが、かつて、こんなことがあった。某大学の授業で、提出されたレポートがネットからのコピペ(それも文献を丸写ししたページのコピペ)を発見し、単位を与えなかったことがある。当該の学生は4年生で、私の与える単位によって卒業が決まるという状況にあった。私は救済措置として、もう一度レポートを書き直すこと、自分で書いて、きちんと文献情報を付加したうえで添付ファイルで送付することなどを指示した。これらを果たすことを条件として、私は、卒業判定のスケジュールに間に合わせるよう、レポートが届けられる前に成績を「合格(C)」に訂正した。

 送られてきたレポートは、文献情報も付加されていなければ、添付ファイルでもなかった。メールにそのまま貼り付けられていたのである。激怒した私は、指示に従っていないものはダメだ、もう一度送り直せ、と書いて返信した。だが、それきり返事は来なかった。私は説明責任を果たしたが、彼女は最後の最後まで不誠実だった。

 その学生は私から単位をもぎ取り、数週間後には某大手新聞社に記者として就職した。以来、私はその新聞を買っていない。買うわけがないだろう。

 説明責任の話は、上に書いたような外向けのものと、組織内部のものと2種類ある、と私は考えている。そして、内部向けの説明は、きわめて難しい。

 某日。説明しろと迫られる。

 某日。説明しろと迫られる。

 大学内でいろいろな仕事をしていると、説明を求められることが多い。職務上必要があって決断したことが、後になって「説明が足りない」と責められるなんていつものことだ。

 私はいつも、当たり障りのない程度のことだけを説明する。そしてその度に思うのだ。「ホントのことを言ってもいいんですか?」と。私にはいつでもホントのことを言う準備が出来ている。だが、それを言ったらおしまい、というシチュエーションがあまりに多すぎる。

 「これでおしまいにしてやる」と思って、ホントのことを言ったことがある。もう10年以上前のこと、横浜の大手学習塾に勤めていたときのことだ。クラス分けテストでクラスを下げられた中学生の父親からクレームの電話がかかってきた。当時は「説明責任」という言葉は一般的ではなかったが、要するに「きちんと説明してもらおうじゃねえか」という電話だったわけだ。

 理屈っぽい発言をする父親で、われわれスタッフにとっては難敵だった。私は言った。お宅の息子さんは授業態度が悪い、見かけ上の点数は高く見えるが、実力はCクラスであると。

 数字が内実を反映しないというのは、学問や大学では常識である。論文数が多くてもほとんどが「金太郎飴」だということはざらにあるし、学生をたくさん抱えていても生産される論文が「なってない」ということだって多い。

 電話口の父親は、しまいには私の話し方にまで難癖をつけてきたが(「君ねぇ、その口の利き方直した方がいいよ」と言われた)、私は「うちの塾を辞めてもらっても構わない」とまで宣告した。売り上げのことを考えれば生徒は多いほうが良いに決まっているが、その生徒がカンニングを繰り返していることはまわりの生徒に知れ渡っていた事実でもあり、今後のことを考えればむしろ辞めてもらったほうがいい、というのが私の判断だった。

 ホントのことを言ったら、相手は怒って(逆ギレ、という言葉は当時一般的になりつつあった)、辞めてくれた。

 ここまで書いて思いだした。あの父親には肝心なことを言っていなかったな。「あなたの息子さんは、カンニングの常習犯ですよ」って。言ってやれば良かった。

 だけど、ホントのことを言っていたら、もっと面倒なことになっていたよな。そのせいか、いまでも私はホントのことを言わずに、当たり障りのないことを言って、人を傷つけないように苦労しているのである。「ホントのことを言っちゃっていいんですか? あなた傷つきますよ。」って心の中で思いながら。ああ、しんどい。