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Talk183:やること整理〔研究編〕 

(Oct.21/2009)


 いま、深夜の1時半である。こんな文章を書かずに、とっとと寝ないといけない時間だ。どうも海外への出張(私は西へしか飛ばない)のあとは、数週間にわたって時差ボケが続く。おかげで朝は眠く、昼間は仕事をしているからいいとして、夕方にまた眠くなり、夜になると元気になってくるというサイクルのくり返しである。

 早く寝なきゃ、とは思うのだけれど、自宅にいると居間のテーブルにマックを広げてあれこれとやってしまうのだ。

 ・・・あれこれやってる?

 やってることは、メールを書いたり、書類を作ったり、そういうことだ。どれも研究や教育に関わることだから広い意味では「仕事」なのだが、その「仕事」のなかには肝心の「執筆する」というのが含まれていない。最近、ぜんぜん書いてないなあ。

 そもそも、私が論文を書き出すと、いちいち時間がかかる。作業が鈍い、愚図だ、というのも理由だが、おそらく方法論的にそうなるしかないのだろう。私は金太郎飴論文を嫌う。金太郎飴論文とは、タイトルと題材がちょっとずつ違うだけで、基本的には同じ方法、おなじテーマの論文を延々と書き続けるような類ものである。こういうのは、分野によっては必要なのだろうが、私は好まない。

 たとえば「A県B市におけるゴミ分別の現状」という論文の次に、「A県C市の……」「A県D市の……」と続いたら、それは金太郎飴論文だ。そんなものを量産するんだったら、Z市まで全部調べてから一本の論文にしろよ、と言いたくなる。

 それから新聞解説論文も嫌っている。新聞や雑誌の切り抜きを二次資料として集めて、それを証拠として採用するような論文だ。新聞記事そのものが分析対象なら分かる。新聞報道を「バックグラウンド情報」として使うのも分かる。だが、調査そのものを新聞記者に任せて、それだけで論文を書くのはどんなもんだろう? そういう「論文」は、得てして自分の都合の良い記事だけを切り抜いていたりしないか?

 海外情報の紹介記事を「論文」として発表するのもどうなんだろう? もちろん論ずべきなにかはあるはずなのだが、情報(それは得てしてネット上で入手可能なPDFファイルだったりする)をダウンロードして、読んで、まとめて、はい論じます。というのも好みに合わない。わたしの場合だと、アフリカやアジアの現地資料(つまり英語では読めない言語の資料)を紹介してくれるようなものは面白いのだが、英語で読めるようなものを日本語で解説するような作業は、やっていて楽しいのか? と思ってしまうのだ。いや、楽しいとか、そういうレベルで語ってはいけないんだろう、きっと。

 ともあれ、どのような論文も研究活動の成果なのだから評価すべきだ。ただ、私は金太郎飴や新聞解説をやろうとは思わない。

 長崎に来てからの私は、論文を書くという仕事からすっかり退いてしまったのだが、資料の収集と整理、読み込みだけはまだ楽しくやっている。とくに昔からの土地利用の変化を、古い地形図を重ねて読み込む作業は楽しく、時が経つのを忘れる。期間が短いとはいえ、定期的にバンナを訪問してあれこれの変化をこの目で確かめるのも重要な調査だ。現場で経験するというのは私の仕事においてはアイデンティティの根本なので、「フィールドワークなんて非効率的で何の役にも立たない」なんて言うヤツがいたら、頭から湯気を立てて怒り出すだろう。

 それにしても、論文書いてないなあ。

 いや、書いてはいるのだ。問題はきちんとまとめられないことである。困ったことに、私の手元には書きかけのまま完成を待っている論文がたくさんある。この5年間、私は何をやろうとして、何をほったらかしにしてきたのか。振り返っておく必要がありそうだ。

 まず本を書く仕事。出版社も決まってる。ただ私が原稿をまとめきれていないから、延び延びになっているのだ。早く済ませないと、次の仕事にとりかかれない気がするよ。

 長崎関係の論文もいくつも準備している。昭和期の宅地開発についての地図データの読み込みは中途半端だが、ゼミ1期生といっしょにやった作業の成果はすでに9割方論文の形になっている。古い地形図のデジタル化作業はかなり進んでいる。ほかにもゼミ3期生の卒論調査データを活用した論文(これは学生との共著になるはず)を準備していたし、別の学生の「足で稼いだ資料」を公開する仕事もストップしたままだ。

 バンナの水資源利用については、英語の論文が99%完成しているのだが、これに2005年以降の新しいデータを付加して2つの論文にしなきゃならない。だが、諸般の事情でいまは中断している。

 近年取り組みはじめた保健分野(あるいは医療人類学)については、バックグラウンドデータのみの論文(バンナについてのもの)を書く用意はあるのだが、データの整理が追いついていない。ケニアとバングラデシュで院生たちがやっている調査については、私との共同研究の形をとっている都合上、年明け以降には論文にしなきゃならないだろう。とくにバングラでの調査については、ひとつの調査でいくつかの論文が書けちゃいそうなのだ。日本のとある地方を舞台にした公衆衛生の歴史についての論文は、貴重な資料がかなり集まっているのに、整理も分析も進んでいない。

 上に書いたようなのとは趣が異なるものとして、長崎の歴史(あるいは裏面史)の論文を準備していて、これは7割方完成しているが、もうちょっと調査したいと考えていまは熟成させているところだ。

 ここまでで、いくつになった? 少なくとも10本は超えているだろう。これらの目論見を、きちんとこなせる日は果たして来るだろうか?

 その一方で、今年は卒論指導が5人、修論指導(これは英語で書かせる)が3つひかえている。修論のほうはかなりのクオリティが期待できるし(金太郎飴でもおざなりアンケートでもないのだよ)、卒論のほうも「本を読んでまとめました」みたいなものには絶対にならない。私は学生の論文に対しても、自分が調査するくらいの労力を投入しているから、これからの私は自分で書かずに学生に書かせる方がよっぽど生産的になれる気がする。