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Talk199:2011年、イベント尽くしの年

(Dec. 27/2011)

いずれの年も、なんらかのイベントによって記憶している。1986年は高校を辞めた年であり、1993年は「はじめてエチオピアに行った年」であり、2001年は「テレビ番組を作った年」であり、そして、2004年は「長崎に移住した年」である。

それから7年が過ぎた。長崎くんちの踊り町が一巡したのである。私の人生で、これほど長いこと住み続けた場所は、子供時代を過ごした相模原を除けば、他にはない。

そして、いまの私は長崎を離れるつもりがまったくない。長崎に骨を埋めたいとか、長崎大学のために粉骨砕身働きたいとか、そういうことではない。美味く説明できないのだが、敢えていえば「いまさら東京近辺に戻る積極的意義も見いだせないし、それ以外のところなら言うまでもなく、ない。長崎がいい。」といったあたりだろうか。

2011年は祖母を訪問することで始まった。1月1日に母の実家に行き、祖母を見舞ったのである。祖母は大正元年生まれだ。子供の時に関東大震災と世界恐慌を、若いときに満州事変と二・二六事件を経験し、今の私と同じ年齢で「もはや戦後ではない」と聞かされた人である。何年かぶりに再会した祖母は、すでに私のことは覚えていないようだったが、目の前でカステラをぺろりと平らげるくらい食欲旺盛だった。

その祖母は4月に亡くなった。永眠する一週間前に私は面会したが、すでにコンコンと眠り続けている状態だった。母が、祖母の閉じた目を開かせて(けっこう無理やりだったけど)、私の姿を見せてくれた。たぶん分かってくれただろう。呼びかけるとちゃんと手を握りかえしてくれたし。

2月にはゼミから卒論6本が提出された。3月には院生HSのフィールドであるフィリピン・パラワン島に出かけた。帰路の飛行機が福岡に着陸するころに、東北では大地震が発生していた。

4月のはじめに院生KCがエチオピアに旅立ち、その月の下旬には長崎でナイル・エチオピア学会を開催した。小規模学会とはいえ、私は評議員で運営幹事だし、今回は大会実行委員長だった。大変だったけれど、スタッフが支えてくれた。

6月には台湾で学会発表した。7月と10月に二度エチオピアに渡航した。6月から7月にかけて院生HSの修士論文の指導に時間をかけた。その論文は規定の1.5倍もの分量で、しかも英悟で書かれた。私がいままで指導した中でもっとも人類学的な論文だと思う。

5月から長崎大学の東アジア共生プロジェクトが本格始動し、手始めにマンスリーセミナーの開催を始めた。私はウェブサイトの制作と運営をやっている。ポスターを作ったり、ウェブサイトを作ったりする手先の作業は好きなのでわりと率先して引き受けているのだ。今年はナイル・エチオピア学会と融合研国際集会の2つのポスターを作り、私が運営するウェブサイトは5つになった。

融合研では6月に合評会を、11月に国際集会を開いた。融合研は目下のところ、私が背負う責任のなかではもっとも重いものだ。国際集会の予算をとり、外国人ゲスト4人を確保し、日程と旅程をアレンジし、最後までアテンドする。もちろん私一人でできることではなく、多くの協力者を得てのことである。11月30日に最後のイベントを終えてからはしばらく疲れ果てていたが、心地よい疲れ方だった。

国際集会が蒔いた種は、来年か再来年に大きな花を咲かせると思う。もうすでにその準備に着手している。

今年はイベント尽くしだった気がする。数えてみるとそれほど多くはないのだが、実感としてはいつもイベント手配に追われていた。

出張やらなにやらで、ざっと数えても50回以上飛行機に乗った。科研はいくつかあるが、肝心の自分の科研費での調査はできなかった。そのかわり、もっと時間をたっぷり使って調査をしてくれる人たちに分配することにした。論文も本も書いていないのに調査だけをやり続けるわけにはいかないし、そもそも時間の自由が制限されている。諸々の宿題もなかなか片付かない。

先日東京に出張した折の食事会で、「東京のほうでは「増田は眠らない」という噂が立っている」という話を聞いた。まさか。私はきちんと7時間は眠っているし、ランチのあとの昼寝だってちょくちょくだ。ただ睡眠時間と酒を呑む時間を減らして、もっと有効に時間を使えればなぁとはいつも思っている。委員会の仕事などでアップアップだった数年前に比べれば、いまのほうが時間的にはるかに余裕があるというのに。

うかうかしているうちに、長崎で7年を過ごし、年齢も43歳になってしまった。定年まであと22年あるが、このままだとあっという間にその時が来てしまうだろう。

一年間、良いことも悪いこともあった。決して平坦でも平穏でもなかったけれど、誰だって悩みや苦難や寂しさを抱えながら生きてるんだ。私には仕事があって、自分がやるべきことがあって、やれることがあって、学生がいて、給料がもらえてて、住む場所がある。借金も腰痛も、あらゆる悪癖を備えているけれど、いまの自分はとても幸福だし、これからも楽しく生きていけるはずだと思って、新しい年を迎えたいと思う。