「自分」の名前
(0ct.18/2003)
「私の名前は増田研です」。My name is Ken Masuda.を和訳させたら、こんな紋切り型の答案が続出しそうである。もちろん、いわゆる英文法に従えば、"my name"という主語を、"Ken Masuda"とい補語が補っているのであり、主語と補語はいわば同格の関係になる。ところが「私の名前」の全てが「増田研」ではないし(それはこのサイト名にも明らかでしょう)、「増田研」という名前をもっているのが、ほかならぬこの私一人というわけでもない。いうまでなく、この世には「増田研」という名前の人間がほかにもいるはずであり、いまこれを書いている「オレ」だけがこの名前を独占しているのではない。
インターネットに日常的に接続するようになったのは1998年だが、当初から「ぼく」は、ネット上での自分の名前のありかを探るのに苦労してきた。Yahoo!でもGoogleでもどこでもいい、「増田研」と打ち込んで検索してみて欲しい。でるわでるわ、日本中の「増田研」。日本にこんなにもたくさん増田姓の研究者がいて、それぞれが個別の「増田研究室」をもっているということに、すこしは驚くだろう。
私の場合、まずは「増田研」の多さに驚き、ついで全国各地の増田先生たちが「研究室」なんてものを持っておられるのをうらやましく思い、ついで怒りのようなものを感じる。この世に「本名・増田研」の人間がいるのに、そんなことどこ吹く風で「増田研」を名乗る方々に対しての、むなしい怒りである。将来、どこかの大学にポストを得たら、そのときには自分の研究室を「増田研研」にするしかないだろう。(実際には個人名としての「増田研」と、研究室名のそれとでは、発音上アクセントの置き方が違うが、そのたりの機微を判別する検索システムはまだないのだろう。)
この「わたくし」をネット上で発見するには、「増田研 エチオピア」とか「増田 人類学 バンナ」といった風に組み合わせを考えないといけない。まあこんなことをしても、たいした情報はひっかからないんだけど。(ちなみに「増田 文化人類学」だと、著名な増田義郎先生がたくさんヒットしてしまうので、効率は悪いと思われます。また「増田 エチオピア」でも、増田明美さんが関わるマラソン関係のページがうじゃうじゃ出てきます)。
増田という名字そのものは、父方から受け継いでいるが、じつはうちの親父は母方から家督を継いでいる。いま私は自宅に仏壇を預かっているが、その初代は昭和5年に亡くなった私の曾祖父、増田嘉助であり、この人物は私から見て父の母の父(FMF)となる。つまり完全な父系一族ではない。名字を見ると、この家系がもとは農家であった可能性が高い。いまはもう関係は途絶えたが、増田の本家は千葉にある(本家が本家を名乗る根拠はいったいどこにあるのだろう?)。家紋は「丸に梅鉢」だ。
名字そのものについては好きも嫌いもないが、発音はやりにくいと常々思っている。m-s-dというシラブルだと、唇を閉じて「m」の発音を用意し、ついで無声音「s」を放った後で、すぐに「d」のために舌を打たないといけない。とくに「ス」の音を、しっかり「su」とやろうとすると、次の「d」にいたる口の動きは忙しくなる。普段は「マスダ」よりも、「マシダ」に近い発音をしていると思う。(最近の女の子たちの、口を半開きにした鼻音がかった音なら、かなり発音は容易になる。その場合、「ma-su-da」は「ma- s-da」から「ba?-s-da」、「a?-s-la」へと転化する。浜崎あゆみの感じで「ますだ」と発音してみればいい。)
それに比べると、Kenという名前は短くて発音も容易で、とても気に入っている。非日本語話者にもすぐに覚えてもらえる。アメリカにはわりと多くのKenneth Masudaさんがおり、たいていはKen Masudaを名乗っている。「ケン」が「健」でも「賢」でもなく、「研」なのは、いまの職業につくことをみこんでというわけではなかっただろう。(かつて「響」という御名前の音楽家先生と面識があったことがある。) この「研」という字、本来(?)は別の字なのだが、当用漢字にはないので「研」で代用しているといういきさつがある。ヘンの部分に「石」を、つくりの部分に「幵」(カンと読む)をあてて組み合わせてみてください。これが「私」の名前です。ワープロでは出ません。
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