里帰り
(Apr.9/2005)
私には「里」と呼べる場所などないのだが、強いていえば、淵野辺(相模原市)、そして横浜から三浦半島一帯が、「里」ということになるかもしれない。長崎に住むようになってからは、とくに、そうだ。その「里」へ帰ってきた。
直接の用件は、熱海で開かれる研究会への参加である。その直前の土曜日に、横浜の海辺の公園でバーベキューをやった。ちょうどTalk49「卒業生たち」から一年たったことになる。今年の卒業生のなかには中学2年生の時から教えていた子もいれば、私が長崎に来るまでのほんの数ヶ月をともに過ごした子もいる。みんなそれぞれに大学、短大、浪人、専門学校と進む先を決めていた。これでようやっと関東での仕事のケリがついた気がする。うれしい反面、はやり寂しさもあったりする。
長崎を発つ朝はうっすらと雪が積もっていて、空港を飛び立つと、上空は吹雪いていた。機内がかなり空いていたが、それはいつものボーイング767ではなく、比較的大きな777だったからだろう。この飛行機に乗るのははじめてだ。双発のジェット機としては最大級のエンジンをぶら下げているというが、間近で観ると、このエンジンは本当にでかい。
二晩ほど寝不足だったので機内ではずっと眠っていたが、機内の乾燥した空気が不快だったのか、着陸30分ほど前には目が覚めた。着陸の際には房総半島上空を通過するのだが、こうして上空から見てみると、人間がいかにして、山の隙間にかろうじてひろがる平地を選んで住まってきたかがよくわかる。
羽田に着いてみると、とにかく人がたくさんいるのに驚く。あまりの人混みに酔ってしまっては叶わないので、いそいで地下に降りて逃げ出すことにした。まずやることはパスネットカードを買うことだ。これは首都圏の私鉄や地下鉄で使える共通プリペイドカードなのだが、以前持っていたカードは引っ越し前に使い切ってしまっていた。ひとまず「いつも」のように、3000円分を購入した。これで滞在中は大丈夫だ。
京浜急行の久里浜行きに乗る。以前は毎日のように乗っていた電車だ。座席の感じも、車内広告も、まったく違和感がない。「いつも」のようにパワーブックを取り出して仕事などしてみる。快適だ。
ふと窓の外を見てみる。周囲には雑居ビルやマンションが建ち並び、左手には京浜工業地帯が見える。長崎でバスや路面電車に揺られてきた身には、時速120キロを超える京急のスピードは速すぎた。この速度感が、関東にもどってきて感じた最初の違和感だろうか。だが、あっという間に横浜に到着し、久しぶりに混み合ったプラットホームを見ても、懐かしさはまったく感じない。ああ、やっと帰ってきたという、まるで海外出張からもどってきたかのような感覚。女子高生たちのスカートがやたらと短く感じる。
上大岡で下車し、コインロッカーに荷物を預けて身軽になる。逗子に住んでいたときは、この上大岡が自宅から一番近い都会だった。賑わい方からいうと上大岡は、長崎市の中心部と同じくらいだと思う。身軽になって、ケータイとデジカメとサイフだけを持ち、コーヒーショップで休憩。以前はこういう店にはいると、すかさずパワーブックを取り出し、仕事をはじめてたっけ。
店員の男の子が「番号札4番をお持ちのお客さま〜」と呼びかけるも、返事はなく。私はふとふり返ると、柱の陰に4番の番号札が見えたので、それを店員に告げた。余計なものを持っていないと、いろんなものが見えるし、聞こえる。
☆ ☆ ☆
熱海での研究会は、同世代のプロ人類学者&人類学者の卵たちとの交流という意味では、ほかにちょっとないほどの収穫を得た。とくに長崎に住むようになってからの、同業者との交流の無さを考えるとまことに貴重な機会である。長崎に人類学者がいないわけではない。はっきりと人類学者であるといえる人が分かっているだけで3人いるし、関連分野も含めればほかに何人もいるが、肝心の「人類学者の卵」つまり大学院生がまったくいないのだ。これは要するに、長崎では人類学の最先端を任せられる人間がいないことを意味する。どの分野でもそうだと思うが、もっとも意欲的に新しいことに取り組み、成長著しく、鋭敏な感覚を備えているのはプロの学者ではなく、大学院生なのだから。
私はもうとっくに学生身分を卒業しているから、なかなかアヴァンギャルドに踏み出せそうにない。才能あるミュージシャンや映画作家、マンガ作家たちは、この年齢からどんどん新境地に開拓しようとしているのに、私はなんとなく、もう、守りの姿勢に入ろうとしている。これじゃイケナイのだが。
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