野球少年はどこへ行った?
(Aug.25/2005)
前期の講義がすべて終わり、夏休みにはいってすでに3週間あまりたった。長崎大の教員として初めて迎える夏休みである。これはなかなか不思議な感覚である。過去数年をみても、今年のような8月の過ごし方はちょっと例がない。思い出せるだけ書いてみると、これまでの8月はだいたいこうだった。
2004年8月:仕事をしていた。
2003年8月:仕事をしていた。
2002年8月:仕事をしていた。
2001年8月:エチオピアにいた。
2000年8月:仕事をしていた。
1999年8月:エチオピアにいた。
1998年8月:エチオピアにいた。
1997年8月:仕事をしていた。
こうやって書いてみると、私にとっての「ここ数年の8月」は、仕事をしていたかエチオピアにいたかのどちらかだった。いや、こうして長崎にいても私は仕事をしている。これまでと違うのは、その「仕事」の中味である。
去年までの8月の仕事とは、塾でやる「夏期講習」である。中高生たちの夏休み(7月20日頃〜8月末)のあいだ、朝は8時頃には出勤し夜は10時すぎに帰宅するというような、しんどい仕事である。それがお盆前後の10日間をのぞいてほぼ毎日だった。そういう生活をしていたことを思えば、今年の8月は笑っちゃうくらい楽である。
こんな8月の過ごし方でいいのか? 世間の人たちに申し訳が立たないんじゃないか。というのがいまの正直な感想なのだが、その分、いままで犠牲にしてきた研究の側面に時間を割り当てられるのだから、まあ、これが大学教員の正しい8月なんだろうと思うようにはしている。
長崎大の同僚の多くは生活のベースを長崎には置いていないので、8月に入るやいなや福岡や東京や大阪や名古屋といった方面に帰省していった。みなさん、家族のもとにしばし戻っておられるわけだ。
私などは、家財一式すべて、それこそ、昔のアルバムから少年野球のトロフィーまで長崎に持ってきているので、いまさら帰省するような場所などない。横浜の母は仕事で忙しいし、弟は北海道にいる(よりによって兄弟で長崎と北海道!)。お盆の行事も、もはやしないので、わざわざ横浜に戻る理由がない。それに戻ったら仕事ができない。私にとって長崎はしょせん「仮の住まい」だが、仮ではあってもここがベースになってしまったのだからしかたない。
そして、その閉塞感たるや、非常にキツイものがある。
もう10ヶ月も前のことになるが、長崎に来たときに考えたのは、プール通いをしようということだった。もともと私は水泳少年である。幼稚園のときからスイミング・クラブに通い、小学生のときには、一応、選手のようなものだった。その後も、時期によってまちまちではあるが、公営プールにまめに通って1キロくらいを軽く流すということを続けていたりもした。
なにせ泳ぐと気持ちがいい。私はバタ足があまり得意でないので、ビート板を股にはさんで手だけクロール、という泳ぎ方を好むが、これで何百メートルも泳ぎ切った後の爽快感は言葉では表せない。
小学3年生からは少年野球チームに加わっていた。5年生の時には1シーズン(秋の1ヶ月くらい)で8本塁打を打ったこともある。6年生の時にはピッチャーで、ノーヒットノーラン寸前までいったこともあった。
本塁打の話にはおまけが付く。私はこのとき、自分で気に入って買った安いバットで本塁打を量産したのだが、打てるようになってくると欲深くもなるもので、もっとカッコイイ、大きくて太いバットを使いたくなり、これに替えたらとたんに打てなくなった。さらにいえば、このすぐ後に、ルールが改定されて、ホームランライン−−つまり外野のフェンスみたいなものだ−−が廃止されて、すべてのホームランが「ランニング・ホームラン」になってしまった。私は柵越えタイプのヒッターで、決して俊足ではなかったから、これで私のホームラン・バッター生命は絶たれたのだ。
話がそれたが、とにかく長崎に来てからは、以前と比べて時間に余裕のある暮らしが想像されたので、ぜひプール通いを再開しようと目論んでいたのだ。そして、残念ながら、いまのところその目論見は達成されていない。
理由はいくつかある。まず思ったよりはずっと仕事が忙しいということがある。これは私の時間の使い方が下手なせいであって、けっして長崎大学が私を窒息させようとしているというような話ではない。
ついで、適当なところに適当なプールがないということがある。大学の近くには長崎市の市営プールがあるのだが、これが意外とアクセスが悪く、しかも方向が逆だから「帰り道にちょっとひと泳ぎする」とはならない。大学職員はコナミスポーツクラブの団体会員になれると聞いたが、そのコナミだって、かなり離れている。
しかも夜遅くになると長崎バスはとたんに便数を減らすし、帰りが遅いと、それはそれでまた別の問題を誘発する。
そんなふうにしているうちに、結局10ヶ月がたってしまった。身体を動かさないと、いろいろと困ったことが起きるもので、さっそくだが、私は長崎に来てから3キロ体重を増やしてしまった。すべて腰回りの脂肪である。へそ下から腰骨の上辺を回り込んで背中にいたる、あのアブラである。中年太りの初期症状だ。
こういう脂肪が付き始めたのは30歳を過ぎた頃だ。そのころはまだ若かった(?)から、一日だけ食生活に気をつければ(たとえばその一日をベジタリアンで過ごすとか、量を減らすとか、一食抜くとか)、こうした脂肪はてきめんに落ちた。それがいまでは、そうもいかない。40歳を目前にして、体質が変わってきたのがはっきり分かるようになったのだ。
この夏休み。お盆の直前には、職場から与えられた夏休みの3日を使って、福岡県の糸島半島に行ってきた。知人が別荘を持っていて、そこで休息三昧、海三昧、遊び三昧の生活を味わってきたのだ。砂浜は美しく、しかも、湘南のビーチのように混雑していない。私は新しく調達したイタリア製の海水パンツをはいていた。だが海に出ると、自分のポッコリふくらんだ下腹を公衆に曝すようで、ひじょうに恥ずかしい。
かたや砂浜には、10代から20代とおぼしき若者たちのグループがいて、羽目を外してはしゃいでいる。ビーチボールで遊んだり、バーベキューに興じたり、生け贄を砂浜に埋めたりしている彼らを眺めながら、私は、あれこそが若い肉体だ、と心でつぶやいた。腰に贅肉を蓄えた若者などいない。ふとったヤツだっているが、それだって中年太りとは明らかに異なる太りかたをしている。
私だってかつてはああだったのだ。先月のことになるが、大学のオープンキャンパスのために、ゼミの紹介パネルというのを作っていて、そこで見せるための写真を選んでいたら、エチオピアで撮られた自分の上半身裸の写真を何枚か見ることになった。エチオピア中南部の温泉、ウォンド・ゲネットで「打たせ湯」(エチオピアの温泉にもこのようなものがあるのだ)に打たれている自分(当時29歳)の肉体には、贅肉などみじんもない。脇腹から尻にいたるラインなど、惚れぼれするくらいシャープだ。
かつて野球少年としてならし、水泳少年としてイルカのようにすいすい泳いでいた男はこうして、年齢を重ねるとともにいろいろなものを失ってしまったのだ。
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