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「させていただいております」なんて「あり得ない」

(Oct.20/2003)

「だんご三兄弟」の生みの親で、いまは慶応大学の先生になってしまった佐藤雅彦の『毎月新聞』の表紙を飾るのは、「じゃないですか禁止令」という文章である。この文章にふかく納得したのは、佐藤が感じる「〜じゃないですか」への嫌悪感が、自分が感じていたのとほとんど同じだったからだ。狭い身内の範囲で共通されていることならいざ知らず、初対面の人間にまで「〜じゃないですか」を連発する人びとがいるらしい。自分の主観を、まるで客観的な真実であるかのごとく語る人びと。私はこういう言葉遣いにはずいぶんとアンテナを張ってきたつもりである。

ここ数年気になっているのは、「〜させていただきます」というやつ。「〜させてもらう」なら私にも分かる。それを無理やり敬語っぽくすると「〜させていただきます」になるのだ。これは業者からのファックスや勧誘の電話などでよく見る(聞く)文末表現で、こういうのに接するたびに私は心の中で「べつにさせてねーよ」と悪態をつくのである。おなじように妙に敬語っぽくされているのが、「とんでもございません」。これも「とんでもない」という言い方の「ない」の部分を「ございません」にしてしまった例だろう。「御報告させていただきます」なんて文面を見ると、日本語の勉強しなおせと忠告してやりたくなる。(ちなみに「御報告」は尊敬語であって、自分がする「報告」の前につけてはならない)。

こうした「妙な敬語」を、今のところ私は意図的に避けるよう努力している。皮肉を込めて、あるいは冗談めかしてわざと使うことはあるが。たとえば、「今回のテストでは思いっきり減点させていただきました」といったふうに。

しかしこの半年、気になって気になって仕方がないのは、なんといってもこれだろう:「あり得ない」。大学のキャンパスでも学生たちが使っているのを必ず聞くし(「今日、テストなんて、あり得なーい」)、先日は金沢八景の駅で、八景島の花火大会にでかける人でごった返しているのを、「この混み方、ありえないよねー」なんて言っているのを耳にした。いっておくが、この発言をした女の子が、まさにその花火を見に行く客の一人だったのだ。もちろん私の心はこういうツッコミをいれる。「気の毒だが、この混雑は十分あり得るのだ。お前だって客の一人だろうが」と。

「あり得ない」は英語で言うところの"It cannot be..."なのだろう。つまり客観的にはその可能性は限りなく低い、あるいはゼロに近い、ということを表現するものだ。しかし昨今の「あり得なーい」は、「私は○○がイヤだ」を意味していることが多いと思われる。「今日テストなんて、あり得なーい」は「テストなんかされたら困る」、「この混み方、ありえないよねー」は「なんでこんなに混んでるのよ、まったくイヤね」と翻訳できる。自分にとって好ましくない状態を、客観的な確率の問題にすり替えたあげくに「あり得ない」などと言い切ってしまうあたり、根深い何ものかを感じずにはいられない。

もちろんこういった「訳の分からない言葉遣い」を、私も無意識に使っているだろう。たとえば「っていうか」というやつ。間投的につかわれる「っていうか」は、本来は「〜というよりも」という比較表現のためのものだったろうが、いまでは比較などすっ飛ばして、「えーと」と同じである。「一応〜」や「全然へーき」も私は使っている。「全然へーき(平気)」という言葉は、私が中学生の頃から耳にしだしたが、いまではまったく普通の言い方になってしまった。(日本語を知らない人のためにつけ加えておくと、副詞の「全然」は、文末に「ない」を伴って否定文を作り出します)。

ここまで書いて思い出したのだが、中学2年生から3年生にかけて、友人たちが何かにつけて「知ってたよ」という言葉を使っていた。何らかの新しい情報を知らされて、その時初めて知ったという人が、強がりなのかなんなのか、つい口にしていたのだ。「知ってたよ」、文字にするとかなりぶっきらぼうな表現だが、実際はとっても明るい調子でつかう、冗談めかした表現だった。当時の私は、しかし、この言葉が嫌いで、わざわざ国語の先生に「私はみんなが使っているこの表現が嫌いなのだ」と訴えたほどだ。

ついだからこれも取り上げよう。「配慮していただけますか?」。学生たち、とくに4年生は、就職活動などで前期には欠席することが多い。私は基準を決めた上で自己申告による公欠扱いを受け付けることにしているが、気になるのは、そういうことをいいに来る学生が「配慮していただけるのでしょうか」と聞いてくることだ。私にしてみればここで他人に求めるべきは「配慮」ではなく「考慮」あるいは「斟酌」である。私だけが感じていることなのかも知れないが、「配慮」というのは迷惑をかけないようにあらかじめ未然に心を配るというニュアンスがあるような気がする。そう感じている私からすると、私の自発的な未然の配慮を暗に要請する「ご配慮願います」の類の表現はいただけない。

私は細かいことにこだわりすぎだろうか? 「こだわる」という言葉も、私が避けようとしているもののひとつだ。「こだわる」は、「気にする」あるいは「差し障る」といったネガティブな意味合いを含んだ表現なのだが、いまやその人の趣味の深さをしめすポジティブな表現として使われている。もちろん言語は変化するし、そんなことに固執するべきではないのかも知れない。でも、やらされてもいないことを「させていただい」たり、嫌なことを「あり得ない」といったり、気になって仕方ない。

申し訳ございません。今回も愚痴を書かせていただきました。ってゆーか、こんなバカなことにこだわるなんてあり得ない? いーえ、全然ありなんです。一応。