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不覚

(Sep.02/2005)



こういうのを「不覚をとる」といってしまうのは、本来の意味からはすこしずれているかもしれない。だが、勢いこんで乗り込んだ挙げ句にこんなことでは、これはやはり「不覚」だろう。エチオピアに到着して2日後が、かの国の「新年」だなんて。

この夏休みもいろいろと仕事があったとはいえ、大学の夏休みはまだ1ヶ月も残っており、やっとのことで2週間の隙間を見つけ、エチオピアに行けることになった。じつに4年ぶりのエチオピアである。

エチオピアでの研究を自分の専門としているくせに、私のエチオピア渡航歴はまことに貧弱だ。なにせ、1993年にはじめてエチオピアの土を踏んでから、渡航した回数はたったの5回。そのうち、調査のために入国したのは3回で、あとの2回はテレビの撮影と、学会出席だった。累積滞在年月は、せいぜい2年半といったところだろう。

同じ頃に研究を始めた人の中には、私の2倍も3倍も長く滞在している人もいるし、渡航回数だって、みんな私の倍は軽くこなしている。だいたい私みたいに、4年もフィールドを離れているなんて、研究者としてはまったくダメなんである。

こんなことになったのにはいろんな事情があるのだが、一言でいうなら、恵まれていなかったのと、努力を怠っていたのと、まあこの2つだろう。もちろん、何度も何度も調査地を訪れて、最新情報を持ち帰ってくる仲間たちがうらやましくてしょうがない。彼らが持ち帰ってくる新しい情報に接するたびに、私は自分が落ちこぼれたことを実感させられてきたのだ。

やっと時間がとれたこの9月。だが、日本を留守にできるのはたったの2週間で、その14日間のうち前後の1日ずつを飛行機での移動に費やすと、エチオピアにいられる時間はわずか12日間となる。

エチオピアにおいて、12日間で調査らしい調査をすることはひじょうに難しい。

あらゆることに時間のかかる国である。いまでは改善されたと聞くが、大学から紹介状を発行してもらうのに数日(これはサインしてくれる人や秘書さんがちゃんと大学に出勤していることが条件)、交通手段の確保に数日、役所(その1)で数日、役所(その2)で数日……こうして調査らしい調査が始められるまで何週間もかかるというのが、私の知っているエチオピアである。あ、そうだ。「ヒッチハイクするトラックを待ち続けて数日」というのもあったな。

今回私は、そうしたエチオピア的事情を熟知した上で、慎重にスケジュールを組んでいる。土曜や日曜には手続きの類をいっさい進められない、ということもわかっているから、エチオピア到着は月曜の早朝1時にした。出国はつぎの週の金曜の深夜である。これ以上ないパーフェクトなスケジュールだ。これなら着いた早々に手続きをはじめられるし、うまくいけば4日くらいですべての手続きを終えられるかもしれない。

移動手段についても、今回はレンタカー(運転手付き)を手配することにしている。エチオピアにいる知人にメールを送り、手頃な値段で借りられる四輪駆動車と、手頃なギャラで働いてくる有能なドライバーを捜してもらっているのだ。結果がどうなるかわからないが、日本にいるうちからエチオピアの国内移動について話が進められるなんて、これもグローバル化のおかげなんだろうか。

ともかく、ここまでの話は順調で、いくつかの細かい不安をのぞけば今回のエチオピアは期間が短いこともあって、これまでよりずっと気楽なものになる……はずだった。

ところで私がエチオピアに着くのは9月6日。エチオピアから来た一つのメールによって、私は、その2日後にエチオピア歴の元旦がひかえているということをはじめて知らされた。エチオピアの新年は9月の10日頃である。とにかく、私が着いてすぐにエチオピアは新年で盛り上がるということだ。ひょっとすると、大学職員はみんな帰省してしまっているかもしれない、いや、それ以前に大学が閉鎖されてしまっているかもしれない。自動車だって出払っているかもしれないし、目星をつけたドライバーだって、大事な新年の祭を、日本の人類学者のお供で過ごしたくはないだろう。

こうして、小さな不安は瞬く間に大きくふくらみ、自分の不覚を思い知ったのである。まったく、ブランクが長いとこういうことが起きるんだよな。