lalombe's website: talk

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怒りと、もやもやと。

(SEP.30/2005)



いま、この文章を読もうとしている人は気付いているはずなのだが、本日をもってこのサイトの全面的な改定に踏み切った。改訂作業そのものはこの春から計画されていたもので、こつこつと試行錯誤しながら進めてきたのだが、ここ数日で一気に進めて今日の公開に至った。

他人はどうだか知らないが、私はいろいろな節目の日というのをわりと気にする方である。そんな私にとって、サイトの模様替えは今日でなければならなかった。なぜなら昨年の10月1日は私は逗子の家から荷物を運び出して、長崎へ向けて旅立った記念すべき日、だったからである。

そんな験担ぎみたいなこと……とおっしゃる人もいるだろうが、まあ、私はそういうのを気にするタチなのだ。

サイトを改訂しようとした理由はいくつかある。たとえばトップページのデザインに飽きたとか、Talkの背景はいつまでも緑色じゃダメだとか、バンナのページをはじめとして更新が止まったところがたくさんある(だから気分を一新したい)とか、まあいろいろだ。

だが最大の理由は至極技術的なもので、開始から2年たってサイトのファイル構造がすっかりややこしくなってしまったということだった。これをスッキリさせるにはすべてをチャラにして一から出直すビッグバンしかない、ということで、このようなことに踏み切ったのである。

今回のリニューアルでの見た目上の最大の目玉は、左端に並んだボタンである。これでサイト内の移動が楽になるのかどうか分からないが、ひとまず、試しにやってみた。

もう一つの目玉は、Talkにすっかりお株を奪われてしまったエスノグラフィーのページを、独立したサイトにまとめてみたことだ。従来の「Life in Banna」と「Out of Banna」、それに「Notes」「藤岡弘探検隊」「バンナ語講座」をひとまとめにして「Ethnography」というサイトにまとめた。ここはこれからじっくりと作り上げていく予定であり、ひとまず藤岡弘探検隊批評とバンナ語講座だけを掲載しておくことにした。

ついでながら、藤岡弘探検隊もバンナ語講座も、なるべく早くアップデートしなきゃなあと思っている、と付け加えておこう。探検隊批評の第10回を公開したのは去年の11月22日で、もうすぐ一年経ってしまう。じつはこの続編(第11回)にあたるものは、先日出版された『電子メディアを飼いならす』(飯田卓+原知章編、せりか書房)の中に書いた文章(「ある成人儀礼のドラマ化」)なので、もう批評の方は打ち切りにしてもよいのだが、「やる」といってほったらかすのは気分のいいものではない。どこかできちんとしなければ。

この批評は、職業としての研究の面でも、もっと突っ込んで取り組まなければならないテーマでもある。じつはこの批評を書きながら、気になって気になって、頭から離れなくなってしまったものがあるのだ。それは「川口浩探検隊」。私のまわりを見渡してみても、あの血湧き肉躍る探険番組が人類学への関心の発端だったと語る知人友人は少なくない。ということは川口浩探検隊は、私たちのような現役の文化人類学者にとってかなりの影響力をもっていたはずで、そのへんをもっと突っ込んで考えなきゃいけないという鉱脈に突き当たってしまったのだ。

とりあえず、最近になってその川口浩探検隊のDVDボックスが2つ発売されたから、いまはそれが届けられるのを待っている状態である。ひょっとすると、そのまま「川口浩探検隊批評」をはじめてしまうかもしれない私である。

バンナ語講座のほうについても同様で、もっとちゃんと更新しなければならないのは分かってる。じつはこの講座には隠れファンが結構いることが私にも伝わってきていて、そのファンの中には学生や一般の方のみならず、なんと言語学者までが含まれているのだ。そして驚くなかれ、神戸市外国語大学では学生の一人が、この未完成の講座テキストを用いて、バンナ語を教える(語学の授業をやるという実習だったらしい)という暴挙に出たそうだ。

日本で初めてのバンナ語授業を、まさか自分より先にやられてしまうとは思わなかったぜ。

思えばこの2年間で、私の周りの環境はずいぶんと変わった。はじめた当初は、あれは近年ないくらい私の機嫌が悪い時期だったから、サイトという別人格を作ることがある意味での緩衝材や安全装置の役目を果たしていた。

表現をしようとするからには、人はある程度は怒っていたいたほうがいい。以前、なにかの本で読んだ人生訓の類に「苦情の手紙は一晩寝かせてから投函すべし」とあったのだが、私はといえば、書いたら即座に投函して、それでもうせいせいしてしまうタイプの人間だから、自分で書いて、自分で編集して、自分で発行するウェブサイトなどは向いているのだろう。もっともそのおかげで度を超した主観の塊みたいな部分も多いのだが。

じゃあ、今はどうか。私は怒っているだろうか。

怒っていないとはいえない。でもその内容は以前とはまったく異なる。怒りよりはむしろ、ぼやーっとしたものに取り巻かれて右往左往している感じだろうか。それを自分ではっきりさせるためには、「もやもや」を「もやもや」のまま、とりあえず頭の中から引きずり出して形にして見せた方が早い。そんなものをいちいち見せられるのは、私ならうんざりだ。だが、ウェブサイトは金儲けのためにやっているのではないから、読者がいようがいまいがお構いなしという部分がどうしても残る。

どうだろう。このサイトはインターネット上に存在する何らかの価値を有しているだろうか。