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波動を合わせろ

(Jan. 19/2006)



天野正道さん、という名前を聞いてすぐに分かる人は、どれくらいいるだろうか。ある方面では極めて有名な人なのだが、このサイトを見ている人たちにはあまり馴染みがないかもしれない。

天野さんは映画音楽などで活躍する作曲家だ。テレビなどを見ていると、天野さんが作曲した映画音楽の一部がしょっちゅう使われているから、彼の音楽だと知らずに聴いている人が日本にはたくさんいるわけだ。一時期は彼が書いた「バトルロワイヤル」が一日に何度も流れることもあった(そしていまでも、週に何度かは聴く)。

私がこのペンネームっぽい名前(だって天の原の正しい道、ですよ)を知ったのは中学生のときで、全日本吹奏楽コンクールで金賞の常連校だった秋田南高校が、いつも天野正道の編曲になるムズカシイ音楽を演奏していたからだ。

吹奏楽というのは木管・金管・打楽器によるアンサンブル形態だが(舞台演奏であれば、ここにコントラバスが加わる。ときにはハープやピアノも入る)、とにかく天野さんが編曲したスコアはすごかった。当時の秋田南高校がそういうサウンドを持っていたからだろうけれど、ゴリゴリした音の塊が飛んでくる。

そんな天野正道さんと知り合ったのは、今から10年前のとある場所でだった。グルメの天野さんを自宅にお招きして、私の手料理を振る舞ったこともあるし(サラダに出したタマネギの「抜き具合」を褒められたのが一番うれしかったなあ。手間をかけた部分をちゃんと見抜くなんて、さすがだ)、イチオシのイタリアンに連れて行ってもらったこともある。天野さんの録音現場(オーケストラでアニメ映画のサントラを録音していたのだ)に一日中付き合わせてもらったりもした。

そんな彼から聞いた話で、今にいたるまで深く印象に残っているのがある。彼は言うのだ。長い G.P.(ゲネラルパウゼ、すべての楽器が休むこと)のあとで、ふつうなら、指揮者が棒を振って奏者に合図を送る。だけど、オーケストラ全体、奏者全員を包み込むような共鳴波みたいなものがあると、指揮者が微動すらしなくても全員がぴたりとタイミングを合わせて音を出せる。こんな話だ。

アタマがそろわない合奏は無様だ。数千分の一秒でもずれると、聴いている側も「あ、タイミングを外したな」と分かるものだ。プレイヤー同士はいろんな合図を送り合ってタイミングをそろえるが、天野さんによれば、波動さえ合っていれば合図などいらないということになる。

波動はもちろん、合わせるのに越したことはない。だがむしろ、演奏がご機嫌で幸福に満ちたものでありさえすれば、波動は自ずと合ってくるものだ。

一度だけだが、私もこういう幸福な経験をしている。時は1992年頃、場所は長野県小諸市にある小諸ユースホステルの食堂だった。

80 年代の終わりから数年間だけだが、秋から冬にかけて、ふと思い立つとこの居心地の良いユースホステルに遊びに行っていた。常連とまではいかないし、客の少ない時期ばかりを選んで行っていたから他に仲良くなったお客さんがたくさんいたわけでもない(そこで知り合った人でいまでも年賀状をやり取りしている人が、一人だけいる)。だけど、私が撮影した、満天の星空をバックにしたユースの写真はしばらくの間そこに飾られていたし(いまでもあるのだろうか?)、あの「こんじょの」全冊も置いてあった。

その小諸ユースホステルに泊まっていたある日、バイクに乗ってやってきた陽気なお兄さんと、私は仲良くなった。ジャズのギターを勉強していたという人で、ユースに置いてあったギターを華麗に弾きこなしていたのだ。あまりに素晴らしい演奏だったせいで、私もついつい調子に乗り、「ちょっとだけならピアノが弾ける」というようなことを口にしたのだろう。「だったら一緒に演ろうよ」ということになって、私たちは食堂に移動したのだ。

私は適当にジャズ"風"のピアノを弾き("風"なのは、私はブルーノートすらもきちんと身につけていなかったからだ)、彼はそれに合わせてギターを、これまた適当につま弾く。

そうするうちに彼は私のところにやってきて、「この曲を演奏しよう」といてジャコ・パストリアスの作品名を口にした。私がその曲を知らなかったので、そこで彼は、私が弾くべき通奏低音部のフレーズを教えてくれた。そうして私たちのジャズ"風"の連弾がはじまった。

演奏は20分あまりも続いただろうか。最初はきっちりと譜面どおりに弾いていた二人だったが、そのうちリズムが変わり、コード進行が変わり、どちらからともなくテンポを上げはじめた。ジャズ"風"だったのは、興に乗ってからのコードがC7、F7、G7の三つに絞られたのと、32小節のパターンを延々繰り返したからだろう。

ピアノに向かって左側、低音部の鍵盤を叩く私と、右側で自由自在にメロディーを繰り出す彼。私の左腕はひたすらにオクターブ運動をくり返し、右手はときおり彼の領域を侵害する。時には彼がピアノを離れて私にソロの権利を譲る。

ジャコ・パストリアスではじまった競演は、やがて曲名のない即興演奏として波動を整え、最後は、打ち合わせをしたわけでもないのにきっちりとユニゾンで演奏を終えた。合わせるまでもなく、波動はぴったりしていたのだ。演奏を終えた私たち(少なくとも「私」)は幸福で、そして、もちろん、がっちりと固い握手を交わしてお互いの健闘を称えた。私にしてみれば、相手はセミプロ、こっちはドシロウトだ。なのに波動が合ってみると、まるで対等なのである。

以来、あのような気持ちよさを感じたことはほとんどない。