天国を知らない僕たち
(Apr.18/2006)
つい先月のこと、定年退職される先生お二方の退職祝賀会が催された。どちらの先生も、研究と教育という、大学教員の重要な職務を全うしての退職であった。
そのうちのお一方は、私の隣に研究室を構えていた哲学の先生で、環境科学部の学部長職を二期にわたって務められたのだから、いわゆる大学運営においても大活躍されたといえる。
かように、われわれ大学人の仕事は、研究、教育、そして大学運営という3つから成るのである。
専任の大学教員になって、もう一年半も経つのだが、いまだに「大学はこんなことまでやっているのか」と驚くことが多い。どれが、とはいちいち書けないけれど、とにかく大学教員の仕事はとても多いのだ。教えるだけでもダメだし、研究するだけだともっとダメである。
この辺のバランスはしかし、勤務している場所によってだいぶ違うだろうし、時代によってもまったく異なる。たとえば、先の哲学教授は祝賀パーティーの席でのスピーチで、開口一番こうぼやいた。
「いやあ、昔は良かったねぇ。教養部時代は天国だった。」
長崎大学環境科学部は、かつて一般教養科目だけを担当する「教養部」だったところが組織替えして生まれた、新しい学部である。哲学教授がおっしゃっている「天国から地獄への転落」とは、教養部から環境科学部へと変わってから、という組織にまつわる変化と、「かつてと現在」という時代的な変化の両方を含んでいると考えていいだろう。
なぜ教養部は天国だったのか。教養部時代を知らない私が、周りの人々から聞いた話を総合すると、要するに、毎年配分される研究費は潤沢で、授業の負担もいまほどでなく、大学運営についての仕事も少なかったから、好きなことにのめり込めた、ということらしいのだ。
そんな時代を知らない私は、先のスピーチの続きを聴きながら、頭の中で「天国を知らない僕たち」という歌をうたっていた。もちろん、あの「戦争を知らない子どもたち」の替え歌である。
♪〜
天国を知らずに 僕らははたらく
天国を知らずに 僕らはせかされる
講義 ゼミナール 委員会
忙し過ぎても 給料は同じ
研究の楽しさを 思い出せるのか
天国を知らない 僕たちさ 〜♪
というふざけた歌なのだが、もちろん心の中で歌ったのであって、見た目はしごくまともな顔をしながらスピーチを聴いていたわけである。
「長崎大学助教授」を名乗る私には、社会人類学者という「研究者」としての一面があり、なおかつ学生を受け持つ「大学教師」としての一面があり、そして末端とはいえ大学運営に携わる「職員」でもある。その職員としての仕事を、多くの大学教員は「雑務」と呼ぶ。雑務の範囲は広く、学部運営にかかわるあらゆる仕事が雑務となる。
これはもう隠しようのない事実なのだが、職場によってこの「研究・教育・雑務」のバランスはまったく異なる。私の知人の一人は、「うちの大学じゃあ、雑務5、教育4,研究1だ」と言っていた。私の場合はたぶん、「教育4,研究3,雑務3」といったところだろうか。研究機関に務めていると「研究7,雑務3」くらいになるのだろうか?
今年からは新しい仕事をいくつか拝命したので、たぶん「教育4,研究2,雑務4」に変わるだろうと思う。教育のところは減らせないだろうし、雑務が増えるとなれば、どうしても研究に割ける時間が減る。こうして、ますます研究者としての自分を失っていく。こういう悪循環的なシナリオも、すでに想定しているわけだ。
もちろん、地獄にいながら、上空を見上げて蜘蛛の糸が垂れ下がってくるのを、ただ待っているというわけではない。
とにかく夏と冬にはまとまった空き時間を見つけて、フィールドに出ないといけない。もちろんここで言う「空き時間」とは、雑務と授業が存在しない時間のことだ。だから、当面の問題は時間である。だが、同時に、研究には金がかかるので、そのための予算も手にしていないといけない。
かつての大学は、予算の面でも天国だったらしい。ものすごく単純化して言えば、論文を書かなくても、研究業績が全くなくても、予算が(いまと比べて)たくさんもらえたということだ。いま研究費をめぐる状況は年々厳しくなっている。私は長崎大に来てから、はじめの半年と、次の一年と、2回にわたって研究教育経費の配分を受けたが、すでに昨年の段階でかなり減額されていた。
聞けば、国立大学が法人化されてからというもの、「天から降ってくる」研究費は急激に減り、かわりに、いわゆる「競争的資金」で稼げというふうに変わってきたという。要するに、これからどんな研究をするかをきっちり申請書に書いて、それが認められればもらえるお金、それをとってこいというわけだ。
これが、学外からとってくるだけではなくて、学内ですら競争させられるのだから気が休まらない。研究のための資金獲得が、なんとなく雑務のような様相を帯びてくるのはこういうわけなのだ。
私の手元には、いま、外部資金がゼロだ。そんな私にとって困るのは、こういう資金を稼がずにいることにたいする劣等感のようなものが、どうしてもついてまとうことである。去年は三つ申請してかろうじて一勝、今年はすでにひとつ落ちた(今日、落選通知が来たのだ)。外部資金というのは、どうしても実学分野に偏るから、人類学などをやっている私は、それほど申請できるわけではない。貴重な申請機会である科研費(文部科学省が配分する研究費)を逃すと、あとは、いかにも実学っぽく申請書をでっち上げるか、あるいは、申請しないか、のどちらかを選ぶしかない。
去年は後者を選んだ。今年はどうしよう……。
それにしても、研究費を獲得するための申請書の「でっちあげ」の多いこと、多いこと。研究というのはやってみないとわからないから、申請書に書いたとおりの結果が出なくても許される。あるいは、予定した通りのことをしなくても、許される。時には、研究費での出張と称して、旅行を楽しむ人もいるとかいないとか。研究費は名目がしっかりしていれば使えるから、それこそ「名目のでっち上げ」だって訳ないだろう。
でっちあげが上手な人は、使途のでっちあげだって上手いに決まっている。とひがみ半分で言いたくもなる。
研究者は、どれだけ論文を書いたか、どれかけ発明をしたか、どれだけ社会に貢献したかで評価される。そう私は教えられてきた。だが早晩、「どれだけ資金を稼いだか」でしか評価されない時代がこないともかぎらない。不思議と、どれだけ教育をやったかはないがしろにされているのが大学である。何千人という学生を抱えていながら、教育の実績を評価する仕組みは貧弱だと強く思う(これは専業非常勤だった時代からつきまとう不満だ)。
僕らは天国を知らない。知っている人たちは、私などよりもずっとたくさんの鬱憤を抱えているだろう。そう考えると、天国を知らずにいたことは、不幸中の幸いなのかもしれない。
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