昭和天皇のゲケツ
(Apr.30/2006)
つい数日前のことだが、ゼミの学生と一緒にレポートの文章を手直ししながら、「えーと、今年は平成何年だったっけ?」といような話になった。教師をしていると、「平成○○年」よりも「平成○○年度」のほうが必要になってくるので、ときどき、いまが何年なのか分からなくなることがあるのだ。
たとえば、西暦2006年は平成18年にあたるが、その平成18年の1月から3月までは、年度でいえば「平成17年度」である。そういう「18年なのに 17年度」という時期に、たとえば翌年度分のための書類作りにかかりきりになっていると、気分は「18年度」、だけど実際には17年度、というようなことになって、じつにややこしい。
まあ、しかし「年」と「年度」のややこしさについては、今日の本題ではないからこれでおしまいにしよう。
ゼミ生との会話で私がとっさに口にしたのが、「えーと、今年は昭和81年だから……」というようなことだった。自分でも意外なのだが、相変わらず元号は昭和でカウントされているのだ。私の頭の中では。
別に昭和天皇に忠誠を誓っているわけでも、平成を認めていないわけでもない。理由は簡単で、西暦と昭和は「25を引けばいい」という簡単な変換式があって、それが頭に残っているだけなのだ。(私は1968年生まれなので、下二桁の68から25を引けば43、すなわち昭和43年となる)。これは高校の社会の先生から教わった便利な知恵である。
これに「昭和元年=大正15年=1926年」という知識を組み合わせると、割合簡単に、年号の計算ができるようになる。
さて、この「昭和81年」を口にして、いまだに頭の中では昭和が続いているかのような私の目の前には、ほとんど昭和を知らない学生がいて、そのことから、私と学生の間に目に見えないジェネレーション・ギャップという深い谷を意識せずにはおられなくなった。というのが、今回の本題である。
まず目の前にいる学生は22歳、つまり1983年(1983-25=昭和58年)生まれだということを念頭に入れておく必要がある。そうしないと、この学生がいかにもモノを知らない人間みたいに見えてきてしまうだろう。なにせ「平成」がはじまった時、まだ彼らは幼稚園の砂場で人生に必要なことを学んでいたのだから。
ちなみに、昭和天皇が亡くなったその日、私は大学一年生の冬休みで、学習塾の冬期講習をやっていた。
ゼミ生が、「何となく知ってるのは、オブチさんが"平成"の色紙か何かを記者会見で示しているのだけですね、私。」といえば、私は「ええっ! じゃあ昭和天皇の病気とか手術とか、そういうのも全然知らないのかー!?」とかなり驚く。
いや、驚く必要はなかったのだ。なにせその時、彼らは幼稚園の滑り台なんかで遊んでいたのだから。でも、それが分かっていても、やはり驚く。あちらは人生の四分の三を平成で過ごした人間であり、私はといえば、相変わらず昭和で計算したり、ビニールのアナログ・ディスクをたくさん持っていたり、「横浜ベイスターズ」というべきところを今でも「大洋ホエールズ」と呼んでしまうようなオジサンだ。
「じゃあ、お前らはゲケツも知らんのか!?」
「な……なんですか、それぇ??」
ゲケツは「下血」だ。腸から出血したのが肛門から出てくる、というものだったと思う。この言葉を毎日、何度も聞いたものだ。
「橋本大二郎っていう高知県の知事を知ってるか? ハシリュウの弟なんだが」
「あ、ハシリュウなら知ってます」
「そのハシリュウの弟が、あの頃はNHKの記者だったんだよ」
「へぇー」
「それで、天皇の病状を報告する担当になったんだ」
「へぇー」
「毎日、朝と晩のニュースに"今日の天皇陛下のご病状"みたいなコーナーがあってな」
「"きょうのてんのう"……ですか」
「そうそう、"きょうのてんのう"だ。そこで、そのハシリュウの弟が、"今日のゲケツは何ミリリットル"みたいなことを毎日報告してたんだ」
「肛門から出てくる血がニュースになるんですか」
「そうだ。それで全国のお茶の間ですっかり有名になって、おまけにイケメンでハシリュウの弟だったから、さっさとNHKを辞めて知事になってしまったんだ」
というような会話で、最後の橋本大二郎が知事になった経緯のあたりは推測と脚色が濃厚なのだが、肝心なのは、ここで私が開陳したようなことが、すでに現役大学生にとっては"過去の物語"だ、という事実なのである。
私が影響を受けた小森陽一先生は、私よりも15歳年上で、そのころ私は二十歳そこそこ、小森先生は30代半ば過ぎだった。小森先生から聞かされた60年代末〜70年代の学生運動の逸話などは、私たちにはそれこそ過去の物語だった。だが、その"過去の物語"を、聞く側はいろんなふうに意味づけして90年代初頭に大学で学ぶことについて、いろいろと考えたものだ。
「ちょっとだけ過去」の物語は、ちょっとだけカビ臭く、ちょっとだけ色あせた情景だ。だが、自分の位置取りを考えるにはちょうど良い基礎を与えてくるような気がする。
だが、いま、長崎大学のゼミ室で37歳の私が、当時の私のような22歳の学生にむけて、昭和から平成にかけての"自粛の嵐"時代を語ったとして、はたしてそれが「今を考える」だけの材料を与えていることになるのかはなはだ疑問だ。
人類がこれまで経験したことのない常時戦争状態にある世界という脈絡において、憲法改定と軍事化へひた走るこの国で大学生でいることの意味。あるいはそこで教師として働くことの価値。そういうことをこれまで考えてきたつもりが、じつはまったく考えていなかったのではないか。
15歳年下の彼らに、たんなるジェネレーション・ギャップでは済まされない「何か」を、いかに伝えていくのか。
昭和天皇のゲケツなどという話をしたあとで、ふと、そんな難問に出会ってしまったのである。
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