セクハラ被害防止について本当に知りたかったこと
(July 12/2006)
セクシャルハラスメント(通称セクハラ)という言葉が市民権を得て、急速に注目を集めるようになったのは1980年代の末らしい。不思議なもので、いまでいうセクハラはそれ以前にも当然あったはずなのに、この言葉はほんとに新しいのだ。
セクハラって言葉が出てくる前にはなんと呼んでいたんだろう? セクハラはある特殊な環境下で発生するものである。その点が、たとえばレイプが人類の歴史のはじめから存在したのとは違う。
あまり具体的なことは書きたくないので、適度にボカして書くが、これまで私が関わってきた場所(たとえば仕事先など)にもはっきりとセクハラと呼べるものが存在したし、「セクハラまがい」と後ろ指されることがらも数多く見聞きしてきた。
塾や大学で教えてきた人間(そして現に教えている人間、とりわけ男)である私も、セクハラにはずいぶんと気を遣ってきた。マンツーマンでは言いたいことの十分の一も言えないくせに、大勢の前だと大口を叩く私のような男は、とくに気をつけなきゃいけない。
たとえば。文化人類学の授業ではわりと頻繁に「性」関するテーマを取り上げる。たとえば女子割礼を取り上げる際には、男性器や女性器のパーツの名称を何度も言わなきゃならないし、セクシャリティの授業なども同じくである。まさか授業内容に関して「セクハラだ!」って訴え出る輩がいるとも思えないのだが、慎重を期して最近は前置きにこんな断りを入れるようになった。
「今日はいろいろ言うけど、お願いだからセクハラで訴えないでね♪」
まあこんなのは可愛いもので、この間などセクシャリティの授業の前にこんなことを言った気がする。
「今日は"セックスする"を20回、"寝る"を15回、"やっちゃう"を10回くらい口にしますけど、あくまでも解説のためですから、この手の話題が嫌いな人は今日は退席して結構です」
幸いにも、みんな「この手の話題」が好きなのか、あるいは慣れっこなのか、一人として席を立たなかった。(←おおっと、こういう発言が案外ヤバイのかも)
以前、非常勤で教えに行っていた青山学院大学は、ある年の新学期直前に全教員にむけて「セクハラ防止ガイドライン」なるものを通達した。詳しくは覚えていないが、そのなかに「教員がやってはいけないこと」というのがあって、こんなのが目を引いた。
「異性の学生と個人的に飲食をするべからず」
たとえば男性の教員が、女子学生とツーショットで食事をしたり酒を呑んだりするのはあらぬトラブルの元となる。恋愛感情が皆無でも、たんなる学習指導でも、目撃者がいたら大変、ということだ。もっともその「飲食」がドトールでコーヒーを飲みながらサンドイッチをつまむ程度のことであればあまり問題にもならないだろうし、その辺はみんな柔軟にやってるんじゃないだろうか。
もっとも先の「異性の学生と個人的に飲食をするべからず」については、私も「なるほど」と思ったので今にいたるまできちんと厳守している(……と思う。←だんだん自信が無くなってきた)。
こんなことをつらつら書いたのは、今日(7月12日)環境科学部のハラスメント防止講習会があったからなのだ。講師は同い年の女性弁護士。経験豊かな方で話は面白かったし、ずいぶん勉強にもなった。ただ、私が本当に知りたかったことについては一言も語られなかった。
講演を聞いての率直な感想は「セクハラ事件に巻きこまれたら面倒だ」ということだ。もちろん自分が誰かにハラスメントをかますのは問題外である。だが、自分が学生をデートに誘ったりお触りしたりしなくてもトラブルに巻きこまれる可能性は十分にある。それというのも、私は過去に何人かの女子学生から好意を持たれたことがあって(自慢ではないので誤解無きよう)、それを処理するのに結構な心労を味わったことがあるのだ。
女子学生(たち)の感情は尊重しなきゃいけないし、かといってずるずる関わり合っているとトラブルになりかねない。にも関わらず現役の受講生だったりすると毎週教室で会うことになるから、時にはそれが気重に感じられる。
そういうときに思い描くのは、いくつかの「まずいシナリオ」だ。
たとえば「帰り道を追跡される」(これは実際にあった)。
たとえば「キャンパス内で抱きつかれる」(これに似たことがあった)。
たとえば「人前で大泣きされる」
たとえば「ウソ八百で訴えられる」。。。。
長崎大学に研究室を構えてからの私は、自分の研究室が女子トイレの真っ正面であるにもかかわらず、わりと部屋のドアを開けっ放しにしている。それというのも、上に書いたような過去の教訓があるからなのだ。
たとえば「研究室に入ってきた女性が、一言"キャー"と叫ぶ」。。。ああ、考えるだけで恐ろしい。
ハラスメント防止講習会に話が戻るのだが、もし私が「キャー」と叫ばれて濡れ衣を着せられたら、公には私は加害者、でもじつは被害者、ということが起こりうる。実際、提示された資料にはセクハラで訴えられた大学教員が、逆に名誉毀損で訴え返すという事例がいくつも見られた。
この「加害者とされた人物が、じつは濡れ衣の被害者」というのは、妖術事件にそっくりだ。だれかが病で死んだ。あんなに元気だったヤツがぽっくり逝ったのは、だれかが妖術をかけたからに違いない。そうして占い師は、同じ村のある人物を「ヤツが妖術を使った」と名指しする。なぜその男が名指しされたのか。死んだ男との間に確執があったことを村の誰もが承知しているからだ。男がほんとうに妖術を使ったのか、あるいは、本当にただの濡れ衣なのか、誰にも分からない。ただ、「ヤツが妖術を使った」と占い師が言えば、それがその村の「事実」として一人歩きを始める。
その昔、東京の某大学で起きたセクハラ事件(一部ではレイプ事件として取り上げられていたと思う)は、そのあたりが争われた事件だった。教授が大学院生をレイプしたという事件で、たしかに研究室でコトに及んだという事実が裁判で明らかになったらしい。この事件が特異だったのは、これによって失脚した教授が当時、学長だか学部長だかの有力候補であり、大学院生はその教授を失脚させる「くノ一」として送り込まれたという憶測が飛んだ点にある。
こういうとき、困るのは「ホントにやったのかどうか」を立証する手間が非常に面倒であるということだ。なにせセクハラは、やった本人の意図がどうであろうと、被害者(と自覚する人間)が不快に感じた時に発生する、というのだ。事案の発生は「不快な感情の発生」によって決定されるのである。
セクハラをどうしたら未然に防げるのか、セクハラの何が問題となるのかについては、私だってかなり知っている。本当に知りたかったのはそういうことではなかった。私が知りたかったのはこういうことである。
「部屋で"キャー"って叫ばれたらどうしたらいいんですか?」
「叫ばれたら、どうやって自分の潔白を証明できるんですか?」
自分の研究室に24時間の監視カメラを設置しようかと、半ば冗談、なかば真剣に考え始めている私である。
前のページへ