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My History of Macintosh op.2

(Oct.27/2003)

いまでこそ筋金入りのマックユーザーである私だが、以前はWinを使っていた。1994年に購入したWin機はメモリーが12MB、ハードディスクが 500MBという実装で、CD-ROMドライブもついていなかった。当時はCD-ROMを標準で備えていたのはそれこそMacだけで、12MBというメモリーは必要にして十分、HDの500MBは大きすぎて、半分も使い切らなかった。ちなみに、いまこれを書いているMacintosh PowerBook G3(Pismo)には20GBのHDが積まれていて、ほかに40GBと60GBの外付けHDも使っている。いやはや技術進歩の加速度には目が回る思いがする。

Win機を使っていたのは実質6年間だった。当初から入っていたOS(Windows 3.1)は、いま思えば、なかなか素晴らしいOSで、6年の間にフリーズしたのはたぶん3回くらい、システムを初期化したりしたことは一度もなかった。Win95を嫌ってMacに走ったのには、そういう事情もある。ちなみに最初に買ったワープロは一太郎Ver.5でこれはあまり使いやすいとは言えなかったが、ATOKにはいまでも世話になっている。なにせ専門用語やらバンナ語のカタカナ表記やらがはいった辞書は重要な資産なので、ほかのものには変えられないのである。(それと、指が操作法を覚えてしまっているということもある)

それにしても、Winユーザーだった頃には、私はMacに対して「憧憬」と「懐疑」という両義的な感情を抱いていたものだ。大学院の親友TがもっていたMacはすごくかっこよかったし、ほかの院生たちからもMacの良さをずいぶんと聞かされた。論文に添付する図表を作るときだけMacの力を借りたり、写真を多用したレポートを編集するときには、別の親友Bの自宅にまでMacを使わせてもらいに通った。これがいわば「憧憬」の心だ。

にもかかわらず、「懐疑」のほうもなかなか消えなかった。当時、都立大の院生たち(社会学と人類学の)が使っていた電脳部屋には2台ほどのデスクトップ Macがあったが、こいつらは使うたびに「フリーズ」そして「再起動」。しかもMacは社会学の院生が管理していて、人類学徒が使うのはちょっとおそれおおかった。いま思えば、あのころのMacは評判も悪く、たまたまそういった不良品に当たってしまったために、「懐疑」が先に立ってしまったということもあったのだろう。とにかくまだMacを買おうと踏み切れるほどではなかった。それに当時のMacは、いまとは違って値段が高かったのだ。

転機は1997年に訪れた。いまの同居人と暮らしはじめたとき、彼女が古いMac(SE/30という伝説的名機)を持参してきたのだ。これは小さなモノクロ画面のコンパクト機で、古いせいかよくフリーズしたし、インターネットにも接続できなかった。聞けば、うちが3代目か4代目のオーナーだということだ。このSE/30には、ファーストチルドレンの名前を取って「Reiちゃん」と名付けた。

仕事にはまったく使い物にならなかったが、私はSE/30で遊んだ。ゲームではない。このマシンには、素性のよく分からない楽譜編集ソフトがはいっていて、これで音を鳴らすのにはまってしまったのだ。たった四声しか入力できなかったことが、かえって創作意欲をかき立てた。これは指四本でピアノを弾けというのと同じことだ。たとえば、ジャズの名曲、Bill Evansの"Waltz for Debby"を、いかに効率的に編曲し、四声で鳴らすか。ディスプレイ上の五線譜に試行錯誤しながら音符をおいていく作業は、そうしたイマジネーションをかき立てるものだったのだ。たとえるなら、限られた素材で、できるだけシンプルに、しかも深い味わいの一品料理を仕上げるような仕事だったのである。

Macのもうひとつの魅力は筐体デザインのシンプルさにある。電車のなかでビジネスマンが開いている某I社や某S社のノートパソコンを見ていると、背面にむき出しになったパラレルポートなんかが妙に機械臭くて、それを見るにつけダサイと思う。いまでもMacを使い続けている理由のひとつは、やはりデザインなんである。

そんなわけで、1998年にエチオピアに行くにあたって、迷わずMacを選んだ。PowerBook1400というノートブックである。いまではとても持ち運べない重量級のマシンだが(3kgをオーバーしていた)、サイズはかなりコンパクト。これは2号機パイロットの名をいただいて「Aska」と呼ばれている。本家(?)のアスカ惣流ラングレーと同じく、気性の定まらないマシンで、手なずけるのに苦労した。Askaはこれまでエチオピアに2度、ギリシアに1度、海外渡航を果たしている。いまでは現役を退いているが、デザインがいいので、とてもじゃないが捨てられない。(つづく)