幽体離脱をしばらくしていない
(July 25/2006)
先日、同僚の一人が共同研究の報告書をくれた。さまざまな分野の研究者が集って「人間と環境」について考えをめぐらせた研究である。その報告書の中でとりわけ私の注意を引いた文章があった。脳科学者が書いたものである。
それは人がどのように外界の情報を処理し環境を作り上げているのかについて、脳の働きから考える論考だった。そこに「夢」の作用について書かれたくだりがあった。
それによると夢というのは、目覚めている間に処理しきれなかった情報を適切に処理するためにある、あるいは、過剰で負担になる情報を、夢を見ることで然るべき場所に位置づけたり処分したりするためことができる、ということであった。
私たちはだいたい、睡眠中に何度か夢を見る時間を迎えている。数幕にわたる夢劇場のうち覚えていられるのは最後の一幕だけだ。よく、夢を見る人と見ない人がいるという話を聞くし、私もそのように感じているのだが(私は「よく見る人」である)、実際には誰もが夢を見ているので、その違いは要は目覚めた後にそれを覚えているかどうかの違いに過ぎないのだろう。
そう考えると、自分が「よく夢を見る」というのは、夢を見ても処理が追いついていないみたいで、まるで自分の脳みその処理能力の低さを露呈しているのかのようである。
ちなみに、睡眠中に夢を見させない、という過酷な実験がある。夢を見ている人は閉じたまぶたの下で盛んに眼球を動かすという。そこで眼球が動き出すたびに起こしてしまうと、一晩まったく夢を見られなくなる。聞くだけでも壮絶な人体実験だ。
この実験を3日間つづけると、日中でも幻覚を見るそうだ。つまり、処理しきれない情報が溢れてしまって、睡眠していなくても夢が出てきちゃうと言うわけだ。ここまで聞くと、一度くらいやってみたい気もしてくるな。どうだろう、みなさん。
私の知人には「寝る直前の出来事がそのまま夢に反映される」という人物がいる。たとえば「007」を観てから眠りにつけば、自分がボンドガールとして活躍している夢を見るという。こういうのはどうなんだろう。睡眠の直前だから処理しきれなかったのか、それとも、たかが映画ごときをわざわざ処理に回すほど敏感な脳ってことなのか。
なんにせよ、それもオツかもしれない。「機動戦士ガンダム」を見てから眠ると自分がモビルスーツを着てる夢を見られたり、エッチなビデオを観てから眠ればそれがそのまま夢の中で再現されたりするのだから。
もっとも、私の脳はそんな風にうまくはできていない。眠る直前に起きた出来事で、夢の中で再現されるのはたいがいが最悪の出来事である。
そんな私だが、夢なのか何なのか判別できないものに、幽体離脱の体験がある。
私の幽体離脱は理論的に導き出された方法に則ったものである。だからやり方を説明することができるし、現にこれまでも講義の場で学生たちに指南してきた。
そもそもの端緒は、立花隆の『臨死体験』という本を読んだことだった。そのなかに、自分から幽体離脱をして先立った妻に会いに行く老人の話が出ていたのである。
老人の方法はこうである(本の内容についてはあいまいな記憶に頼っているので、興味のある人は現物を手にとって読んでほしい)。まず、数週間前から食事を減らし、身体を衰弱させる。体が衰弱しきったところ(心拍が極限まで減った状態のことを指す)で眠りにつき、意識だけが目覚めたら体を置いて魂だけを抜く。そして上空まで飛んでいって妻に会う。
この方法は、「体が動かない時に無理に体を起こそうとすると魂だけが抜けてしまう」という原理(?)に基づいている。つまり、意識は目覚めているのに体が動かないという状況を作り出せばいいわけだ。
この箇所を読んで私は、これならできると思った。「意識は目覚めているのに体が動かない状況」というのは、いわゆる金縛りと同じである。だからその状況に陥った時に頑張れば幽体離脱ができる。あとは金縛りになるのを待つだけだ。
一般には金縛りは女性に多いとされるのだが、私もときどき経験する。はっきりいって気持ちの良い体験ではないし、それ以上に恐怖心にさいなまれるから、私自身はあまり好きではなかった。
最初に金縛りを体験したのは18歳の時だったと思う。
当時は相模原の自宅で、死んだ祖父が住んでいた「離れ」に一人で寝起きしていた(つまりプチ一人暮らし体験である)。その夜、夜中にふと目を覚ますと、何者かが近づいてくる気配がした。それはかつて仏壇が置いてあったあたりからやって来る気配であり、ひたひたという足音まで聞こえてくるようだった。私は必死に起きあがろうとするが、指先がしびれるばかりでまったく体はまったくいうことをきかない。「助けてくれ〜」と言ったかどうか定かでないが、何かを叫んで、それで終わったと記憶している。
その後もたびたび金縛りに襲われたのだが、これが幽体離脱のチャンスとなれば話は恐怖は楽しみに転じる。
待ち続けた金縛りがやって来たのは、幽体離脱の方法にたどり着いて数ヶ月してからだったと思う。体が動かないのを確認して、私は必死に頑張った。逃げるためではなくて、魂を抜くためだ。力を込めた。力を込めるといったって、どこに込めたらいいのか分からないのだが(筋肉? 魂? 魂の筋肉??)、とにかく力を込めた。
すぽっ、という音がしたかどうか知らないが、とにかく上半身は起きあがった。背後をふり返ると……自分の身体が横たわっている。やった! 幽体離脱に成功したんだ!
と思ったのもつかの間、今度は怖くなってきた。このまま全部抜けちゃったらどうしよう。早く戻らなきゃ。さっきまでの努力(?)をふいにして、今度は必死になって抜けちゃった上半身を戻そうと力を込める私である。これがいまから10年ちょっと前の出来事だ。
以降、幽体離脱には3回ほど成功している。そしていずれも、上半身だけ抜いて終わりにした。毎度のように「次こそは全身抜いて飛び回ってやる!」と決意するのだけれど、抜けてみればやっぱり怖いのだ。
「私が鳥ならば、あなたのところに飛んでいけるのに」
という仮定法過去の有名な例文があるけれど、私の場合は、
「次に幽体離脱したら君のところに飛んでいくね」
という、冗談なのか本気なのか判別できない直説法である。
その幽体離脱はもう何年も体験していない。金縛りにあわなくなったというのが一番の理由だが、ほかにももっといろんな理由がありそうな気がする。
幽体離脱は夢だったのだろうか。もしそうならば、いったいどんな「処理しきれない情報」があったというのだろう。
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