Back to School
(Sep.16/2006)
土曜日、日曜日、そして敬老の日(私はしょっちゅう「老人の日」と言い間違える)と続く、超苦手な三連休である。論文がまるで仕上がっていなくて、おまけに後の仕事が滞っている。なんとかオフィスに行かにゃならんと思っていたのだが、出がけに突発的な「事故」があって、結局ずっと自宅にいた。
この辺は書き出すとキリのない深い事情があるので割愛するが、結論から言えばひどい精神状態にあって一人で過ごせたのはラッキーだったと言えるかもしれない。もうホントに、誰にも会いたくない、そんな気分になることだってあるのだ。
外に出かける、というのは結構覚悟のいることなのかもしれない。今日も、日中何度も自宅を出ようとしたのに、カバンを掴んで、玄関のカギをかけ、バス停に向かう途中で足取りが重くなる。のろのろ歩いているうちにバスは行ってしまう。仕方がないからまた戻る。
そういうことを二度ほど繰り返して、今日は出かけるのを諦めた。自分の研究室に行くだけのことなのに、どうしてこうも引っかかりが多いんだろう。
これに似たことが、およそ20年前にもあった。高校一年生の夏休み明けからだ。
私は高校を卒業できなかった。なんとか2年生には進級したものの、ほとんど出席せず、落第。2回目の2年生も早々に諦めて6月に退学してしまった。 1986年の6月6日のことだった。大検の申し込みが目前に迫っていたから、というのが直接の理由だったが、もうこれ以上学校に居続けてもどうしようもないと思っていたのも事実だ。
このことにまつわる話は以前にもTalkのどこかに幾度も書いてきた。大学の話をすっ飛ばして高校の話ばかり書くのは、やはり自分にとってあの時代のことがコンプレックスになっているからなんだろう。周りを見回したって、高校中退で私立大学卒なんて大学教員は私しかいない。面と向かって言われたことはないけれど、おそらく、ある種の人びとにはバカにされていると思う。
まあ、仕方ないだろうな。こんなのはたいした問題じゃない。
不登校の時期というのは、それはそれは苦しいものだった。行く意味が見いだせないから行かない。それよりも自宅で本を読んでいる方が楽しいから、ずっと家にいる。そのうち夜型生活に馴染んでいって、明け方に眠りにつくようになる。夕方からは部活があるので、午後3時半過ぎに制服を着て自宅を出る。道中、下校途中の同級生とすれ違いながら、なるべく教師たちに見つからないように校舎に入る。
その部活も、ときにサボりがちだった。部長のくせにこれだから、ぜんぜん信頼されなかった。これも仕方ない。
大学と違って、高校まではクラスの一員として順調に学校生活を送ることが求められる。それはしかし、土手の細道をみんなで手をつないで歩くようなもので、ちょっとした弾みで転がり落ちたりもするのだ。一度道をはずすと、もとに戻すのは大変だ。無理に戻ろうとしてもがくヤツもいるだろうし、早々に見切りをつけるヤツもいる。おーいこっちだぞー、手ぇつないで歩こうや、って声をかけてくれる人もいるが、土手の茂みは深くて急だ。簡単には上れない。
簡単に戻れない。このことを自覚するまではえらく苦労した。朝起きると遅刻ギリギリ。今日の科目が何だったかも思い出せない。ようやく教科書をそろえた頃には遅刻は明らか。それでも「今日こそ学校に行かなきゃ」という気負いと、「もう授業について行けないよな、止めとこうかな」という弱気とが葛藤する。
こんな感じで数週間を過ごしたある日、珍しくきちんと登校した日があった。教科書もバッチリそろえて、自分の席(留守中に席替えされて、一番前になっていた)についてみると、なんだか雰囲気がおかしい。なんとその日は、中間試験の初日だったのだ! まさかここまできて引き下がるわけにもいかず、一時間目の英語の試験に臨んだものの、まったく勉強していないからできるわけがない。テストが終了し、白紙答案を提出するやいなや、教室を後にした。
もう戻れないと自覚したのはあの時だった。
こういうことがずっとコンプレックスになっているのかもしれないと思うのには理由がある。じつは今でも年に数回、自分が高校生に戻っているという夢を見る。夢の中の自分も授業について行けない。教科書の何ページを開けばいいのか皆目分からない。下手をすると教科書そのものを持っていなかったりする。それでも「ちゃんと学校に通うのだ、やり直すのだ」という気合いだけは入っている。
こういう夢を見たあとは目覚めが良くない。
人生は結果オーライ、らしい。いまの自分がかるからこそ、20年前の自分をこうやってふり返ることができるのだ。いまさら高校生からやり直したいなんて考えたら、いまの自分を否定することになってしまう。
にも関わらず、教室に戻る夢を何度も見てしまうあたり、本音のところではもう一度高校生になりたいと思っているのかもしれない。いまだって苦しいのに、あんなに苦しい時期をもう一度やるなんてトンデモナイ、と思っているのに、「ひょっとしたらあり得たかもしれない幸福な高校生活」とやらに憧れを抱いているのだ。
どうだろう? 私がもう一度高校生になることは可能だろうか?
同い年で、同じ時期に高校を中退した友人がいる。彼はいま、仕事をしながら通信制の高校に通っている。大人になってから通う高校は本当に楽しいらしい。そんな彼を見て、いまでは教師になってしまった私も、あたかも自分が楽しい高校生活を送っているかのようにうれしいのだ。
足取りが重い、なんて言ってる場合じゃない。戻れないと思ったら見切りをつけちまえばいい。きっといつか、楽しめる時が来るだろうさ。
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