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大停電の夜、長い夜、眠れぬ夜

(Sep. 23/2006)



 長崎に来て発見したことの一つは、日の出日の入りの時間が遅い、ということだった。そのことに気付いたのは着任してしばらく経った、夕方の研究室だった。

 私の研究室は真西を向いているので、太陽の沈み方についてはそれなりに敏感になる。ここでの最初の冬、ある日の夕方に、ふと気が付いたのだ。「ちょっとまて、日の入り、遅くないか」って。

 たとえば冬の横浜では午後3時になるともう暗くなり始めるが、長崎ではそのタイミングがずっと遅い。横浜での感覚を引きずっていると、長崎の冬はえらく日が長いように感じてしまうのだ。

 調べてみると、たしかに九州と関東では結構な「時差」があることが分かる。2006年9月20日の横浜の日の出は5時27分、長崎は6時7分でジャスト 40分遅い。日の入りも同様で、横浜で17時42分、長崎で18時21分だ。タイムゾーン変更とまでは行かないが、かなりの差があることには違いない。

 それで思い出したことがある。私の弟はかつて帯広に勤務していたことがあって(いまは札幌)、そのときの話を聞くと、なるほど、北海道にはサマータイムがあってもいいかもしれないなと思ったのだった。

 弟の話はこうである。帯広で草野球のチームに入っているのだが、夏はだいたい朝に試合をする。それも仕事前に2試合だ。夏の北海道では午前3時には明るくなり出す。そこで早朝に集合し、日の出とともにプレーボールして2試合やると、まあわれわれ非・北海道人が目覚めるくらいの時刻になる。それから自宅に帰ってシャワーを浴び、朝飯を食って出勤する。こんな話だった。

 夜はかなりの早寝をしなければならないはずだが、でもこれはこれで有意義な時間の使い方である。夏の九州でいつまでもたっても日が落ちないのを楽しむか、北海道でたっぷりと朝の時間を楽しむか。そういえば長崎の花火大会は、関東よりも開始が30分ばかり遅かった気がする。

 エチオピアにいると、日の出と日の入りの時間をいちいち気にする必要はない。なにせ年間通じて、多少前後するとはいえ、日の出も日の入りもほぼ6時なのだ。これは赤道に近いからだろう。大げさな言い方をすれば、一年365日、毎日のように春分の日か秋分の日である。日の出ずる方角も、日の没する方角も、ほとんど変わらない。

 電気のないバンナの村では、一日のまる半分を占める夜は本当に長かった。私はテントの中でランタンをともしたり、ヘッドライトをつけたりしていたが、それでもバンナの夜は長いと感じていた。

 なんでこんなことを書いているかというと、先日の大停電でふと、このバンナでの長い夜の感覚がよみがえってきたからなのだ。

 9 月17日の夜に長崎県に上陸した台風13号。こいつは「かぜ台風」だった。外を見ると、ヤシの葉が次から次へと落ちてくる。ポリ袋が飛んでいく。トタン板がどこからか飛んできて、向かいの家の壁に激突する。あらかじめ準備しておいたにもかかわらず、うちのベランダからも段ボールが2枚飛んでいった。

 停電はすべからく、突然やって来る。

 風にあおられて電線がぶらぶらしている様を見て、思い出すのはアディスアベバ(エチオピアの首都)で見た光景である。友人たちと共同で借りていた家は、強風が吹くと「ふっ」と電灯が消えることがあった。外を見れば、不必要にだらりと垂れ下がった電線が、風にあおられてぶつかっている。電線どうしがぶつかるとバシッと火花が散る。火花が散ると、室内の電灯が「ふっ」と消える。

 エチオピア南部の県庁所在地・ジンカでは電力の供給はは夜6時から0時までと決められていた。10年以上前のジンカでは、一般家庭で電気を引いている家はあまりなくて、もっぱら街灯と、食堂・レストラン・バーの類で利用されていた。

 ジンカの電力はすべて、町の発電機(発電所と呼ぶには規模が小さすぎる)でまかなわれていた。1998年だったか、発電所用の燃料を運ぶトラックが町の手前40キロ地点で横転したことがあって、ジンカではその後まる2ヶ月間、電灯のともらない日が続いた。電力が復活した時には、町中からどよめきが起こったのが印象的だった。みんなやっぱり、明るいところが好きなんだ。

 話は再びバンナの地に戻る。

 バンナでは「電気」と呼べるものは懐中電灯くらいしかなかったから、夜の明るさは月と雲によった。新月の晩は、ほんとうになにも見えないくらい真っ暗で、外に出るのがためらわれた。半月経って満月の晩ともなれば、懐中電灯なしでもブッシュの中を歩くことができる。

 人間の生活の半分は、夜に営まれる。

 暗くなってもノートに書くべきことは沢山あった。だが、そのためには懐中電灯(私はヘッドライトを愛用した)やら、ロウソクやら、灯油をともすランタンやらが必要で、私はそういうものを沢山持ち込んでいた。ヘッドライトや懐中電灯(中国製の安物)はみんな彼らにあげてしまったし、12年前に方々でプレゼントしたランタンはいまでも現役である。その明かりは、彼らの台所を照らし、夕餉を照らし、団らんの場を照らした。

 長崎での大停電の夜は、暗闇ですることもなく、夜7時にはベッドに横になった。浅い睡眠から目覚めたのは11時過ぎで、その後はここ数週間続く入眠障害のせいなのか、明け方まで眠れずに過ごした。

 日本にいると、暗い夜にはなにもする気がおきなくなる。テレビは見られないし、料理をするのも難しい。ローソクを囲んでの団らんもなかった。にも関わらず、エレクトリック中毒に冒された私は、停電中でもかろうじてつながるケータイ回線を介してサイトを更新したり、iPodで音楽を聴いたりしていた。

 いま思えば、せっかくの暗闇を楽しみ損ねたのかもしれない。あるいは、早寝早起き生活に切り替える良いチャンスだったかもしれないのに、それも逃してしまった。