最近のレスポンスペーパーと単位認定の原則
(Nov.6/2006)
このサイトのウェブログ形式日誌コーナーWork Journalに書いた「最近のレスポンスペーパー」(11月1日と2日のエントリー)をもとに、レスポンスペーパーの動向と単位のあり方について考えてみた。
私がこのtalkでレスポンスペーパーについて書いたのは、ちょうど3年前のtalk18「レスポンスペーパーの書き方を教えてあげよう」が最初で最後である。アレはたぶん、当時教えていた大学(とりわけ青学)の学生たちをターゲットにして書いたものだったが、同じようなことはその後も、そして長崎に来てからも何度も言う羽目になっている。
考えてみれば当たり前だ。学生は毎年(いや、半期制が当たり前になった今では半年ごと)に入れ替わるのだから。
それにしても半期制になってからというもの、授業の展開が慌ただしいことこの上ない。Talk108「セメスター制=半期制の功罪」で書いたことと重なるのだが、とにかく講義、ゼミを問わずあらゆる授業が半期制に移行してしまったために、内容を14コマに押し込めなければならなくなった。事例研究が中心になる人類学にとっては、これは致命傷となりかねない。
と同時に、レスポンスペーパーをちゃんと書けるようにするための時間も、短縮させなければならなくなった。なにもかも短期決戦に持ち込まなきゃならんのだ。
さて、Tal18で私は、以下のように書いた。自分で引用してみる。
このレスポンス・ペーパーというのは、そのまま学生たちの「反応」を見るためのものだが、学生個人個人によってその受け取り方は異なるようだ。大多数の学生にとって、これは単なる重荷だろう。とくに関心があるわけでもなく、興味もわかない内容を延々一時間以上にわたって聴かされたあげく、それに対するレスポンスを求められるのであるから、苦痛以外のなにものでもない。彼らにしてみれば、「出席した」という事実だけを主張できればいいのであるから、それも宜なるかなである。
出席した事実だけを主張できればいい、という学生は今でもたくさんいるだろう。たとえば長大環境科学部でやっている環境人類学は141教室という縦長の教室で実施しているが、この教室、後ろの方は相当に遠くて、そのあたりに座っている学生ははっきりいってはじめから内職するか寝るかするつもりできている(後日注:これはちょっと言い過ぎだったかも、と反省)。そういう学生がいったいどんなレスポンスをできるだろう?
もちろん私がいうところのパッシブ・レスポンスしかできないだろう。出席した事実は宣言できるかもしれないが、レスポンスとして見るべきものはほとんどない。
ところでこの秋から、2つの講義で紙のリアル・レスポンスペーパーを廃止し、サイトからメール投稿するヴァーチャル・レスポンスペーパーを導入した。これによって今までとは違ったいろいろな面が見えてきた。
1.学生たちの書くレスポンスの分量(文量)が短めになってきた。
もちろん、いままでどおりたくさん書いてくれている人もいるし、直筆からキーボード打ちになって筆が進むようになった人もいる。ただ、一行程度の非常に素っ気ないレスポンスも増えてる。
たとえば、「○○ということをはじめて知った」というタイプ。
人類学の授業だからなのか、こういうタイプのレスポンスは昔からたくさんあった。「はじめて知った」とか「驚いた」とか、そういうやつだ。
「はじめて知った」? で、どうなの? と言いたい。
2.〆切を守れる人と守れない人がけっこういる。
かつては、授業が終わってから10分程度でレスポンスを書かなければならないという緊張感があった。だが、長崎に来てからは次の授業までに提出すればよいという緩いものになってしまった。今回ヴァーチャル版にするにあたって、火曜日の授業では「金曜日」、木曜日の授業では「火曜日」と、投稿の〆切を設けているが、これがいっこうに守られていない。どの授業でも4分の1の学生は〆切を守れない。
あ、あと。「先週、先々週と出席していたのですが、レスポンスするのを忘れてました」と、まるで言付けのようなことを書いてくる学生もいる。毎週のように〆切を遅れて、平謝りする人なんかも。
3.ネット接続を面倒くさがる学生がいる。
たとえば「サイトからの投稿になって、いちいちネット接続しなきゃならなくなりました。いままでみたいに紙のほうがよかったです」などという文が書かれていたりと、けっこう驚かせてくれる。大学のパソコン室まで行くのが面倒、なのだろうか?
ちなみに。「いままでよくレスポンス用の紙をなくしていたので、メール投稿になって助かりました」というまったく逆の反応もあったりするから難しい。
4.イラスト付きのレスポンスがなくなった。
これは仕方のないことなのだが、私としては残念なことだ。ヴァーチャル版の弊害である。というのも、いつぞやの「雪だるま」(このサイトのPhotographyをご覧あれ)みたいなのを見る楽しみがなくなってしまうのだ。学生は男女問わず、けっこう絵を描いてくれるのだ。
いつだったか、どこの大学でのことだったかもよく覚えていないが、授業中、なにかの表紙に「妖怪よだれたらし」の話をしたことがあった。「力士を〈相撲取り〉などと呼んではいけない。よだれを垂らすだけの妖怪を〈よだれたらし〉と呼ぶみたいなもんだから」という話の流れだと思うのだが。
とにかく、その話をした授業のレスポンスペーパーに、想像上の妖怪「よだれたらし」の絵を描いてくれた男子学生がいたことと、その「よだれたらし」が、えらくよく描けていたのだけははっきり覚えている。(四つ足のオオトカゲみたいな生き物で、悲しげな一つ目で、だらりと開いた巨大な口からヨダレをだらだらと垂らす妖怪だった。ありゃ、すごかった)。
5.いまだに、「疑問に思う」を使うヤツがたくさんいる!!!!!
「世界中で狩猟採集民が減ってしまったのはなぜなのか、疑問に思う」、だと。
「今回の講義を聞いて、世界的に見てもブッシュマンのような少数民族(?)に対して定住化政策が行われているのか疑問に思った。」→「疑問に思った」の間違った使い方。
「また、動物保護区になったからといって、そこに住む人々の生活を変える必要があるのか疑問に思った。」→「疑問に思った」の正しい使い方。
毎年入れ替わる学生に、「疑問に思う」の使い方を説明するのは、いささかしんどい。
6.言われたことしか書かない。
授業の最後に「じゃあ今日のレスポンスペーパーには○○のことを書いてください」と付言すると、ほんとにそのことにしか書かない学生が多い。授業のほかのことには一切触れず、「書け」と言われたことだけを書く。
ところで、高校生の単位不足が世間的な話題となっているそうだが、この問題は大学生にも無関係ではない。
日本では現在、大学卒の資格を得るには最低でも124単位の取得が義務づけられている。これは時間に換算すると5580時間勉強したことに相当する。こんなに勉強して卒業する大学生は、日本にどれだけいるだろうか?
1 単位というのは、45時間勉強して与えられる単位だ。多くの大学では講義科目は半期2単位、ゼミ形式では半期1単位となっているところがほとんどだろう。たとえば私の講義から2単位をもぎ取りたい学生は、授業の第1回から試験までの間に90時間を費やさなければならなくなる。
計算してみよう。
90 時間は5400分だ。大学の授業は90分×15回(この15回は試験時間を含んでいるので、実際は14回)だから1350分しかない。一回の講義を甘く見積もって120分としても、15回やって1800分。つまり授業時間だけでは、2単位をもぎ取るのに必要な時間の3分の2しか勉強していないことになる。
分かるだろ? 本来ならば、授業時間の2倍の時間を予習と復習に費やさなければならないんだよ。現実がいかに甘いか、ってことだ。
まとめよう。
【本来の単位認定】
授業1800分(30時間)+自習3600分(60時間)=2単位
この「自習」には、授業のノートを整理するとか、必要な文献を読むとか、レスポンスペーパーを書くとか、そういう作業が含まれるはずである。レスポンスペーパーはあくまでも、学習の一部に過ぎない。そんなものを面倒くさがるな、って話だ。
【学生たちの実際の学習行動】
授業(1260分=90分授業×14回)+レスポンスペーパー書き(数分)=2単位
つまり、日本の大学生はものすごく甘っちょろい環境で勉強し、学士号を手にしているのだ。単位認定の原則からすれば、日本の大学生が受け取れる単位はせいぜい3分の1、よくて5割だ。
よって、授業でやったことだけをテストに問うのは邪道、ということになる。授業以外の勉強も含めてテストされるべきだからだ。だが、そんなことやったら、私のテストで合格を勝ち取れるのはせいぜい10%だろう。
授業で扱える範囲を大幅に超える部分、これをレポートとして提出させると、しかし、今度はネット・コピペが発生する。そのうえ、そういうレポートの欠陥を見逃さず不合格にすればクレームが来る。こちらはそういう誤った認識を改めてもらうべく喝を入れる。すると、「あの教師は手加減を知らない、真面目に勉強させようとするヤツだ」ということになって、嫌われる。
単位認定が甘い教師のほうが学生の人気が高いし、ネット上での評判も上々だ。
授業のレジュメには参考文献を載せることがある。でも書いていて思うのだ。「これだけ文献紹介しても読むヤツはいねえだろうな」って。でも、ほんのわずかな希望も失うわけにはいかない。授業をしていない間に、どれだけのことができるか。それが勝負なんだって……、こんな話をもし授業中にやったら、ますます「後ろの方に座る連中」が増えちゃうかなあ。
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