金のかかる非常勤講師
(Dec.15/2006)
かつて、というか長崎に来る前は、自宅の一部屋を書斎にしていて、そこを事務所として使っていた。仕事や研究に関するものは全てそこに置いてあるから、しかたなくの処置だった。
事務所にしていたとはいっても、もちろん秘書などいないから、ぜんぶ自分で手配しアレンジすることになる。
だが肝心の主(つまり私だ)が仕事で外を飛び回っていてほとんど自宅にいないから、連絡はどうしても電子メールに頼ることになる。したがって、当時の私は、朝方にもらったメールに対して、深夜3時頃に返事を書くというようなことを平気でやっていた。
自宅に書斎を持てない今でも、電子メールで連絡を取り合うのは以前と変わっていない。だがむしろ、最近の私は電子メール嫌いになりつつある。プライベートから仕事にいたるまで、一日に受けとるメールの数は多い日には50通を越えてしまう。個人からのメールには即座に対応するように心がけているが、それも仕事や研究がらみのものが優先されるから、それ以外のものだとどうしても返信が遅れがちで、書きかけのままずるずると返信せずにある「下書き」は増えるばかりだ。
そして、大学内を高速で飛び回る業務連絡の数々。自分に関係のないものは即刻削除してしまうが、それだってうっかりして大事なメールを消してしまわないように注意しながらだから、気疲れすることことうえない。
よって、最近の私は、可能な限り電話を使うようにしている。
実際、こういうメールの嵐に疲れ果ててしまった人が多いのか、最近は電話を受けることが多くなった。もちろん学内の簡単な用事や呼び出しなどは電話が手っ取り早いわけだが、それ以外に学外からもさまざまな電話がかかってくる。
今日もそんな感じで電話をかけたり、あるいは電話がかかってきたりを繰り返していた。そんななかの一通の電話。
受話器を取るなり、私がいう言葉は「はい」だけ、あるいは「はい、増田です」の素っ気ない一言二言だけ。(子供の頃は「はいもしもし増田ですがどなたさまでしょうか」と一気にまくし立てていたはずだが、いつからこんなに素っ気ない応対を身につけたんだろう?)
「はい」と私がいうと、相手は「あ、増田センセイ?」と、あちらも素っ気ない。男の声だ。
声の主は、4年前から教えている神戸の大学のOTセンセイである。同年代で、共通の友人がいる。かなり面白い冗談を言う人で、私は好きだ。
「今日お電話したのはですねー、あのー、この時期に私からかかってくる電話がなんだか、もうお分かりかと思いますが……」
用件を切り出さない奥ゆかしさとか、はっきり物言えない日本人の特有の対応とか、あるいは腹芸とか、そんなんではない。これは仲間内で通じるプロトコルの確認みたいなものである。
「はいはい、分かりますよー、またですね。いいんですかぁ、私で?」というのが、電話の用件をとっくに知っている私のリアクションだ。
この時期にOT先生からかかってくる電話というのは、仕事の依頼である。サスペンス映画だと、こういうのはさしずめ、
依頼主:(コートのポケットに手を突っ込んで)「また仕事をして欲しい」
スナイパー:(暗闇でタバコに火をつけ)「よほど気に入られたようだな……」
依頼主:「なに、いつも通りにやってくれればいいんだ、頼んだぜ」
スナイパー:(煙をはきだして)「で、標的は?」
という、かっちょいいシチュエーションがありそうなものだが、私がOT先生の電話を受けているのは西日の差し込む大学の研究室で、タバコも隠れてこそこそ吸わなきゃならないような正義の学部の一部屋である。
「神戸の大学」というのは、神戸市外国語大学のことである。逗子に住んでいた私がなぜ神戸の外国語大学で授業を担当するようになったのかは説明できない。いや、説明できないことはないのだが、なにせややこしいので書かないことにしておく。
とにかくいろんな事情で私にお鉢が回ってきて、私は年に2回、合計28コマの授業を担当するようになったのだ。
だが、長崎に移ってきてからの私が、なぜ今にいたるまで神戸市外大で授業をしているのか。このことを考えだすと、大学での教師の手配とカリキュラム編成というのが、なかなかに興味深い話題にみえてくるから不思議だ。
この大学の学生のことはけっこう知っているつもりだ。なにせ長崎大に来る前から教えに行っているのだから。だが、じつのところ神戸市外国語大学というのがどういう大学なのか、私は今にいたるまでよくは知らない。にも関わらず、私はこの大学を評価している。その理由をここに書いておきたい。(ただし、あくまでも大学人が見た大学としての神戸市外大について書くので、長崎大と神戸市外大学生気質の違いといったことには触れないことにする)。
神戸市外大は「外国語大学」である。これが何を意味するか。大学というものを多少は知っている人ならばすぐに分かるだろうが、外国語大学というのは「非常勤講師をたくさん雇う大学」なのである。(ちなみに、外国語大学のほかには、芸術系大学、とりわけ個人レッスンの多い音楽大学が非常勤講師をたくさん抱えているという)。なぜ非常勤講師をたくさん雇わなければならないか。答えは簡単だ。「外国語のコマ数が多いから」である。
実際、神戸市外大の講師控え室には、この大学のこぢんまりした雰囲気とは裏腹に、多数のメールボックスが並んでいて驚かされる。
そんななかで、外国語教師でもない私は、現代文化問題特殊講義という科目を担当してきた。そして、私はおそらくこの大学ではピカイチに「金のかかる非常勤講師」である。
あらかじめ断っておくが、「金がかかる」というのは「ギャラが高い」という意味ではない。むしろ(はっきり書いてしまうが)、この大学の非常勤ギャラは他の大学に比べて3割ほど安い。それにも関わらず私が「金のかかる非常勤講師」である理由は、私が「遠方から出張してくる人間」だということに尽きる。授業のギャラの他に、私の場合は交通費として数万円、それに日数分の滞在費がかかる。ヘタをすると、ギャラとほとんど変わらない金額の経費がかかってしまうのだ。もちろんこういう経費は大学持ちである。
こういう、他の講師よりも倍近く金のかかる人間を非常勤講師として呼び続けること。それが私が神戸市外大を買う理由である。じつのところ授業準備は大変だし、日数も体力もかかる。そろそろ辞めたいなぁ、などと不埒なことを考えないわけではないし、実際に、ほんと去年いっぱいで辞めるつもりだった。なのに今年ものこのこと神戸に出かけていくのは、毎年この時期にOT先生から頼まれちゃうからなんである。
「金がかかる非常勤講師」であっても、必要だから仕事を依頼する。いい話だと思わないか?
かつて専業非常勤だったころには、非常勤講師という身分のあり方と、その処遇について大変な不満を持っていたものだ。いわくギャラが安い、そのわりには負担が大きい、そしてカリキュラムなどに口を挟めない、などなど。
長崎大での私は非常勤講師を迎える側にあり、安いお金で教えに来てもらっていることに感謝すると同時に、さまざまな決定権を与えられないことを、半ば当たり前のこととして受容しなければならない立場にある。
長崎の大学講師事情は、たとえば東京や大阪と比べるとかなり違っている。ごまんと大学のある東京では、とにかく専業非常勤が多かった。どこの大学へ行っても非常勤講師業だけで食いつないでいるという人がいて(とくに語学教師に多かった)、そういう人たちはベラボーな数のコマをこなしていたものだ。ある人は週に10コマの講義を担当していたが、これで月の収入は25万円くらいだ。年金とか健康保健はここから自分で払うので、生活費に回せる「実質手取り額」はさらに下がる。
長崎の場合はどうか。私はこれまで長大以外に二つの大学、ひとつの短大で非常勤をしてきた。どこの大学に行っても、講師控え室のメールボックスには知人や同僚の名前がある。長崎ではこれが当たり前である。つまり、専業非常勤は少なくて、大学教員の兼任が多いということだ。とくに文系の大学院がほとんど存在しない長崎では、「就職まで非常勤家業で食いつなぐ」人はあまりおらず、どうしても大学間で教員の貸し借りをせざるを得なくなる。
大学にとって非常勤講師は二つの性格を持っている。一つめは「カリキュラムの穴を埋める要員」、もう一つは「安く使える講師」である。ある科目を用意したとして、学内にそのコマを担当できる人材がいない場合に外部の人間に依頼する場合、つまりアウトソーシングの一環である。
個人的に「安く使われたな」と思うのは、青山学院大学だ。一時期は私一人で週に5コマの文化人類学を担当していた。もう一人の非常勤を合わせると、このメガ大学は8コマの「文化人類学」を持っていたにもかかわらず、専任教員を雇おうとしなかった。金のある大学なのに、ケチな話だ。
非常勤講師の多寡、とりわけ非常勤による集中講義の多寡は、ときにその大学、その学部のカリキュラムの多様性を示す指標ともなりうる。
様々な科目・学問分野を用意しようとすれば、どうしても学内の人材では足りなくなる。したがって、学外の専門家を招いて講義してもらうことになる。そういう専門家の多くは忙しいから毎週来てもらうわけにはいかない。そうなると、どうしても集中講義を組むことになる。
ここでも長崎的事情を考えなければならない。なにせ長崎は九州の西の果てである。どこかから専門家を呼ぼうとすれば、集中講義を組まざるを得なくなる。ところが、実際、そういう専門化を招いての集中講義は、すくなくとも私の勤めている学部では見あたらないのだ。
理由? 予算が締め付けられているからに決まってるでしょ。
専任の職を得てしまった今では、非常勤として教えに行くことはいわば副業であり、アルバイトみたいなものだ。長崎大学から得られる定収入のほかに、一コマ分のギャラ×時間数だけの副収入が得られるからだ。
だがもちろん、非常勤講師業にはそれ以上の価値がある。私にとって、それは「長崎大で出来ない講義をやるチャンス」である。いま長崎外国語短大で担当している比較文化論の講義は、なかばメディアリテラシーの要素を含んでいるが、これは3年前に青学でやろうとして出来なかった内容だ。神戸市外大での講義は、私にとっては唯一のアフリカ地域論の機会である。この枠がなかったら、私がアフリカを丸ごと取り上げるチャンスはない。
そんな神戸市外大の講義が来週にせまった。「金のかかる非常勤講師」として4年目の授業の後半14回が待っている。
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