ゴミ分別の憂鬱、あるいはファナティックが支える外部不経済
(Dec. 29/2006)
資源ゴミ回収。私にとってはおよそ4ヶ月に一度の「仕事」である。なぜ4ヶ月かと言えば、ビール缶やワインのビン、新聞の折り込みチラシやらがガマンの限界まで溜まるのが、ちょうど4ヶ月サイクルなのだ。
資源ゴミ回収は自治会の業務であり、住民=自治会員のヴォランタリーな献身に支えられている。
長与ニュータウンに住むようになってから、自治会との関わりを避けられなくなってきた。なにせ私は長崎大学の宿舎(つい2年前までは国家公務員の宿舎だった)に住んでいるので、どうしてもこういうネットワークに参画せざるを得ない。
税金で禄を食んでいるくせに、自治会デューティーをシカトしていたら、外向けには「税金ドロボー」、うち向けには「困った人」になってしまう。よって宿舎の住民は緩くではあれ連帯せざるを得ないし、ニュータウンの自治会自体はさらに強力に組織化されている。
その組織力が発揮されるのは、やはりゴミ&清掃関係の分野だ。
「長与町一斉清掃」というのがある。人口4万5千の長与町民総出で、町全体をキレイにするという「町民総動員」の一日だ。この日は朝から清掃車(いわゆるゴミ収集車だ)がフル稼働するので、町民はみな草刈りやら枝切りやらなにやら、そういうのに精を出す。われわれ宿舎の住民も、「駐車場下の土手の草刈り」をやる。土手は4号棟と隣の3号棟の中間にあって、この6月第一土曜日にしか手を付けない。
一年も放っておくと、土手には雑木が生えてくる。いわゆる「植生遷移の第一段階」だ。もし町民一斉清掃がなかったら、この土手は5年後には常緑広葉樹の低木林になっているんだろうな。それはそれでいいことだと思うけど。
ところで、2年前に長与町民になって面食らったのが、ゴミ分別だった。
横浜にいたときも、逗子市民だったときも、ゴミ分類は「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「ビン缶ペットボトル」「粗大ゴミ」くらいしか無かった。で、それらがどういうカテゴリー分けになっていたのか、当時はほとんど気にしていなかった。
いや、気にしてはいたけれど、分別のルールを勉強するのが面倒くさかったのだ。
長与のゴミ分別に面食らったのは、それまでなおざりにしていた分別のルールを真剣に身につけなきゃならなくなったのもさることながら、そのルール自体が複雑だったことによる。
生ゴミや紙くずは「燃やせるゴミ」。刈り取った草や木の枝も燃えるゴミ。っていうか、「燃やしても良いゴミ」、すなわち「燃やしても有害物質が出ないから許されるゴミ」。
「プラ」印の付いているものは「包装容器プラスチック」。ストローはここに含めてもいいのだが、「プラ」マークが付いていないし、「包装容器」でもないので、ダメだとか。
「その他のプラスチック」というのは、たとえばCDのケースとか、ハンガーとか、洗濯バサミとか。
「ペットボトル」はいうまでもなく。
「資源ゴミ」については後述。
「粗大ゴミ」は、まあ良くある粗大ゴミだ。テレビとか、自転車とか、ストーブとか。これは年に2回しか回収されない。
これらに含まれない、あらゆる残余は「燃えないゴミ」というカテゴリーに入る。電球がここに入るし、外国製化粧品のビンなんかもここに入る。
ここまで記憶に頼って書いてみたが、これで本当に正解かどうか、どうにも自信がない。
でもって、自信がないままに、あるいは分かっていながらいい加減な出し方をすると、これまた問題となるのだ。たとえば「包装容器プラスチック」の袋に紙くずが入っていたりすると、ゴミ収集車に乗せてもらえない。それどころか警告書が貼り付けられてしまう。「ちゃんと分別しろよ、こら」みたいなことが書いてある。要するに教育的指導だ。
こういう公的な警告よりももっと怖いのが、自治会によるインフォーマルな警告である。それは回覧板や張り紙、あるいは間接的な口頭注意を経由して届けられる。たとえば「燃やせるゴミの中に、相変わらず資源ゴミに回せるもの(雑紙類など)が入っているのが見受けられます。紙類は資源ゴミに回しましょう!」みたいなのだ。
昨年の春だったか、自治会の資源ゴミ分別講習に参加したことがある。資源ゴミの「回収当番」に当たってしまったので、そのための勉強だ。これはこれで勉強にはなったのだが、ゴミのカテゴリー分けについては様々な「?」が生まれてしまったことも、また事実である。
ついでに書けば、自治会の「分別マニア」というか「分別ファナティック」の存在も、ここで確認できた。なるほどこの人たちが、「燃やせるゴミのなかに資源ゴミが混じっている」のを摘発していたわけだ、と。
じつは今月の資源ゴミ回収でこんなことがあった。
ビン(ラベルを剥がしたもの。剥がすのがまた一苦労)と缶(アルミのものはきちんとつぶして)を袋に詰め、回収場所の公園まで持参した。
ビンは「緑色」「茶色」「無色」「その他」の四種類である。一見して「無色」でも、じつは微妙に色が入っているものがあるのだが、その辺は回収担当の人たちや、さきのファナティックたちが識別してくれる。
問題は缶だった。
缶は「アルミ缶」と「スチール缶」、そして「その他」である。ビール缶は「アルミ」、コーヒーの缶は「スチール」。明らかにスチールでできている「トマト缶」は、なんと「その他」である。缶詰のふたなども「その他」だ。
すごいなあ、なんでも飲み込む「その他」ってのは。
一悶着あったのは、コンビニで売ってる「酸素缶」をどうするか、である。缶にははっきりと「アルミ缶」の表示があった。この表示があるということは、「これはアルミ缶としてリサイクルに回せます」という公的なお墨付きを意味するのであろう。だから私は、この酸素の空き缶を「アルミ」のボックスに投入した。
即座に、である。回収担当者が待ったをかけた。「それはスプレー缶だ」と。たしかに、形状はスプレーと同じである。
「いえいえ、これはアルミ缶ですよ。ほら、ここに表示が……」
私はその表示を見せたのだが、担当者は納得しない。
「スプレー缶は「燃やせないゴミ」の日に出していただかないとねぇ……」
だからこれはコンビニで売ってる酸素の缶であってスプレーじゃないんだと抵抗すると、騒ぎを聞きつけたあのファナティックおばさんが評定に割り込んできた。
「これはスプレーですね」とファナティック。
「だから、これはコンビニで売ってる酸素の缶詰なんです。アルミって書いてるでしょ?」
何度、同じ説明をすりゃいいんだ。酸素缶についてご存じだった別の回収員(同年代の男性)が助け船を出してくれた。
「これはスポーツをする人なんかが買うヤツですね」
「ええ、アルミ缶って表示があるでしょ。ここに出せるんですよ」と私。
「でも形はスプレーじゃないですか」とおばさん。
「でも、アルミの表示があるものがリサイクルに回せるんだって、あなたから教わったんですよ」と私は、当のファナティックおばさんに抗議した。
「じゃあ、ひとまず「その他」に入れておきましょうか」と回収員。
「だ・か・ら! アルミでしょ?」と私。
「では底に穴をあけないといけませんね。」とファナティック。
「もう! これは酸素ですよ、穴あけたってなんにも抜けやしませんよ!」。もはや意地である。アルミの表示があるものはアルミとしてリサイクルできると教えたのはあんたじゃないか。
最後にどうなったかと言えば、4本の酸素缶はファナティックおばさんの「預かり」となった。「勉強させていただきます」の一言を残して、おばさんは去っていった。
分類学的には、大まかに「類型分類」と「規格分類」の2つがある。類型分類はそのものの属性によって分類するやり方、規格分類は量的基準で分類するやり方である。ウズラの卵とダチョウの卵を区別するのは類型分類であり、鶏卵をMやLに分けるのは規格分類だ。
ゴミの分別は基本的に類型分類であり、ときに規格分類が適用される。木の枝は類型分類されて「燃やせるゴミ」となるが、「長さ50センチに切り分けたもののみ燃やせるゴミの日に出せる」という点で規格分類もされている。
酸素缶はどうなったのだろう?
類型分類の基準はいくつもある。素材という点からは「アルミかスチールか」という基準によって「アルミ缶」に分類されたが、用途という点からは「飲料用ではない」と分類され、はじかれた。形という点からも「ちがう」とされた。
素材、用途、形という三つの基準のどれを優先させるかで判断が分かれたのだ。「素材」を第一基準にした私と、「形」を優先させたおばさんの間には、リサイクルについての根本的な認識の違いがある。
もちろん私は、自分が正しいと思ってる。
ビンだと、「飲料用かそれ以外か」という分類がなされた後で、色分類が施される。こうやって次々に類型分類のクライテリオン(分類基準)が追加されることで、リサイクルに回せるゴミはどんどんと絞り込まれていくのだ。その度に、行政が用意する「ゴミ分別のしおり」は複雑になり、人びとの分別モチベーションは下がっていく。
どれだけ3R(リデュース、リユース、リサイクル)を唱えても、人びとのモチベーションを持ちあげられなければダメなのだ。環境倫理も必要だし、規制も必要だし、おそらくは罰則も必要だろう。だが資源ゴミ回収が一部のファナティックによってしか支えられない現状では、こういう「外部不経済」は相変わらず「外部」のままである。
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