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カミノコシカケ

(Apr. 5/2007)



 文化人類学者はひとつのフィールドで長年にわたって継続的に調査をするので、そうした人々とのつき合いの長さを自慢したがる傾向がある。「○○の人々と付きあいだして××年も経ってしまった」というフレーズを使い出したら、そういう軽い自慢モードに入っているんだと思っていい。

 ところで、私がバンナの人々と付きあいだして、ちょうど14年になる。とはいっても、14年間まるまるバンナにいたわけではもちろんない。いまでも、訪れるたびに新しいことを覚えて帰ってくる。

 これはずいぶん前のことなのだが、バンナで奇妙なことをしている男を見かけた。その男はランダという名前で、昔からの馴染みなのだが、そのランダがなんと頭の上にカマキリをのせていたのだ。

 「おい、ランダ。何を頭にのせてるんだ。」と私。

 ランダは答えた。「これは"じいさんの腰掛け"さ。」

 まわりにいた連中が教えてくれた。カマキリを頭にのせると、良いことがもたらされるのだと。そして、私がカマキリと呼んでいるその生き物は、バンナ語ではエイケ・ボルコト、つまり日本語に訳せば「じいさんの腰かけ」という奇妙な名前であることを。

 それ以来、私の中では、カマキリすなわち「じいさんの腰かけ」になった。日本に帰ってきてからも、カマキリを見かけるたびに、「あ、エイケ・ボルコトだ!」と口走る。

 なのに、今にいたるまで、なぜその生き物が「エイケ・ボルコト」なのか、分かっていない。いま、私は暫定的に「じいさんの腰かけ」と訳しているが、それはエイケが「祖父」、ボルコトが「腰かけ」だからなんであって、本当はもっと違う意味で捉えるべきなのかもしれない。

 先月バンナにいたときには、カマキリならぬ「ナナフシ」を見つけた。名前を聞けば、それは「バルジョ・ボルコト」なんだという。おいおい、今度は「神様の腰かけ」じゃないか。これも頭にのせるというからやってみたが、私のような直毛にはきちんと乗ってくれなかった。

 やっぱり彼らの縮毛でないと、この手の生き物はきちんとのせれない。「じいさんの腰かけ」と「カミノコシカケ」を頭にのせて幸運を呼べるのは、どうやら彼らだけらしい。

 ところで、舞台は変わって長崎市内の職場に向かうバスの中。いつもの長与ニュータウン発、長崎新地ターミナル行きのバスは、浦上水源池の脇を快走していた。すると、頭に何かが落ちてきた。

 やれやれ、誰かの荷物かな。なんて思いながら手を伸ばすと、それは立派な、茶色のトノサマバッタだった。とっさに掴んで、窓から放り投げようと思った。だが、左手はもがくバッタでふさがってるし、右手だけじゃバスの窓は開けられない。

 助力を乞おうと、後ろの席をふり返ったが、そこにいた女性は居眠り中なのか下を向いたままだ。さて、どうしたものか。

 バッタの脚力は強力だ。握った手のひらを、ものすごい力で蹴り上げてくる。うっかり力を緩めたら、隙間からロケットのように飛び出していただろう。

 さて、どうしたものか。

 床に逃がす、という手もある。逃がして、あとは知らんぷりだ。だが昨今、昆虫嫌いの人間が多い。ましてや、このバスには女性客が多すぎる。

 しかたなく、荷物の中に入れて、外に連れ出すことにした。幸い、というか、ザックの中にポリ袋が入っていたので、そこに閉じこめることにする。バッタはポリ袋を、ザク、ザク、と蹴り上げている。

 いつもより一つ手前でバスを降りた。すぐそばには浦上川が流れている。橋から見下ろせば、なかなか良い具合の草っぱらがあるじゃないか。ザックを開け、ポリ袋を取り出し、縛りを解いた。トノサマバッタは勢いよく飛び出し、そのまま30メートルほども跳び続けた。

 そういえば、のっぽさんの「グラスホッパー物語」という歌は、生まれ育った草原を出でよ、冒険をせよ、という内容だったなと思い出した。そんな旅の途中のトノサマバッタが、「じいさん」でも「神様」でもなく、私の頭に降りてきたのだ。

 ぜったい良いことがある、そう思った。