My History of Macintosh op.8
(June 13, 2007)
相変わらずノート型のパワーブックG4(12インチ)を持ち歩き、基本的にはこれですべての作業ができるようにしている。その一方で、近頃はオフィスに置いてあるiMac G5に頼ることが多くなった。これは私にとっては3台目のiMacである。
毎朝、研究室に入るとパワーブックをネットにつなぎ、iMac G5からアクセスする。普通とは違う使い方だろうが、私はノートブックのほうをサーバーにしているのだ。すごいだろ、モバイルなサーバーなんて。
いま使っているiMac G5は、3年前の今ごろに自腹で買ったものだ。じつは研究室には、研究費で購入したDellのマシン(つまりWindows機)があるのだが、マックに関しては「自腹で買いたい」という気持ちが抑えられない。Dellのデスクトップ機に所有者としての愛情を感じることはまずないだろうが、マックだとどうしても「うちの子」みたいな感情を持ってしまうからだ。
研究費で買ったコンピューターは所詮「大学の備品」だが、マックに関してはそんな扱いは許されないのである。
さて私の場合、この「巨大な豆腐」みたいなiMac G5を、だいたい以下のような用途に使っている。
まずはビデオ編集。
前に使っていたiMac G4もそうだったが、この新しいiMacもまずはビデオ編集のために購入した。広いディスプレイ(20インチある)、そして素晴らしい処理性能(映像処理はプロセッサの能力に寄りかかるのだ)、そして外付けも合わせると500GBを超えるハードディスク容量。映像ファイルの変換などという手間のかかる作業はiMacにまかせて、文字うちはパワーブックでやるという役割分担ができる。
つぎにデータベース。
長崎に来てから着手したのが、エチオピアで撮りためた数千枚におよぶ写真のデータベース作りである。iMac G5とエプソン製スキャナの組み合わせで、ほぼ半年かかって全部を取り込んだうえ、画像データベースソフトを使っていつでも一覧できるようにした。これはほんとうに便利で、いままでいちいちフィルムを探していた負担が一気に解消された。
そしてテレビの録画・
研究室に引かれているテレビのアンテナ線を、ピクセラ社の機械につないでiMacに取り込めるようにした。BSに対応していないのが残念だが(というのも海外のドキュメンタリー番組の多くはNHKのBSで放送されるからだ)、それでもこれでVHSテープを使うことがほとんどなくなったのはうれしい。こうして取り込んだテレビ放送はいったんQuickTime形式にしておき、あとで必要に応じて成型してDVDにすると講義の資料に使えるのだ。
動画を講義資料にする、という点に関しては、私はiPodにすごく期待している。ここからはほんとうにマック・ユーザーにしか分からない話だけど、 Keynoteでつくったプレゼンファイルと、QuickTimeの動画資料の両方がiPodから上映できるようになれば、わざわざパワーブックを教室まで運ぶ手間が要らなくなる。いまのiPodは動画も再生できるのだが、まだKeynoteには対応していない。私が望むこういうiPod、アップルさんは作ってくれないかなあ。
ってな感じなのだが、近頃では研究室で原稿を書くのにもiMacを活用するようになった。とくに愛用の図形作成ソフト Omni Graffle を使いながらだったりすると、広い画面が有難くなる。結局、このiMac G5を使う利点は「広い画面」なのだろう。
ところで、私がこれまで所有してきたマッキントッシュをふり返ってみると、そこには一定の傾向があることがわかる。つまりパワーブックとiMacしか買ったことがないのだ。とくにiMacに関しては、G3・G4・G5と、三世代にわたって一台ずつ所有してきたのだから、そこには単なる「必要悪」以上の何かがあるんじゃないかと考えたくなる。
最初のiMacを買ったのは、ある種の啓示に導かれてのことだった。
1999 年の秋。ボリ村で調査をしていた私は、帰国後に新しいコンピューターを買うことに決めていた。もちろんマックを買うつもりなのだが、さて何を買おうか。と思いあぐねていた時、ふと脳裏に浮かんだのがiMacだった。ちょうどキャンディーみたいな5色のiMacが発売された頃で、帰国した私は即座に横浜のソフマップへ駆け込んだ。CD-ROMドライブしか搭載していない、シンプルな構成のマシンで、メモリを増設しても11万円くらいだった。
そのiMacは、ほぼまる4年間現役で通し、現在は私のゼミ室で蔵書データベースの入力端末になっている。
じつはこのiMacは、Dell機が来るまでは我がゼミの唯一の「ゼミ・パソコン」だった。もちろんゼミ生たちがこれを活用してくれることを期待していたのだが、現実には学生たちからそっぽを向かれていた。理由は、iMacが「Windowsじゃない」からだ。
私はマックユーザーだが、「Macじゃない」などという理由でWindowsを使わなかったりはしないのだが。
Windowsユーザーたちが、WindowsというOSを愛しているかというと、どうもそうではないらしい。
基本的に人間は、慣れきった物にしか触れないのかもしれない。コンピューターとはWindowsのことであるとすり込まれた人々は、Windowsにしか触れないのかもしれない。だけど実際には、アイコンをクリックして、アプリケーションを起動し、キータイプするという点で、いまではWinもMacも変わらない。
とはいえ、Windowsしか知らないユーザーは、Macのデスクトップをみると不安に駆られるらしいのだ。そしてこう宣う、「マックってよく分かんない」。
・・・よく分かんない?
正確には「よく分かんない」ではなくて、「使ったことないから、使い方に不安がある」だろう。「よく分かんない」といわれると、マッキントッシュがやたらとややこしいシステムであるかのようにいわれているようで、長年のマックユーザーとしては不快である。使ったこともないくせに、よく言うぜ。
Windowsしか知らない人々は、Windowsという多数派に与している限り安全、という安心感のなかにいる。それは一種の平和ボケであって、だからMacをまえに置かれると恐怖に駆られるのだろう。
じっさい、私がゼミ室に置いたiMacには、オフィスが入っていなかった。それも彼らがiMacを使わなかった理由のひとつだ。だが、ワードプロセッサーはほかにいくつも入れてあるし、それらで作ったファイルは、たとえばRTF形式などにすれば、ワードで読み込むことができる。それにほとんどの文系学生が、コンピュータを、ウェブブラウジングと、ウェブ・メールの読み書きと、ワープロくらいにしか使っていない。つまり彼らにとってオフィスは要らない。なのに、ワープロといえば「ワード」しか知らなかったりするのだ。
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