脱臭された環境問題
(June 24/2007)
大学構内の講堂で上映されていた「不都合な真実」を観た。まあいわゆる「映画」なのだが(じっさいムービーだし、フィルムだ……)、その一方でこれは講演であり、授業であり、なおかつ政治的アジテーションでもある。そういうことを考え合わせると、普通の映画と同じようにに「映画を観てきた」というふうには言えない。
感覚的に近いものを敢えて挙げれば、消防訓練の日に消防署の人が見せてくれる啓蒙ビデオ、あるいは、小学校の体育館で見せられた、よい子のための徳育映画に近いか。もちろんそれよりは、ずっと「ドキュメンタリー・タッチ」なんだども。
アル・ゴアは地球温暖化に関する講演を、すくなくとも千回は行ってきたという。だから映画で紹介されている講演は、内容的には熟成された「こなれたレクチャー」。
このレクチャーを映画風に見せているのは、レクチャーとレクチャーの間に入るブリッジ(というかインターミッション)の部分があるからで、そこにはゴアの履歴の断片が挿入されているわけだ。要するに、単なる啓発映画が、個人史と重ねられているから映画になってる。こういうこと。
地球温暖化についてのレクチャーの内容については、これといった異議はない。私自身が地球温暖化について詳しいわけではないから、勉強にはなった。ただ、数値データが多くて、そうしたデータの持ち合わせがない私にとっては、彼の主張を反証する手がかりが手元にない。(そりゃそうだ、アメリカの元副大統領が入手しうる数値だもの。) だからひとまずは、彼の言うことをそのまま聞くしかない。
むしろ功績を称えるとすれば、Powerbook G4とKeynote(と思われるプレゼンテーションソフトウェア)によるプレゼン技術をもって、聞き手を納得に導ける形で問題(と主張)を提示して見せたことだろう。ちなみに、このスライドは専門のデザイン業者によって制作されたらしい。
観終わってみると、「ああ、これは政治的アジテーションなんだ」というボンヤリした感想が残る。ゴアが力点を置くのは、「地球温暖化は政治の問題だ」というところ。その一方で「地球温暖化はモラルの問題だ」という点にも重きを置いている。さて、どっちなのか。
おそらく(元)政治家としてのゴアにとっては、環境問題の多くが政治の力にかかっているというのが主眼なのだろう。ただその政治を選ぶのがピープルであるからには、ピープルのモラル自体が変わらなきゃ、ということだろう、と推測する。
なるほど、政治のあり方に依存する。そしてそれは、人民のモラルに依存する。だから人々を啓発しなきゃならないのだ。この論理はまっとうだと思う。
今みたいな職場(環境科学部)にいると、環境問題は行政的に解決できる部分が多いのだということは分かる。だが、行政と政治はけっこう違う。ゴアの叫びを聞いて、最初は「やっぱアメリカ人は民主主義を信じてるんだぁ」と関心したのだが、ひょっとすると、かの国は、そんな叫びを必要とするくらい民主主義の危機を感じてるのかもしれない。そして日本では、環境問題は「政治」よりもはるかに「行政」の問題になってる。
この違いが分かるだろうか。政治は選挙によって人民によって選ばれた政治家の仕事、行政は公務員試験をパスした役人の仕事だ。もちろん両者は連携しているが、主体のあり方は違う。
この映画のタイトルは「不都合な真実(An Inconvenient Truth)」である。謎を含んだタイトルだが、観てみればそれは「特定の(とりわけアメリカの)政治家にとって、政治的に不都合な事実」のことなのだと分かる。タイトルからは功名に消された政治性。
逆にこうも思う。日本で環境問題が語られるとき、どうして政治性は全面に出てこないのか、と。
たしかに京都議定書など、地球規模の環境問題は国際政治の脈絡で語られる。だが、草の根レベルになるととたんに「できることからやってみよう」とか、「身近なことからエコしよう」とか、あるいは「電気を消して、キャンドルで本を読んでみよう」とか、そういうのになってしまうのだ。
ぼくたち一人ひとりの力で!
エコライフ(←この言葉は漢和辞典には載っていないらしいが……分かる人にしか分からない話ですいません)を実践しよう!
もっと考えよう! 地球のこと!
・・・。
ここから先の議論については、私はすでに「オペレーション・エコ(環境軍事作戦)」としてキーワード化し、敢えて軍隊と戦争の比喩を用いることで短い論考を用意している。(昨年、某所でショートプレゼンをした)。その話はちょっと専門的になるのでここには書かないが、その話の骨子は「環境問題の解決には、環境独裁国家による洗脳が手っ取り早い。だがそれは無理なので、地道なキャンペーンを張るしかない」という極論だ。
そしてキャンペーンには政治性が付きまとう。その政治性が、すくなくとも日本ではすっかり脱臭されている。そのこと自体は環境問題を「もっと身近に!」するためには有効かもしれないが、それはしかし、目標のために役立つことだけあればいい、という「応用万歳」をはびこらせることになりやしないか。そういう危惧を私は持っているわけである。
アル・ゴアのプレゼンは素晴らしい。あとは、そこからくみ取れるメッセージを、日本人がどれだけ脱臭してみせているのか。気になるところである。
あ、ところで。
キャンドル・ナイトに、ほのかな灯りのもとで語り合うのはいいけれど、ローソクの灯りで本を読むのはやめた方がいいですよ。もしやるなら、大きめのローソクをすくなくとも3本たてて本が燃えちゃうくらい近づけないと目を悪くします。
エチオピアで、ローソクとランタンだけで生活している私がいうんだから、間違いありません。
(石油系ローソクが主流となった現代における、キャンドル・ナイトの二酸化炭素の排出については、いまは言わないことにしよう)。
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