写真付き携帯電話を見直した
(Nov.3/2003)
Talk12で私は、今日の携帯電話文化に大いなる疑問を持っていることを表明した。部分的にはあしざまにこき下ろしたようなところもある。あそこで開陳した意見のほとんどは、私にとっては人びとの行動を理解する上での基本的な枠組みの応用に過ぎないし、その点では意見の修正はほとんどない。
ところが、ひとつだけ見直した点がある。携帯電話の写真機能だ。これは私が思っていたよりもはるかに面白いかもしれない。
きっかけは北海道旅行である。10月末日から2泊3日で、とある関係筋の方々と20名弱で、小樽に行って来た。私は基本的に研究と教育(文部科学省管轄)に従事する自由業者なのだが、日常の大半は、とある会社(通産省管轄)で働いている。この旅行はその会社の「研修」名目の親睦旅行なわけで、したがってやることといえば、ゲーム、麻雀、酒飲み、そして食い道楽である。
圧巻は11月1日の昼にやってきた。小樽駅近くの魚料理点で、この上なく新鮮な魚介類を、信じられないほど良心的な価格で堪能したのである。牡丹海老は目が合っちゃうくらいきらきらしているし、しめ鯖は程良く脂がのっていてとろりととける。アワビのワタを、殻の中でぐちゃぐちゃにかき回してすするなんて、考えたこともなかった。酒がいまひとつ口に合わなかったが、それでもほとんど減点対象にならない。これだけのものを皿に盛られると、審査員もどうしても贔屓目になっちゃうんである。
さて、おなじテーブルを囲んだのは10人ほどである。そのうち数名は、出てくる料理をつぎつぎと写真におさめた。海老がすごいといってはパシャリ、イクラ丼がすごいといってはパシャリ、茶漬けをかき込むところをパシャリ。携帯電話の写真機能は、画質の点ではまったく話にならない。像が歪んでいるし、解像度も低い。ホールディングが悪いからブレやすいし、やたらフラッシュをたくのでのっぺりした映像しか取り出せない。プリクラに吐き気すら覚えてしまう私には、どうしてこんなものをみんな楽しめるのか、まったくわからなかった。
だが、実際に撮っているところを見ると、みんな楽しそうである。心の枠を取りさって見てみると、写真付き携帯の面白いところがいろいろ見えてきた。画質が悪いのは承知の上であるが、考えてみればこれには「写るんです」や「ポラロイド」という先例があって、画質の善し悪しだけが写真の基準でないことはわかっている。だから携帯の写真にも、画質云々をいうのは野暮になる。仲間内で「撮って」「見て」というのをくり返す限りにおいては、携帯電話の低画質液晶でもとくに問題にならないこともわかった。要するに、輪郭と色がある程度判別できて、オブジェクトを認識できればよいのである。たりない部分は、共有された現場の記憶が補ってくれる。片手でホールドするというのも、「日本人の新しい身体」と捉えれば面白い文化現象である。映像と記憶を共有しあっている「仲間内」であるという感覚がそこには不可欠なわけで、その内部に入ってしまえば、なるほどこれは面白い道具なのだ。携帯電話は人類学の対象となりうるのである、十分に。
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