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陰謀論の誘惑

(Dec. 23/2007)



 町村官房長官と石破防衛大臣の会見での発言がテレビで面白おかしく取り上げられている。

 内閣のスポークスマンがこれなんだから、もうこの国の政治家(あるいは政治そのもの)は末期的症状を呈しているな、と思う。

 政府の公式見解は「地球外から飛来してきたと思われる未確認飛行物体(UFO)の存在を確認していない」だそうである。えらく冷静でそっけないが、まともな見解表明だと思う。

 しかしワイドショー政治の世界では、公式見解はほとんど注目されていない。どの局の報道を見ても、あるいはどの新聞社の紙面を見ても、公式見解よりは町村発言のほうが光を放っているのだ。たとえば朝日新聞の見出しはこうだ。

町村長官「UFO絶対いる」 政府公式見解に「異議」

 こうなったのは、町村官房長官のストーリーテリングに問題があったからである。彼は「公式見解としては存在を確認していない」とボソっと述べたあとで、「個人的にはこういうものは絶対いると思っている」と話しをつなげたのだ。テレビを観ている私にだって、記者たちの笑い出すタイミングを計っている様子がありありと伝わってくる。

 Aだと思う、でも、自分はBだと思う。という構文では「本当に言いたいこと」は逆接のあとに来るBのほうだ。

 石破防衛大臣にいたっては、会見が終わって席を立ちながら、さも名残惜しそうに「UFOの質問はなかったね」などと言って、持論を述べたそうだ。その内容はUFOが来たときの自衛隊出動の法的根拠についてのものだった。政治家、あるいは行政マンとしてはどうしても気になったのだろう。ゴジラが来襲してきたときに自衛隊が出動したのは災害派遣なんだろうか、みたいな話しだった。

 おいおいゴジラとUFOはまったく違うんだけど。

 石破大臣が自衛隊派遣の法的根拠を考えるのは職業柄しかたがない(あるいは、それが得意分野だからしかたがない)としても、UFOについての見解を正されているときに、なんで「国防」がまっさきに議論の糸口になるのか。この点は考えてみると結構面白い。

 UFO が「宇宙から来たもの」という前提に立って考えてみよう(町村氏も石破氏も同じ前提を当たり前のものとして受け入れている様子だからだ。ついでに彼らは UFOには宇宙人が乗っている、ということも無前提の前提としている。) 悪意を持った地球外生命体からやってきて、たまたま日本を攻撃した。その場合は災害派遣という形で自衛隊が出動することになるかもしれない。これは石破発言の骨子だ。

 さて、UFOに地球外生命体が乗っていたとしたら、その相手は「地球内生命体」ではないだろうか? なんで一国の防衛の話になってしまうのか。なんで「宇宙人」との交渉窓口が日本政府として措定されるんだろう。「国連の一員として冷静に対処する」でも良かったんでないの?

 一時期、UFOについての特集番組が続いたことがあった。その時に焦点化されていたのは「アメリカは何かを知っている。だが隠している」ということだった。つまりUFOのことをアメリカ政府は詳しく知っているのに、世界に対しては情報を開示していない。そこには何かの陰謀があるに違いない。そんな空気があった。

 つまりUFOへの興味の一部は、あきらかに陰謀論なのだ。

 「陰謀」はなかなかに興味をかき立てる。古くはユダヤ陰謀論。世界はユダヤ人の密かなネットワークによって動かされている、というタイプのもの。似たようなものにフリーメイソン陰謀説というのもある。あるいはケネディ大統領は本当はCIAによって暗殺された、みんなアメリカ政府の陰謀だ……などなど。その根底には「ぼくらは知らされていなかった」という「真実」を求める正義感みたいなものが横たわっている。

 陰謀論の論理構成は以下のようなものだ。(この点ではWikipediaの「陰謀論」のページが役に立った。実に面白い。) 

 科学的探求はまず仮説から始まる。仮説が複数ある状況では、出来るだけ多くの証拠を動員することで仮説を絞り込む作業がなされ、最終的にひとつの仮説だけが支持されると、それが結論となる。一定年月を経てもその結論がくつがえされない限り、それは定説としての地位を盤石にする。我々が住まう大地は平面なのか、曲面なのか。このふたつの仮説が様々に検証された結果、いまでは「曲面である」が定説となった。

 検証の過程ではいくつもの仮説が捨てられていく。仮説が捨てられるのには、だいたいふたつの理由がある。ひとつ目は「事実が明らかにその仮説を裏切る」から。ふたつ目は「その仮説を積極的に支持する根拠が薄弱な場合」。

 地球は平面であるという仮説は、遠ざかる船の姿が見えなくなるという事実によって積極的に棄却された。つまりこの仮説は事実によって裏切られたのだ。

 ところが、たとえば「ヒトはどこから来たか」という問題については相変わらずケンケンガクガク言われている。「ヒトは生物進化の賜だ」という進化論仮説について、科学者は「進化」を控えめに疑いながらも(そりゃそうだ、最初から信じてたら科学じゃなくなる)、発掘による証拠の提出によってそれを支持するしかなくなっている。

 一方で「ヒトは神によって創造された」という仮説については扱いが難しい。なぜならば、神の創造を事実として積極的に支持できない人は、それを棄却するか、あるいは「可能性は否定しないが、積極的に採用する理由もない」として留保するしかない。しかし「神の創造を否定する証拠はない」という根拠によって、この仮説を積極的に支持することも出来るのだ。

 これが陰謀論の理論構築の作法である。

 さて町村官房長官は何と言っていたか。彼は「UFOは絶対いる」と言い切ったあとで、「そうでないとナスカのああいうの説明できないでしょ?」と、その論拠を述べていた。ナスカの地上絵は誰が作ったか、という問いに対する「捨てられない仮説を積極的に採用する」という格好の事例だ。

 くどいようだが、もう一度言っておく。UFOが存在すると考えないとナスカの地上絵は説明できない、と発言したのは日本政府のスポークスマンである。自分が言っているのが陰謀論と変わらない、ということを理解した上での高度なジョーク、であることを願ってやまない。