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Oh! Duty-full Days!! 

(Dec. 25/2007)



 2007 年も暮れようとしている。先週の神戸での集中講義をもって、今年中に予定されていた全ての授業を終えた。さて残りの一週間でどれだけの仕事が出来るだろうか、などと考え始めるとえらく憂鬱になる。残された業務日程(大学に出勤する日)は3日間なのだが、その間に済ませなければならない業務は山盛りだし、締め切りをとうに過ぎたもの、〆切を月末に控えたものなどなど、目白押しである。

 明日、久しぶりに出勤するが、自分のメールボックスから溢れそうになっているであろう紙束を見るのが怖いのだ。数枚の書類に対処するだけで、ヘタをすると半日かかってしまうのだ。

 ああ、神戸で楽しく過ごしたりしたツケだな。きっと。

 さて、年末恒例の反省めいたTalkをやろうと思うのだが、この一年の忙しさを振り替えるにはうってつけの素材がある。それがlalombe: Work Journalだ。代を重ねてすでに第4バージョンになってるジャーナルだが、これを見れば今年一年自分が何を忙しくしていたのかがなんとなく見えてくるのだ。

 いったい何を忙しくしていたのだろう?



1月

 昨年末から横浜に滞在し、年が明けて数日してから長崎に戻ってきた。1月は通常授業のほかに、卒論指導でえらく忙しくしていた。私にとっては初めての卒論指導。しかも5人を同時に。

 前年末に原稿を書いた『旅行人』エチオピア特集が発売された。



2月

 卒論提出日の5日まで、ゼミ生の相手に忙殺されていてほかのことにはほとんど気が回っていなかった。深夜帰宅もざら。

 いろいろな科目の採点と書類整理。卒論発表会、修論発表会、入試などがあった。連日の12時間越え勤務によってなんとか仕事をこなし、月末からエチオピアへ渡航。



3月

 3週間にわたるエチオピア滞在。帰国してからゼミ生の卒業パーティー、卒業式、謝恩会など宴が続いた。月末のぽっかり空いた一週間も忙しく過ごしていた。このときのエチオピアの資料の整理はまだ終わっていない。早くやらないと記憶が風化しちゃうよ。



4月

 5月下旬に予定されたアフリカ学会の準備にてんてこ舞いで、連日のようにメール書きに追われていた。

 どんなに忙しくても、新学期は容赦なく始まる。授業は長大での講義が週に一つ半、ゼミがふたつ。非常勤がふたつ。新ゼミ生6人が入ってきて賑やかになった。

 教務委員になってしまったので、この業務でも忙しくなってきた。その上、大学広報誌の環境科学部特集の編集座長になってしまったので、その仕事も時間を圧迫しだしていた。

 さらに、ナイルエチオピア学会の評議委員になり、ニュースレターの編集長にもなってしまった。

 アスベスト騒動もあって、月末に一階から二階への引っ越しをした。



5月

 一ヶ月間、授業以外ではアフリカ学会と広報の仕事ばかりしていた。アフリカ学会では連日のように数十通のメールを書き、医学部に出向いて打ち合わせをこなすなど、日中はほとんどこればっかりやっていた気がする。自分で企画したシンポジウムの発表準備など、なんと当日3日前に本格着手した。学会は大盛況&大成功。いろんな人から感謝の言葉をいただいた。

 空き時間には学部広報の取材と編集に追われた。



6月

 39歳になった。

 広報の仕事の詰めで、午前様の日が何日かあった。この編集では相当な時間を消費したし、気疲れしたし、なにより、あちこちを走り回った。

 某先生の代理として、高校に出前講義に行った。



7月

 苦労の末の広報誌が完成したが、ほとんど注目されず、感謝の言葉もいただけなかった。徒労感に満たされること数日。

 後半はテストと採点が目白押し。文化環境コロキアムの準備にも時間を費やし、コロキアム当日はミニシンポをやった。

 この頃から、新しい仕事がらみでまたまた医学部に出向くようになる。



8月

 第一週は神戸市外大での集中講義。その後、大阪で会議をして長崎へ。採点の続きに数日を費やす。

 8月を通じて結構身体を動かした。

 後半はゼミ生HCの卒論執筆があり、〆切間際の数日はほとんど泊まり込みだった。卒論が無事に提出された直後に、大学のFD研修で講師をやった。

 8月中に目標としていた論文のうち、一編だけ完成させることができた。論文を書いたのはいつ依頼だろう。



9月

 弟の結婚式があったので、月はじめの数日は横浜〜東京〜福岡と移動した。弟の嫁という人に始めて会う。実に久しぶりにイトコが全員そろう。数年ぶりに父親の顔を見る。

 その後、福岡ではSteely Danのライブ。帰ってすぐにすぐにゼミ合宿があり、阿蘇に旅行した。

 日本語と英語で書評原稿をふたつ書く。

 下旬になって、教務の仕事でへとへとになる。HCの卒業式、そして卒業祝いのカラオケで盛り上がる。



10月

 後期が始まった。大学の講義が一つちょっと、大学院が一コマ、ゼミがふたつ、非常勤が3つ。夜間開講の授業もあって、日によっては6時間ぶっ続けで授業をすることも(この状況はその後も続く)。

 ネパール人の研究生と、ケニア人の短期留学生が来日。

 授業の合間をぬって科研書類を作成(たぶん落ちるだろうけど)。あとはメール書きに忙殺される。

 月末に中日が53年ぶりの日本一を決めた。



11月

 教育設備についての責任者になってしまい、この書類作成に時間を費やすことになる。

 初旬にコロキアムがあった。今回は卒論中間発表もあり、30を越える演題を整理してプログラムを作成したりポスターを作ったり(まあ、いつものことだけど)。さすがに時間が取りづらく、一部を同僚に手伝ってもらった。

 コロキアム直前にはゼミ生3人の発表準備につき合い、毎晩のように深夜のタクシー帰宅を繰り返した。

 その後、「自分は指導者としては問題ありなんではないか」と悩みはじめ、いまに至る。

 下旬、ゼミ選択面接で2年生の来訪を受ける。面談に来た人数は例年とほとんど同じだけど、いつもとちがってほとんどが男子だった。

 最後の最後に、教務の仕事で心身共に苦しくなる。誰かが藁人形で呪ってるに違いない。



12月

 大阪出張からはじまり、息つく暇もなく柳川へ出張講義(これまた某先生の代理で)。

 相変わらず授業と書類作りで忙殺され、合間合間も学生指導などいろいろあって、研究の時間はゼロ。英文論文の査読結果が届き、修正意見をもらうが、手直しする時間がない。

 第3週はまるまる神戸で集中講義。



 長崎大学の教育職員として禄を食んでいるワケだから、さまざまなデューティー(職務)をこなすのは当たり前である。書類作りやらメール書きやら打ち合わせやらでやたらと時間を食ってしまい、気が付くと夜になってる、みたいな毎日だった。

 もちろん授業はあるし、学生の面倒をきっちり見ないといけない。学会関連の仕事もきちんとこなさなきゃならない。人がやりたがらない仕事も引き受けるし、人が出来ない仕事も当然やる羽目になる。

 一体いつになったら、研究らしいことが出来るんだろう。べつに"Duty-Free"な日々を求めているワケじゃない。でもいつまでも"Duty-Full"な日が続くと、さすがに泣きたくなってくる。

 この窮状をとある同僚に愚痴ったら、彼ははっきりと「増田センセイはきちんと時間を取ってエチオピアに行かなきゃだめですよ。」と言ってくれた。その理由はこうである。

 「だって、エチオピア調査しなきゃ、増田センセイはただの人ですよ。」

 そうなんだよ。このまんまだと、ただの人になっちゃうんだよ。