授業は仕込みで8割決まる
(Aug. 02/2008)
ずいぶん前のことだけれど、NHKの番組で素晴らしい英語の授業を観た。それは中学一年生に現在進行形を教えるという授業なのだが、勢いがすごい。
生徒は教科書を開いていない。授業中の言葉は半分以上が英語だ。教師は、生徒全員がいつも口から英語を発音するように仕向けている。ビデオ教材もこまかく準備されている。配布物も計算されている。そして何より、生徒たちが元気だ。
見たところ、こんな感じの流れになっている。
まず、何人かの男子生徒を立たせて、彼らの共通点を言わせる。(ここで生徒全員をファーストネームですらすらと呼ぶ、これは基本だ。塾にいたときには私にも出来たが、大学ではゼミでしかできない。生徒の名前を覚えるのは基本中の基本だというのに。)
立たされた生徒の共通点は「soccer」である。そこからまず、生徒たちに「They play soccer.」という文を作らせる。これは既習事項なので、生徒たちも言える。
ついで、間髪入れずにビデオを流す。テレビのモニターには、サッカーの試合が流れている。ここで教師は「They are playing soccer.」と言い、さきの「They play soccer.」との対比に誘導する。そして、それを黒板に板書し、はじめて文法的な特性に注意を向けるのだ。すなわち「be+動詞のing形」である。
次に出てきたのは、さまざまな絵が描かれたフリップだ。これをつぎつぎとめくり、描かれているものを英語で言わせる。
She is studying.
He is swimming.
They are playing tennis.....
教科書を開くのは、これらが全て終わったあとである。使っている教科書は、全国でひろく使われているものであった。
この教師は、教科書を脱構築しているのだ。英語の教科書はふつう、学習事項をしめす例文があり、次いで例文が織り込まれたビニエット、最後に文法が来る。テレビで観た授業は、この順番をそっくり入れ替えただけでなく、その前に自作の教材とシナリオで一気に文法まで引きずり込む作戦をとっていたのである。
流れを示せば、こうなる。(1)ノリ+リズム→(2)聞く・話す→(3)法則→(4)書く。
私自身の経験では、学習塾にいたときには、まず(2)の要素がまったくなかった。ふつうは(3)の法則をパッと示すことから始まり、そこから(4)の練習をこつこつと積ませる。もちろん(3)法則の提示のまえに、いろいろと工夫することはあっても(たとえば既習事項の確認など)、あまり時間は取らないのがふつうだ。
もちろん(1)の「ノリ+リズム」は、最初の最初に取り入れることはあっても、ふだんはあまりやらない。そしてまた、英語が話せるようになった今となってはつくづく思うのだが、言語を身につけるのにもっとも必要なのがこの「ノリ+リズム」なのだ。
私は講義をするのが好きであるから、毎回の授業設計はある程度はするけれども(とくに導入とオチの部分)、かならず教室でのノリでドライブをかける余地を残すようにしている。このやり方だとどうしてもパフォーマンスに負う部分が大きくなるし、教室の個性によっては大失敗に陥る可能性もある。同じ授業内容でも成功と失敗があったりするのは、部分的には「学年によるキャラの違い」によるところが大きい。
つまり仕込みで押さえられるのは8割で、残りの2割は現場のノリで決まるのだ。
このやり方だと、シラバスの縛りが鬱陶しく感じられるようになる。
シラバス。この「授業実施契約書」をどの大学でも取り入れるようになってもう何年も経つ。教務委員をやっている大学教員がいうのもなんだが、シラバスという縛りがなければもっと充実した授業になったかも知れない、と思ったことは一度や二度ではない。
じつは私は、大学が制度的にシラバス執筆を要求するよりも前から、自前でシラバスを書いて配布していた。たぶんアメリカの大学授業運営ティップスか何かで学んだのだろうが、直接的な理由は「受講マナーを守らない学生を、説明責任を果たしながら退去させるため」だったと思う。「授業中にケータイを鳴らさない」「授業中にケータイをいじらない」「授業中に無断で退室しない」「授業中に食事をしない」などなど。これらのことを細かく書いて、違反したら問答無用でクビにするからそのつもりで、ということを書いて渡していたのだ。
もちろんシラバスにはその学期の授業計画がきちんと書かれている。大事なのはそれを配布するのが、初回の授業で、という点にある。
以前なら翌年度の授業の概要(200文字程度)というものを秋に提出していた。1回目から15回目までの授業計画なんて春になってから学生に知らせればよかったのだ。それがどうだろう。今では12月や1月なんて時期に、翌年度の授業計画を提出しなければならない。教科書通りに手順を踏んでお勉強するような科目ならともかく、提示して、論じて、基本姿勢を身につけさせて、思考させる授業をやっている人間が、そんな先のことまで計画できるだろうか?
私たちはいまでは、半年前、一年前に自分で書いたシラバスという計画書に縛られながら授業を続けている。もちろん計画は必要だ。だがそんなものに100%縛られていたら肝心の講義する側の「ノリ+リズム」が失われてしまう。
そう授業は仕込みで8割決まる。あとの2割は譲れない。
ついでに書けば、大学教員の授業パフォーマンスのレベルは決して褒められたものではない。前職でたくさんの「すごい授業」を見てきた私がいうのだから、間違いない。
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