放送大学で教える楽しみ、あるいはマッサージとしてのパンキョー人類学
(Nov.5/2003)
放送大学で授業をしていると話すと、必ず「へえ、テレビに出ているんですか」と言われる。そうではない。スクーリング(面接授業)というヤツである。
放送大学(英語名はなんと"University of the air"である)は、テレビやラジオを使った放送授業のほかに、各県に用意された校舎を使って、面接授業を実施している。前期、後期それぞれ5回の授業を受け、テストを受けるなりレポートを提出するなりして認められれば2単位が与えられる仕組みである。私はかれこれ5年ほど、横浜・弘明寺にある神奈川学習センターというところで授業をしている。
放送大学は文部科学省から認められた立派な大学である。ほかの一般的な大学と異なる点は、入学試験がないこと、学生の平均年齢が高いこと、卒業年限が定められていないので何年でも在籍していられること、などである。私はこの秋でちょうど10シーズン目を迎えることになる。
この大学が他と違うところは他にもある。すでに述べた制度的な面もそうだが、それ以上に学生さんたちの授業態度が、ほかの大学とはだいぶ違うのだ。ひとつに学生さんたちはみなさんマジメである。授業中に居眠りをする人もいないではないが、仕事帰りに立ち寄って授業を受けている人がいることを考えると、まあ仕方ないかなと思う。学生さんたちの年齢が高いので(平均して55歳くらいだろうか)、私自身が言葉遣いにひどく気を遣う。笑いのツボが若い学生とは違うので、冗談も異なるものを使う必要がある。(ちなみに、私は授業中に3回くらい教室全体を笑わせないと気が済まないのだが、冗談はその都度思いついたものを言うようにしている。あらかじめ準備した冗談は、たいていは滑るので)。
学生さんの中には老齢の方も多いので、声は大きく、しかもゆっくりと話すことを心がける。なるべく英語は使わない。授業時間はきっちりと守り、休講はしない(一度だけ、当日の朝になって具合を悪くして、失礼なかたちで遅刻してしまったことはあるが。あのときは、本当に申し訳ありませんでした)。
楽なのは、10年20年前の出来事をみなさん覚えておいでなので、たとえば大韓航空機爆破事件とか、大喪の礼とか、石原裕次郎とか、そのあたりを授業のなかに取り入れることができる点であろうか。
「一般教養としての文化人類学」ということについて、私は、私なりにだいぶ考えてきたつもりである。たぶん、ほかの「パンキョー人類学教師」たちよりも、ずっと考えているに違いない。偉い先生方にとってパンキョー人類学は、空いた時間を埋めるバイトであったり、あるいは義理で引き受けざるを得ない「重荷」であろうが、私にとってはいまのところ「パンキョー」は全てである。したがって、放送大を含めて、美術短大で教えたりすることは経験の幅を広げ、「パンキョー」の存在価値を自覚するための重要な栄養源なのである。
さて、放送大の学生さんたちの多くは、私の親とおなじくらいの年輩者であるから、かなりの人生経験を重ねていらっしゃるし、それ相応の固定化した世界観をお持ちである。放送大で講ずるパンキョー人類学の存在理由は、こうした方々の世界観をほぐすマッサージみたいなものであろう。たった5回の講義でそこまでやるのは至難である。だが、講義のために選ぶ題材がどうあれ、そのマッサージ効果についてはいつも心を砕いている。
さて、今週から放送大の集中講義がはじまる。毎年と同じく、1年で一番忙しい11月がやって来た。
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