「明るい未来」に投票する
(Nov.9/2003)
今日は選挙の日である。私は買い物ついでに、自宅からあるいて数分のところにある逗子小学校に出向いて投票を済ませた。夕方で暗くなり始めた時間帯、空模様が怪しく、しかも寒いという条件が重なったか、投票所はがらがらだった。受け付けの待ち時間も30秒ほど。神奈川県はもともと投票率が抜群に低いところなのだが、それにしてもこの「閑」とした感じはなんだろう。(その後の確定投票率を見ると、神奈川4区は61%で、かなりよかったらしい。大本命がいない一種の激戦区だからか、かえってみんな足を運んだのだろうか。どうやら私が行った時間がたまたま空いていただけらしい。)
まず小選挙区の紙をもらい、候補者の名前を鉛筆で書いて(心配だからちゃんとフルネームで書いた)、それを箱に入れると、つぎに比例区と国民審査の用紙を受け取る。手続きはとってもスムーズで、戸惑うこともなかった。投票用紙は開票の手間を省くためにぱっと開く腰の強い紙で、鉛筆は「B」くらいの濃さだった。美しく削られた鉛筆だった。
民主主義というイデオロギーについて、さまざまな意見があり、多くの解釈があることは知っている。その歴史的経緯だって、本一冊では書ききれないほどのものになる。だが、実際の生活の中で、民主主義を実感できるのは選挙期間中であり、街宣車の騒音や、街角のポスター、投票用紙、投票箱、そして開票速報、このあたりが私(たち)にとっての知覚できる民主主義のインターフェイスである。
いまこれを書いているのは午後10時半だが、地上波放送のすべての局が選挙速報の特番をやっている。民放のがちゃがちゃうるさい台本が好きではないので、私は基本的にNHKを見ているが、それにしても各局の当落情報の出し方にかなりの差が出ていて面白い。日本テレビは、全般的に「与党は厳しい」という路線でシナリオを作っているようだし、テレビ東京は当落の判定にかなり慎重だ。他の局で250人くらい当確を出しているのに、テレビ東京はまだ200人ちょいしか確定させていない。
意外だったのは、NHKがばんばん当確情報を出していることだ。何カ所で出口調査をし、どうやって集計しているのか知らないが、とにかくスピードが速い。それに当確情報や議席配分などのアニメーションが見やすくて、わかりやすさという点では群を抜いているように思う。
そういえば今回は、はじめて私も出口調査というのに出会った。朝日新聞の調査だったが、バイトの女の子に声をかけられて、手渡されたアンケートに記入するだけ。投票とおなじくらい簡単だった。こうした出口調査のおかげで、じっさいに開票しなくても当選者が判明してしまう選挙区がとても多い。NHKが当確をどんどん公表したのがまさにそうだし、開票がはじまっていないのに当確が出ちゃうなんて、これから開票作業をしようという人のやる気をそいでしまわないか、心配になる。
こんなふうに早々に当確が出てしまう背景には、結局のところ多くの選挙区では「前職」が強くて、新人にとっては「あたって砕けろ」になっているということがあるのだろう。「前職」が引退しても、多くの場合は息子や秘書や弟子といった人たちが後継者になっているし(小渕優子さんをご覧なさい)、大臣級になってしまえば当選するのが当たり前、小泉純一郎にいたっては選挙区に一度も来ていないだろう。つまり、民主主義とはいっても、つまるところ先代からの「系譜」の力が強いのであって、投票用紙はせいぜいその事実を確認するためのインターフェイスに過ぎない。圧倒的に過去指向なのである。
こんな「過去指向」の政治世界にあって、今回の衆議院議員選挙では、各党がマニフェストーという「明るい未来宣言」を発表していた。残念ながら実物を見たことは一度もない。インターネット上で、その要約を眺めたくらいである。確かに、選挙というのはキャンペーンであるから、冊子を作ったり(党首の顔写真が必ずある)、ポスターを作ったり、「日本再生」やら「改革なくして成長なし」やらいうスローガンを作ったり、まあ宣伝に忙しいこと。政治が多数決主義で決まる以上、売り込みがその活動の中心になるのは仕方あるまい。
しかし、どんなに前向きなマニフェストーを作ったところで、ニッポンの未来はそれほど明るくないのは明らかだ。今日の政治の関心は「お金」であり、お金の問題を解決することこそが政治家に課された課題のようにいわれている。そして私は、この景気低迷とデフレ状況は、今後ずっとつづくと思っている。私が死ぬまでに一度でも景気の上昇があればいい方だろう。ちょっと前にニューズウィーク誌で、日本は世界経済から引退し、スイスのような、そこそこ豊かな国として安定飛行するという記事が載ったことがあったが、まさにそのようにして今後の経済が続いていくような気がして仕方がない。
それに考えてみれば、「日本再生」なんていったときの「日本」とは一定の国境線に区切られた便宜的な枠に過ぎないし、そういった「日本」を立て直すなどというのは、非常にテクニカルな問題に過ぎないのかもしれない。「日本」が再生しなくても、ちゃんとお金を稼いで自活できる人間はたくさんいる。政治活動の「未来宣言」を、「日本」というバーチャル・リアリティの範囲内だけで成し遂げようとしているのなら、今度の選挙も、「村役人」の選挙とそれほどかわらないものだといえそうである。
前のページへ