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逗子市長選挙

(Sep.10/2003)


今回は政治評論家となる。

新聞ではもっぱら自民党の総裁選挙の話題で持ちきりだが、私の地元(と呼べるほど長く住んでいないが)である逗子では、市長選挙の投票日がせまっている。次の日曜日がそうで、うちにも先週、例の投票会場チケット(=選挙券)が届いている。だが、逗子市長の選挙はついこの間やったばかりだ。なぜ? 理由は簡単だ。前市長が辞職したのだ。

前市長、と書いてすぐにヘンな感じがするのは、どうも彼=Nについては「現職」という感覚が消えないからだ。だって、2003年の9月に市長選挙をやっているなんて、3ヶ月前にはだれも想像すらできなかっただろうから。ほんとに、なんで辞めたの? なんでまた選挙なんてやんなきゃならないの? と本人に聞きたいところだ。

同じ疑問は誰もが抱くらしく、選挙公報にはN前市長はちゃんと答えを書いている。ことの発端は、米軍池子住宅地に、かなりの増築計画があることだそうだ。そのことはN前市長のホームページで知っていた。要するに、思い切って辞職して、池子反対を謳って再選されれば、国家中心にたいする強力なプロテストになると考えたのだ。なるほど筋は通っている。だが、それでもやはり、この選挙は意味がないと思う。

まず、市長候補に立候補したNを含む2人は、いずれも池子の増築に反対している。つまり争点を巡っては基本的な主張はおなじだ。増築に大賛成している候補がいない以上、これは争点になり得ない。こうなればどちらが当選しても、逗子市民の主張は同じだということになる。

むしろ、Nが再選されなかったときには、民意の不安定さを突かれることになる。そうならないためにはみんながNに投票しなければならなくなるが、そうなるとますます選挙をする意味がない。これではあらかじめ誰が勝つかについて談合済みの、いうならば八百長になってしまう。若手のN(私の一つ年上)は、こういうのを嫌っていたのではないか? まあ、背水の陣といえばたしかに、水を背負っている。でもなあ。

もうひとつの理由は、選挙のたびに街宣車がうるさくて仕方ないことだ。街宣車という言葉は、ウ・ヨ・クの方々が軍歌を流すつや消しブラックの自動車だけを指すのではない。選挙のたびにウグイスが、オウムのように「候補者○○、○○をどうかよろしく」「ご声援ありがとうございます」とくり返すあれだって、街宣車である。「よろしくお願い」されても、こちらは困る。声援など送ったことがない。個人名を大音量でまき散らすようなやり方は、絶対におかしい。確かに、顔を名前を覚えさせることが必要なのはわかる。でもそのおかげで、貴重な朝の睡眠を奪われる私の権利はどうなる。街宣車の活動は朝何時からと決まっているようだが、街宣車の使用そのものを禁止すべきなのだ。

そもそも、出馬している本人が自分のことを「候補者」などと呼ぶのも解せない。たしかに、「立候補」した本人が自己紹介するときに「候補者」以外にアイデンティファイしようがないのはわかる。だからここでいいたいのは「候補」という言葉そのものについてなのだが、私の感覚だと「立候補する」ときの「立」は、候補に「立つ」ではなくて、候補を「立てる」という他動詞ではないだろうか。その意味では、「候補者」というのは、まわりから推された者というニュアンスを伴う。それを自分で「候補者」と呼び習わすなんて。

市長選の話に戻すと、もうひとつだけ許せないのが、選挙公報やポスターのデザインのひどさだ。私は自分の美的感覚にまるっきり自信がないが、それでもあのデザインのひどさは困ったものだ。

前市長のN君。同年代として君には頑張ってもらいたい。だけど、君のやり方は、街宣車の件も含めてやっぱりおかしいと思うよ。ここ数年は、日本でも各地で住民投票が力を持ちつつあるようだし、逗子でもそれをやってほしかったなあ。なんたって、地方自治体の首長は、大統領なんですよ。ここで権力を振るわなきゃ。

※後日談:前市長の長島一由氏は再選されました。今後のねばり強い交渉と、成果に期待します。