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眼差し
(Oct.7/2003)

私は現在、一週間に4つの大学で5つの講義を持っている。(集中講義があったりすると、5つの大学・6つの講義に増えたりするが、まあこれはどうでもいいことだ。)これらの全ての講義の受講者数は、実際に出席している人数を合わせると、だいたい800人になる。ほかでの仕事を含めれば、1000人を越えてしまいそうな勢いである。

さて、今回の「Talk」で語りたいのは、受講者数と教育の質の相関関係である。一般的に考えられる結論は簡単だ。つまり「受講者数が多ければ多いほど、教育の質は落ちる」である。だが、この問題はそれほど簡単ではない。なぜかといえば、そこで本来問われるべき「教育の質」とは何か、ということが曖昧だからだ。

「教育の質」を「講義の内容の程度」と捉えれば、これは受講者数とはあまり関係がない。私が壇上から、ほとんど一方的にしゃべるような講義だったら、内容に関してはあらかじめ準備されたものを音声で伝えるだけだし、声だけで足りなければ、ハンドアウトを配ったり、ビデオを見せたりしている。ハンドアウトを毎回作成するのはなかなか大変だが、まあこのくらいの労力を使うのには慣れた。(6年目ともなれば、そりゃあ慣れる)。

だが「教育の質」を、「学生たちの学習の度合い」とすると、受講者数は決定的な影響力を発揮する。その理由をひと言でいえば、「こんな大人数を相手にして、ひとりひとりの面倒など見ていられない」ということになる。

学習の度合いを上げるためには、任意の時点における個々の学生の到達度を把握しておく必要がある。ここでは教師と学生が1対1で対応関係を持てるような環境が必要となるが、非常勤講師には研究室がないし、電子メールアドレスを公開しているとはいっても、対処できる人数には限りがある。たとえば先日、ある学生が前期に不可になったのを不服としてその理由開示を求めてきたが、1人あたりの答案を詳細に検討した報告書を作成するのに2時間、3人分で6時間かかってしまった。もちろん情報開示は必要なのだが、これをもし800人に対して行ったらどうなる。こんな状況で「教育の質」を問うことがあるなら、それを「問う」ことのできる人間の資格を問いたい。

現状での最善の策は、レスポンスペーパーである。ほぼ毎回、講義の後にレスポンスペーパーを書いてもらい、回収したものに目を通す。これだってかなりの時間を食うが、これによって出席の確認もできるし、コメントの内容如何では評価を出すさいのプラス材料にもできる。インプットがかなり大変だが、出欠情報はデジタル情報として管理しており、慣れてくるとインチキの出席申告も見破れる。学生の顔を覚えることはできないが、筆跡と名前の対応関係などもだいぶ分かってくる。ただ、全ての質問に答えるのは実質的に不可能に近い。

ある教師がひとつのコマを担当したとする。そのトータルなワークフローのなかでは、実際に学生たちの前で「講じる」のに費やされる時間は、どちらかといえば微々たるものに過ぎない。むしろその準備と後処理にこそ時間がかかるし、かけるべきだ。この点では、クラスごとの受講者数が制限されているとはいえ、語学を担当されている先生方を見習うべきだと思っている。本来なら、あのように数回にわたる小テストと出席状況から、いわゆる「平常点」を算出し、評価に反映させるべきなのだ。しかしそれも学生の数が制限されていればこそである。

ああ、今回もまた愚痴エッセイになってしまった。だが、講義をすること自体は喜びだ。なんといっても目の前に学生がいる。私はよく授業中に怒鳴ったり、怒りをぶちまけたりするが、それは人間を相手にしている商売だと実感しているからこそだ。どんなに大人数であっても、こちらを捉えて離さない視線を持っている学生は、記憶に残る。そういった、よい眼差しを備えた学生たちに対して、仮想の対話をする、というのがひとまず大教室で講義を展開するモティベイションになっているといえるだろうか。