時間がありあまっているので書いてみた、恐怖の夢と酒の話
(Dec.2/2004)
以前に、自分は夢をよく見るタイプだと書いた。そしてここ3日ほど、記憶に残る強烈な夢を立て続けに見た。
昨晩はヒトデが大量死する海で、呑気に海水浴する夢を見た。海底には茶色いヒトデの死骸が隙間なく横たわり、海面にも死んだヒトデたちが分厚い層をなして浮かんでいた。いまでも、肌に当たるヒトデの、まるで切り干し大根のような感触を思い出せる。
三日前には、芝居を見に行く夢をみた。私は入場者の列にいたのだが、その横を出演者たちが楽屋からどやどやと出てくる。その中に知人(たしか女性だったと思う)がいて、オズの魔法使いに出てくるブリキ人形みたいな衣装を着ていた。「お前、舞台なんかやってたのか!」。これが夢のなかの私の台詞だ。
だが、もっとも強烈だったのは二晩前に見たやつだろう。
私たちは、なにかの合宿で雑魚寝をしていた。しかたなく男同士、女同士で二人ひと組でひとつのベッドをシェアしていたのだが、私と同じベッドに寝ていたのが「とある先生」である(この方は実在する人物で、むかし世話になった偉大な先生である。いまではもう老境に入っているが、お元気だ。)。
この夢のなかで、私はこの「ベッド・メート」であるところの老先生から性的な関係を迫られたのだ。ひらたくいえば、ホモセクシャルな行為をされそうになったのである。夢のなかの私は「ああ、困ったなぁ。どうしよう。キモチわるいけど、この人センセイだし、ぞんざいに断れないよなあ」なんて考えている。結局のところ逃げるのだが、偉い先生からにこやかに性的関係を迫られるってあたりが、非常に圧迫感があって、セクハラされる怖さというのはこういうものなのかな、などと後で思ったりした。
こうやって文章にするとけっこう悠長に構えていたように見えるかもしれないが、夢のなかではけっこう必死だったのだ。この「体験」の恐怖の根源は、もちろん私の性的な趣向にもとづく。私はありきたりのヘテロセクシャルなので、女の子が好きなんであり、男と性的な関係を持つことには強烈な抵抗がある。「男が好きな男たち」を軽蔑するつもりはまったくないのだが、私自身はそういう関係にはまるで興味がない。
夢の中で逃げ出したのはもちろん相手が男だったからなのだが、同時ににこやかな老人からじんわりと関係を迫られることとか、「相手」が自分より社会的身分の高い人物であったこととか、そういういろんな要素が加味されて「恐怖」になったのだろう。目が覚めてからもしばらく、その恐怖は消えず、数分してその「体験」が夢であったことを認識したとき、心底ホッとしたものだ。
性的な夢というのは誰でも見るだろうし、私だって頻度はすごく少ないが見ることはある。実際のところ、好きな女の子とセックスしている夢を見られたら(そしてそれをしっかり覚えていられたら)どんなに楽しいだろうとは思うのだが、女がらみの夢だと、たいていはその相手が誰なのかわからないまま、ということがほとんどである(以前の「佐藤ピーナッツ(Talk 52)」を見よ)。
見たい夢を、見たいように見られたらどんなに良いだろうと思うが、それだったら空想に浸ってしまうほうがずっと楽だ。
夢の世界に耽溺する、といえばどうしてもドラッグの話になる。
中島らもが死んでしばらくたったが、今日、久しぶりに『アマリタ・パンセリナ』を開いてみた。『アマリタ・パンセリナ』は中島らもの薬物体験記である。取り上げられるのは睡眠薬、咳止めシロップ、アルコール、きのこ、サボテン、有機溶剤などである。
中島らもといえば「アル中」。彼自身はアル中地獄からも、深刻な鬱病からも、咳止めシロップの禁断症状からも解放されたようだが、最後は結局、酔って階段から転がり落ちたあげく、頭を打って死んでしまった。
私はアル中ではないが、酒は好きである。飲み屋でがやがやと騒いで飲むよりも、少人数で、あるいはもっと端的には一人で、だらだらと飲む方が好きだ。30代に入ってからは、あまり量を飲めなくはなったが、そのかわり休肝日をもうけなくなった。その傾向は、長崎に来てからさらに強くなっている。
実際のところ、来崎(長崎に来ることを「来崎」という)以来、酒を欠かした日はたぶん一日もない。その最大の理由は、「家にいるとすることがない」である。こんなことは数年来なかった。なにせこれまでは、家の外ではカネ稼ぎの仕事をし、家の中では研究という大事な仕事をするというのが定型だったのだ。それがどうだろう。職を得て、自分専用の研究室を手に入れてみると、研究に必要なものはすべてそこに収まってしまい、自宅ではなにもできない。大学には毎日ほぼ7〜8時間滞在していて、本当ならもっと遅くまで残っていたいのに、バスの時間(夜になると1時間に1本しかない!)とかいろいろ事情があって、結局8時すぎには自宅に戻っていることになる。
自宅に書斎と呼べる部屋がないことも一因だ。なにせ引っ越し後のごたごたは片づいておらず、私の個室は寝室にして物置、そして「洗濯物干し部屋」である。こんな部屋で勉強やら読書やらができるわけなかろ。
秋の夜長、という言い方があるけれど、つれづれなるままに夜の長さを感じたことなど、これまで無かった。時間があれば、それだけやることがあった。それがいまではどうだろう。やることはあるのに、自宅ではできない。研究室で長時間過ごせればいいが、それもできない。自宅にはテレビがないので、ニュースやビデオを観て時間をつぶすこともできない。やることはなにかないか。私の場合、それは酒を飲むことしかない。
もともと、オフの日には「午後4時までは酒を飲まない」というような自主規制をしていた。午後4時を過ぎれば、どれだけ飲もうと自由である。そして私は、ひとりで、もしくは気のあう仲間と数人でちびちびと飲むのが好きなのだ。それをみたわが弟は「ケンちゃんは結局、酒飲みなんだよね」といった。そう私は酒飲みだ。
増田の親族はとんでもない酒飲みの集まりで、時折、たとえば法要などで集えば酒宴になだれ込むに決まっている。私の母はそれを評して、酒飲みは「増田の血」だといった。私もその「血」を受け継いでいるのかもしれないが、パーソナリティの違いなのか、他の人たちはみな、人とわいわい楽しく飲むのが好きなタイプなのだ。私の父などやはり大酒飲みだが、自宅で飲むことはほとんどなく、いつも横浜の野毛界隈で飲んだくれていた。(そのあげくタクシーで何万円もかけて帰宅し、ボーナスはすべて飲み屋のツケ払いにまわして、自宅には一円も入れなかったらしい。母はボーナスを受け取った記憶がないという。)
ビールなら白ビールかエールがいい。ワインは白でも赤でもいいが甘いのはいけない。シングルモルトはマッカランの12年だ。日本酒はきりりと冷えた吟醸にかぎる。カクテルはジンをベースにしたのが好きだ。焼酎とコニャックは苦手だが、九州は焼酎の名品が多いので、そのうち好きになるだろう。いま? いまは南アフリカ産の赤ワインを飲んでます。
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