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グランドピアノが欲しい

(OCT.13/2003)

思えば、私の35年の人生は物欲にまみれていた。ほんの小さな子どもの頃から玩具をほしがり、小学校に上がってからは自転車をほしがり、釣りに凝っていた5年生の頃にはダイクマに釣り道具を眺めに行くのが日課になっていた。ほかにも数え上げたらきりがない。野球道具、楽器、カメラ、本、オーディオ、自動車、コンピューター・・・。しかも困ったことには、こうした物欲のあらかたが、これまで達成されてしまっているのだ。少なくともここに挙げたなかでは、いまだ所有していないのは自動車だけである。いまは例えば、「新しいフェアレディZ、いいよなあ」と思うことはあっても、欲しくて欲しくて身もだえするようなことはない。そう、たいていの物欲は満たされてしまっている。

物欲のあまりの身もだえ、という話でいえば、小学校5年生のころからにわかに抱きはじめた「トランペットが欲しい」という思い出が強烈だ。両親が大学時代にオーケストラで知り合ったというだけあって、私の家にはピアノ(アップライト)、オルガン、エレクトーン、バイオリン(2つ)、三味線といったさまざまな楽器がひしめいていた。これらのうち、ピアノは引っ越しの時に自治会館に寄付してしまい、いま私の手元にあるのはオルガンとバイオリン1台だけである。(オルガンはヤマハの骨董的代物で、それなりの価値を持つらしい。バイオリンは母のものだが、これは伝説のバイオリン職人、峯沢峯造の手になるものだ。)

トランペットは、私としては初めて渾身の力を込めて親を説得しようとした買い物である。結局、ヤマハの中級モデルを買ってもらった。これは後に後輩にあげてしまったが、高校に入ってからはBachの20万円くらいのものを買ってもらったと思う。まだ自分の資力では買えなかった。今ではもう吹けないが、捨てられない。

自分で全額支払った最初の大きな買い物は、たぶんローランドの電子ピアノだろう。はっきり覚えていないが、20万円ちょっとしたと思う。バイト代を貯金して全額一括で払った。このピアノはいまでも使っているが、すでにいくつかの鍵盤で接触不良を起こしていて、できれば新しいものに買い換えたいと思っている。

大学時代はとにかくカメラとフィルムにもてる資力を注ぎ込んだ。主に動物写真をやっていたので、機材費がかさんで仕方なかった。フィルム代を含めないでも、 100万円以上をつぎ込んだと思う。そうして入手したアイテムのほとんどは今はもう手元にはない。壊れたカメラもあるし、友人に10年来貸しっぱなしのものもあるし(反対に、10年来借りっぱなしのもあるが)、中古カメラ店に買い取ってもらったものもある。オリンパスの90mmマクロという素晴らしいレンズ、あれは何年か前に、どうしても地方での学会に参加するお金がなくて、泣く泣く売り払った。ああいうのは、寂しいよな。

ずっと心の中にあって、たぶんあと数十年実現できないと思っている「物欲」がある。グランドピアノが欲しいというやつだ。これは単に貯金ができたから買うというものではない。自動車なら、ローンを組んで納車してもらえば、あとは駐車場に止めておける。だがグランドピアノの場合、まずそれを置くための、しかるべき防音性能と強靱さを備えた部屋を用意しなくてはならない。だから、この物欲の成就には、長期的な計画が必要なのだ。

私のピアノ歴はかれこれ 25年近くになろうか。習ったことはないので、運指はめちゃくちゃだし、早いパッセージに挑むと腕がへんなふうに疲れる。クラシックの曲はひとつも弾けず、もっぱらジャズのまねごとばかりしている。楽譜を読めるし、書けもするが、「楽譜を見ながら弾く」ということができない。だが、グランドピアノを弾いたときの、あの足下から突き上げてくるようなライブ感、浮遊する音場感はほかの楽器では達成できないのだ。グランドピアノを弾くとき、弾いている人間もまた共振し、楽器の一部となるのだ。

しかし、まだ達成されていない物欲が人生の駆動力になるなんて、なんて情けない生き方なんだろう。