研究環境の再構築
(Feb.27/2005)
10 月に長崎に来てからというもの、新しい環境に馴染むことに四苦八苦してきた。友達を作ったり、かなり甘い醤油の味に驚いたり、地図をにらんで道路を覚えたり、焼酎という飲み慣れない酒への耐性を高めたり、安くて新鮮な野菜や魚を買い込んだり、まあ、そういうことを通して、エチオピア以来の劇的な環境変化への適応を済ませようとしてきたのだ。
職場に関しては、やはりいまでも戸惑うことのほうが多い。なんといっても、私にとっては初めての専任の仕事なのだ。ずっとフリーでやってきた私にとっては、これが人生最初の「まともな就職」なのであって、組織とか人間関係とか、そういうのに戸惑うのはあたりまえだろう。誤解のないように書き加えておくが、私がこれまでにやってきた仕事が「まとも」じゃない、ということではない。「会社に入ってサラリーをもらうのがまっとうな大卒のすることだ」という風潮からすれば、私のこれまでの仕事はすべて「アルバイト」としてしか見てもらえない、ということを言っているのである。
大学の教育システムと学生たちの「気質」への適応という課題もある。長崎大のカリキュラムは、リベラルアーツよりは「専門寄り」の感じだ。キャンパスにはいろんな学部があって、当然学生もたくさんいるはずなのだが、たとえば青学とか玉川で見てきたような、学生でごった返したキャンパスではない。このへんの雰囲気は、国立だからなのか、あるいは長崎だからなのか、最初は違和感があった。もちろん今では完全に適応してしまっている。
学生たちについては、これまで教えてきた学生との比較ができない。私はいままでずっと一般教養としての文化人類学を教えてきたのだが、いまは専門科目しか教えていないのだ。2004年度後期の環境人類学(2年生以上)の平均出席率が95%を越えているからといって、長崎大の学生だけが立派だというふうには言えないわけだ。そもそも比較できるような共通の土台がないわけだから。
もともと関東にいたときから私の講義では学生たちの出席率は高かったし、ここでやっているは専門科目だから出席率も必然的に高くなる(のだろう)。
それにしても、95%超はすごいものだ。受講生59人は一人の落伍者も出さずに全員合格した。テストで課した3つのショート・エッセイも全体的によく書けていたし、レスポンス・ペーパーだって期待以上のものが多かった。これって、やっぱり「専門科目だから」なのだろうか? ちなみに、テストの点数とレスポンス・ペーパー点を加えた結果、半数以上の学生が90点を越えるということになってしまったが、若干採点を甘くしたとはいえ、やはり学生の取り組みがよかったということなのだろう。
だが、一点だけ申し添えれば、テストのショート・エッセイが全体的によかったと言っても、本当に「素晴らしい」といえるものを書いてきた学生(100点)は4人だった。私は以前に、教室全体における「見どころのある学生の比率は3〜5%」と、過去のTalkのどこかに書いたが、環境人類学の場合はそれよりもすこし高い数字(6.7%)を示している。全体的なレベルの高さを考えると、やはり専門科目というのはパンキョーとは違うらしいということが分かった。これはほんの今月になってからの発見である。
授業のほかにも、この4ヶ月半のあいだには、ゼミ生を決めたり(6人応募、5人採用)、入試の監督&面接をしたり、部屋のレイアウトをいじったり、いろいろやっていた。そういう適応作業に手間をとられて、研究のほうはほとんど進展がなかったが、なんとか論文をふたつ書いた。どちらもすでに一度書いていたか、あるいはとっくに内容が決まっていたのに書き出せなかったものかであって、長崎県産のオリジナルな論文はまだひとつも書いていない。
そんななか、執筆の依頼が来たのだ。論文。短めで、本文30枚。締め切りは1ヶ月半後。はっきりいって、スケジュール的にはかなり厳しい。2月から3月は、会議が多かったりして忙しくないわけではないが、授業もないし、時間がまったくない、というわけでもない。近頃の私のポリシーは「持ち込まれた仕事は断らない」というものだけれど、見切り発車で安請け合いするのも失礼かと思い、しばらく逡巡していた。そして、結局、引き受けた。
世の中には一日の睡眠時間を3時間くらいまで削って、研究や執筆にいそしんでいる人もいる。私はこのところ1日7時間はたっぷり眠っているし(この睡眠時間の多さが、いままでの生活リズムを乱しているわけだが)、本だってあまり読んではいない。そういう怠け癖にカツをいれるためにも、仕事はどんどん増やした方が良い。
論文については、その中味も掲載先もまだ明かせないが(日本の文化人類学の世界では、わりとよく知られたところだ)、どんなふうに書くつもりかは説明できる。
今回の論文のテーマは戦争だ。いわゆる民族間戦争。締め切りまでの時間がないことから、資料集めを一から始める訳にはゆかない。そこで、過去にしっかり勉強していて、なおかつその一部はすでに書いたことがあるネタ、それをふくらませて書くのだ。そのために私はいま、研究室のあちこちに分散した関連書籍や論文のコピーを机の上に積み上げ、まず論文の全体像を確認している。そして論点をあぶり出すために、昔作った勉強ノートを読み直している。
この勉強ノートは、日付を見ると1996年のものらしい。このテーマについて集中的に文献を読み、かなり詳細な整理がなされたノートだ。しかも今読んでも、ずいぶんと突っ込んだコメントが書いてある。8年も前の自分の自習ノートを読んで、こんなに一生懸命勉強していた時代が自分にもあったのだということに気づく。1996年は私が博士課程の2年生だった年だ。そして今となっては、博士課程に在籍していた3年間こそ、私がもっとも集中して勉強し、研究の基礎的部分を形成した時期だったのだと言える。
東京都立大の社会人類学専攻では、修士課程の1年生は奴隷的な労働に従事しながら授業にあくせくし、2年生から3年生のあいだは修士論文を準備するというのが明白な規範だった。修士号を取得し、博士課程への入学を認められると、今度は院生共同体の幹部的な振る舞いを求められた。研究者としてやっていく自信のようなものが芽を出し、ゼミでも積極的に発言するようになる。学会発表もこなし、論文を活字にするようになって、学外の研究者にも名前を覚えてもらう。それが博士課程の初期の段階だ。そのころの私はかなり頻繁に大学に通っていたし(片道100分以上かかったが)、書庫の文献を片っ端からチェックして、面白そうなものをさがしたものだ。
ところで、これから私が書き出す論文について。参考文献のリストを作ってみたところ、2000年頃を境に、私があまり英語文献、とくに英語の雑誌論文をチェックしていないことがわかった。これは明らかに、仕事が忙しいことを口実にした怠慢のゆえだ。最新文献をフォローしないでは、この論文は書けない。長崎では人類学やアフリカ研究の英語雑誌は見つからないので、都立大の方に依頼して、文献渉猟をお願いした。
長崎大学は、分野によっては基礎的な文献をほとんどそろえていない。10月に着任して、数日してから図書館を訪ねたが、すくなくとも私の目には、これまで見てきた大学図書館のなかではもっとも貧弱なものに見えた。長崎大学は基本的に理系の大学であるから、その方面の文献はそろっているのだろう。だが私の研究に関しては、私は、この図書館の蔵書をあまりアテにできない。私には研究費もあるし、知人友人を介してコピーを集めることも可能だが、学部生や大学院生は、この図書館だけで研究を進めるのは、かなり苦しいのではないだろうか。もちろん研究分野によるが。
こんなことを思ってしまうのは、私がこれまで、大学図書館にかんしてはわりと恵まれてきたからだろう。成城大の図書館には、人類学や民俗学の文献がたくさんあったし、古い民俗学雑誌もよくそろっていた。柳田国男の蔵書などもそっくり寄贈されていて、私のような一介の学部生でも閲覧させてもらえた。都立大でもそうで、とくに英語の学術雑誌がたくさんあった。社会人類学の書庫には、さまざまな言語の基礎的なジャーナルが取りそろえてあったし、社会学のほうの書庫と合わせれば、基本的なものはだいたい手にすることができた。
目当ての論文が自分の大学になくても、心配はいらない。探し方さえ知っていれば、どのジャーナルがどこの図書館に所蔵されているかはちゃんとわかる。東京周辺は大学がひしめいているので、どこかしらの大学の図書館には必要なものがあるのだ。いちいち自分で出かけていって借り出したり、コピーさせてもらったりするのは面倒だったが、これも経験である。
長崎大にきて、とくに大学院生たちの話を聞いて思うのは、学外との「横のつながり」の無さだ。学会にはいるとか、研究会に出かけていくとか、そういう外部とのつながりが人脈を広げ、そこから受ける刺激があらたな研究への活力を生む。そういう「つながり」の発掘は、長崎という辺境の地で専門的な勉強をしようとする学生にとっては、根源的に重要なのだ。東京や大阪、京都や名古屋のように、メジャーな大学がひしめく大都市とは異なって、長崎は地理的には中央とは隔絶された、特異な大学環境を形成してきたと言える。そんな環境にあって論文を書き続けるためには、大都市に住まう研究者以上に、しっかりとアンテナを張りめぐらしていなければならない。
さて、私のもう一つのポリシー(あるいは教訓)であるところの「論文は一気に書くに限る」からすると、この先1ヶ月少々、実質1ヶ月のあいだに原稿用紙30枚分を書くというのは、けっして悪条件ではない。じつはまだ長崎での生活パターンと時間配分が安定していなくて、その点から言うと不安はある。かつてのように、電車のなかで移動中にパソコンを広げるなんてチャンスは長崎にはないし、ドトールも職場からは遠い。睡眠時間は多少は短い方が良いのだが、ここでは、強制的に睡眠時間を減らすような外在的要因があまりに少ない。
生活改善と環境変化への適応、そして学問へのアンテナの張り直し。この辺が、この3月末までに私がやらなければならないこと、というふうになるだろうか。
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