学術論文
2009
"Situating the Banna: An Ethnographic Description of Ethnic Identification. " In Nailo-Ethiopian Studies, Vol.13, pp.47-62.(学術論文・査読付)
民族紛争をエスニック・アイデンティティの動態と複層性という面から捉え直そう、という目論見からはじまりました。「Multi-Layered Identification」という仮タイトルで執筆を始めたのが2006年の春。その後、春休みに書き進める、新学期が始まってアウト、夏休みに再開、新学期が始まってアウト……という断続的な執筆により、最終的には民族紛争は奥に引っ込みました。いわゆるエスニックなアイデンティティというものが、空間、歴史、クランといった多様な自己同一化の重ね着(multi-layered)から構成されており、それすらもあたかも服を着替えるごとく(あるいはさらに重ね着するごとく)容易に変更される。にも関わらず「安定した民族アイデンティティがあるように見えるのがなぜか」ということを考えた論文です。自分で言うのも何ですが、この論文のなかで最も役に立つのはクラン名分布を整理したところでしょうか。
2008
「日本−アフリカ交流史から「日本」を照射する:江戸期〜昭和初期の長崎を舞台にして」『アフリカ研究』72: 53-59(学術論文・査読付)
ここからダウンロードできます。
2007年の5月に長崎で開催された日本アフリカ学会の学術大会で企画したシンポジウム「アフリカと日本の出会い:長崎出島を介して」を元にした特集の冒頭に配置された論文。シンポジウムの企画も、登壇者へのお願いも、みんなやるという、我ながらよく活躍したものだ、という思い出の一品。掲載されたのがアフリカ学会のジャーナルだというのに、なんと、参考文献がすべて日本語だけ、という、私としても未経験の分野だった。企画しているときも、書いている間も、すごく楽しかった。
2005
「西南部エチオピア、戦いを介した民族間関係」『社会人類学年報』31: 169-190(学術論文・査読付)
『社会人類学年報』は東京都立大学(首都大学東京、通称クビ大)の社会人類学研究室が編集し、弘文堂が出版する学術誌だ。毎年一冊ずつ出版するというのが続いて、今回で31号となった。年報のウリは、論文や調査報告の他にテーマごとの研究動向、過去の偉大な研究者を紹介する「人と学問」、そして社会人類学関連文献一覧である。大学院生はみなこの編集に何らかの貢献をすることが期待されていて、私も修士一年生だったころには編集作業にしょっちゅうかり出されていたが、これをやったおかげで、ゲラ校正の仕方や出版の流れを学ぶことができた。ある意味では、将来研究者になろうという学生たちに出版の実務をたたき込む機会を提供していたともいえる。
この学術誌は、原稿を依頼するが査読もするというちょっとかわった編集プロセスを持つ。ふつう依頼原稿といえば、編集者の側で文句をつけるということはしない。しかし年報はそれをやるのだ。だから依頼して書いてもらった論文でも、最終的にボツになってしまうという、世間的にはあまりよくない(しかし誌面のレベルを維持するには不可欠な)ことが起きてしまう。
私のこの論文は、とある事情で急に依頼を受け、実質1ヶ月というハイペースで書き上げた。元になったのは博士論文第8章の第1節だが、原型をとどめていない。若い査読者たちは私の原稿の欠陥を鋭く見抜き、改稿を迫った。もちろん私も能力の限りを尽くしてよい論文にしようとつとめた。
論文自体はエチオピア南部の戦争民族誌研究の動向を私なりの視点でまとめ、今後の方向性を模索する内容だ。書いているときには気がつかなかったが、刷り上がったものを読んでみると、「理系と渡り合っていく方途をさぐる文系」的な位置取りが妙にににじみ出てくるものになっている。環境科学部に在籍していなかったら、こういう論文にはならなかっただろう。
2003
「異文化のプレゼンテーション:エスノグラフィー・ミュージアム・テレビジョン」,『横浜美術短期大学教育・研究紀要』1,pp.76-79(学術論文)
そんなワケで2002年はほとんど博論に費やされたので、ほかにはほとんどなにも書いていない。唯一「論文」といえるのが、この「異文化のプレゼンテーション」。この年の9月に、美術短大でこのテーマで講義したので、そのままそこの紀要に載せてもらった。題名の9割方がカタカナという珍しいもの。エスノグラフィーとミュージアムの部分は先行研究のおさらい、一応オリジナルなのはテレビジョンのところだけ。
2001
「武装する周辺:エチオピア南部における銃・国家・民族間関係」,『民族學研究』65(4), pp.313-340(学術論文・査読付)
抄録(和文・英文)の閲覧
じつは私は1997年以降、論文といえるものをほとんど書いていなかった。1998年と99年はそれぞれ半年ずつエチオピアに行っていて、帰国すると仕事をするという生活だったのだ。2000年一月に、久しぶりに都立大の研究会で発表することになり、銃をとりあげたのがこの論文のもと。その後、都立の大塚和夫先生とこまかい検討を重ね、『民族學研究』に投稿したところ一発で採用された。
さすが季刊の学術誌、載ると決まればすぐに出版の運びとなる。一応「巻頭論文」だが、特集以外の論文がひとつしかなかったのであまり自慢できない。のちに日本ナイル・エチオピア学会の受賞論文となったし、タイトルをそのままに内容を拡充して、博士論文に組み込んだ。
2001
「教育をめぐる政治と文化:エチオピア南部における紛争事例を中心に」,『アジアアフリカ言語文化研究』62号,pp.165-200(学術論文・査読付)
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英文抄録の閲覧
しばらく学界から遠ざかっていたこともあって、すこしは名前を売ろうと、私にしては珍しく2000年春には2つもの学会で発表をした。秋にはアディスアベバで開かれた国際学会にもいって発表した。これらはいずれもバンナの教育問題にかんするもので、それらがこの論文に結実した。原稿用紙に換算して100枚を超える大作になったが、東京外大のこの紀要には枚数制限がなくめいっぱい書かせてもらえた。この論文もナイル・エチオピア学会の受賞論文になった。思えば2001年はマスターピースが2つもでた、実り多き年だった。
(後日記)この論文はその後、引用もしくは参照されることが比較的多い。明石書店から出版された『エチオピアを知るための50章』(岡倉登志編)の第12章ではこの論文の内容が大幅に紹介されている。アフリカの教育研究はえてして制度の研究が多く、こうしたケース・スタディーが不足していることもひとつの理由だろう。本論文には英語版もあるが(2001年に国際エチオピア学会で発表)、その発表草稿にもいくつか問い合わせがあった。
2000
On The Paternity and Legitimacy of Children in an Agnatic Society: A Case from the Banna of Southern Ethiopia. Journal of Nilo-Ethiopian Studies Vol.5/6, pp.25-37(学術論文・査読付)
1996年発表の論文を英語化したうえ、資料を付け加え、論旨もだいぶあらためた。私の英語論文第2号。学会の論文集に掲載されたのだが、諸事情で出版されるまで2年以上かかった。のちに博論の一部になった。
1997
「語られる民族と『われわれ』の類型化:エチオピア南西部バンナの首長筋の起源伝承の分析より」,『アフリカ研究』51,pp.51-68,(学術論文・査読付)
修士論文の中から、ビタの起源伝承を分析してバンナ社会の自画像の描き方を問題にした論文。『民族學研究』と『アフリカ研究』と、どちらに投稿しようか迷ったが、内容から見て『アフリカ研究』のほうを選んだ。査読者2名からのコメントがついたが、そのうち1名は「優れた論文とは言えない、が、載せてもよい」と言ってくださった。おかげでわずかな修正で掲載してもらえた。いま思えば本当にまとまりのない論文で、「書くのに時間がかかりすぎた論文は出さない方がいい」という教訓を引き出した。投稿した時点で情熱が冷めてしまっていたとも言える。まったく話題にも評判にもならなかった。
1996
「エチオピア南部バンナにおける性と結婚:父性と嫡出性をめぐる人類学的デッサン」,『社会人類学年報』22,pp.171-186(学術論文・査読付)
都立大学の松園万亀雄先生のゼミで、婚外性交やら嫡出子やらレヴィレートやらをめぐる勉強をしていたときに書いたタームレポートが前身。もちろん松園先生の厳しいコメントがついた。ちょうど都立大学の『社会人類学年報』に30枚分の枠があったので、そこに投稿することにした。このときの『年報』については、自分が論文を書いたことよりいろいろと編集作業をしたことのほうが思い出深い。私が最初から最後までちゃんとかかわった『年報』はこれっきりで、貢献度が足りないせいで、これ以降『年報』からお声がかかったことはない。内容については、何人かの方々からコメントをいただけた。これらのコメントのおかげで、のちに英語版を作るときに追調査をしたり、論旨を変更したりできた。K先生、T先生、ありがとう。
1995
「エチオピア西南部オモ系農牧民バンナのマーケット活動」,『大阪外大スワヒリ&アフリカ研究』 6,pp.83-101(学術論文)
自分で持ち込んだのか、はたまた執筆を依頼されたのか、いまとなってはよく思い出せないが、とにかく大阪外大の紀要に載せてもらえた論文。いちど民族学会で発表してから文章化した。バンナの人びとのマーケット活動には最初のフィールドワーク中からずいぶん注目していて、それなりにデータを集めていたのだが、結局、こういう経済的な問題にアプローチするときのデータの取り方を知らず、中途半端な資料から地域経済のローカルネットワーク論を展開するというハンパなものになってしまった。この論文に興味を示してくれた人は皆無に近い。しかし、私にとってははじめて余所さんのものに載せてもらえた論文で思い出深い。のちに博士論文の核のひとつとして成長した。
学位論文
2003
「アイデンティティとしての「周辺」:エチオピア南部における近代の物語」,東京都立大学人文学部(博士論文),331 pp. +、
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- 審査委員による審査報告書(外部リンク、PDFファイル)
博士論文なんて書くつもりはなかった。だが、世間ではどんどん重厚な博論が生産され、数多くの博士が誕生し、分厚い民族誌が出版されている。おまけに博士号がないと就職もおぼつかない。そんな事情から、しぶしぶ取り組んだ。実質的な執筆期間はまる10ヶ月。
この執筆は本当に苦しかった。内容が決まらないとか筆が進まないとかいう苦しさではなく、単純に時間が足りなかったのだ。忙しくて時間がない、貴重な時間を無駄にできないプレッシャー。痩せもせず、脱毛もなかったが、入眠障害に見舞われて、薬を飲まないと寝付けない生活が続いた。最終版の提出は2003年2月。2月27日の教授会で承認されて、3月末に学位記を授与された。この日だけはちゃんとネクタイを締めて都立大に行った
1995
「部族社会におけるチーフとクラス観念:エチオピア南部・オモ系農牧民バンナのビタに関する報告」,東京都立大学大学院社会科学研究科,86pp.+(修士論文)
最初のエチオピア調査から帰ってきたのが1994年5月。アディスアベバで2ヶ月近い闘病生活を送った後だったので、体重は50キロ台前半にまで落ちてふらふらの帰国だった。その後、病気の正体を突き止め、体力を取り戻すべく静養し、なんとか資料整理にとりかかれたのがもう8月。都立大学の研究会で簡単な報告をしたのが10月末。修士論文の本文は、それから2ヶ月ちょっとで書き上げた。
バンナ社会の「ビタ」という儀礼的リーダーのありようを、新進化主義人類学の枠組みに無理やり当てはめててでっち上げた修士論文だった。タイトルにいまとなっては懐かしい「部族」という言葉があるのは、エルマン・サーヴィスの議論を取り入れたせいだが、これ以降一度も使っていない。その後、内容の一部を何分割かして小さな論文のかたちで発表。ビタの系譜と神話を分析してバンナ社会の成り立ちを考えるなんてあたり、この論文のそもそもの発想が20世紀前半のドイツ民族学のアタマをそのまま受け継いでいる。
単行本(共著)
2009
Resistance and Bravery: On Social Meanings of Guns in Southwest Ethiopia. In Schlee, G. and E. Watson (eds.) Changing Identifications and Alliances in North-east Africa::VOLUME I: Ethiopia and Kenya. Oxford: Berghahn Books.(共著)
2001年にドイツのHalle/Saaleにあるマックスプランク社会人類学研究所にて開催された国際ワークショップの総決算。日本語論文「武装する周辺」のデータを用いて、議論の脈絡をより一般化させた内容になっている。
2006
「意味で満たされた空間:環境人類学の布置をめぐる素描」『井上義彦先生退官記念論文集:東西文化會通』學生書房(台湾)、pp.539-552(共著)
文化環境講座の井上先生が定年退職されるにともなって出版された論文集。〆切がエチオピア渡航直前で、かなり慌ただしくまとめた。長崎大にきてから担当している「環境人類学」について、そもそも環境人類学とはなにか、どのように位置づけられるのか、いかなる役割を担うのかを考えた。海外出張中だったので自分で校正できなかったから、文中に怪しいメモ書きが残されたままだったりして、完成度については不満だらけである。
出版は、当初は国内の某有名出版社からということになっていたのだが、最後になって台湾の出版社からでることになった。そのせいか、日本語の版組がこなれていないし、掲載されている論文も三分の一は中国語。販売価格は1000元。日本の書店に並ぶことはないだろうし、できればあまり読まれたくない文章だ。
ただ、今後のための勉強にはなった。発展編を用意して、然るべき時期に、しっかりした内容でどこかに発表したい。
2005
「「野生の宝庫」の行く末」 福井勝義編『社会化される生態資源:エチオピア 絶え間なき再生』京都大学学術出版会、pp.151-178(共著)
1992年から参加している京都大学の科研プロジェクト(通称「福井隊」)の現メンバー9名で書いた本、「社会化される生態資源」の第4章。本の企画から完成までまる4年かかった、難産の末の出版である。最初のドラフト版を書き上げてからも、本全体のコンセプトの変更・修正などにともなって、3回くらい書き直した。それにともなってタイトルも「狩猟文化の創造」「ハンティングの楽園から野生動物の枯渇へ」「野生の宝庫の行く末」と変化していった。本のタイトルもなかなか決まらなかった(私は一度「同情するなら牛をくれ」というのを提案したことがある……冗談だけれど)。いっしょにはじめた頃は「若手の集団」だった執筆者集団が、いまでは平均年齢で「40」の大台を超えてしまった。
2005
「ある成人儀礼のドラマ化:「現地の案内人」から「表象の橋渡し」へ」 飯田卓・原知章(編)『電子メディアを飼いならす:異文化を橋渡すフィールド研究の視座』せりか書房、pp.32-53 (共著)
2001年にNHKの「地球に好奇心」の番組制作に加わり、バンナで取材をした時の回想エッセイを書いたのが2002年。その内容をより具体的にして研究会で発表したのが同じ2002年の3月。この研究会を組織していたのが国立民族学博物館の飯田卓さんで、この本『電子メディアを飼いならす』は、その飯田さんと、静岡大の原さんが編集したもの。
人類学者が文章によって異文化を記述する作法と、テレビ番組が映像とナレーションによって描き出す作法にはどのような違いがあるのか、それを、自分の体験と「地球に好奇心」の制作過程の分析を通して明らかにしようとした。原稿が遅れに遅れて、編集者のお二人やせりか書房の舟橋さんをたいへん待たせてしまった一作。
1999
「火がとりもつ住まいの縁:東アフリカ、エチオピア南西部の農牧社会バンナ」",佐藤浩司編『住まいの人類学 2 住まいにつどう』学芸出版社,pp.173-188(共著)
まだ横浜に住んでいた頃に突然、編者の佐藤さんから執筆依頼の電話がかかってきて、その場で引き受けてしまった文章。ネット上で執筆者同士が意見を公開し、原稿を提出し、というスタイルで、この過程は結構楽しかった。全40名もの執筆者のうちで私は3番目くらいに草稿を提出したが、ほかの人たちが遅くて、出たのはだいぶたってからだった。佐藤さんの原稿チェックは細かくてしんどい面もあったけど、ずいぶんと勉強になった。最終的に全面書き直しをした最終章が気に入っている。
1998
「ドンザへの道のり:バンナにおけるふたつの年齢制度をめぐって」,『高橋統一先生古希記念論文集 性と年齢の人類学』岩田書院,pp.289-310(共著)
東洋大学の高橋統一先生の古希記念論文集になぜ私が寄稿したのだろう? 記憶をたどってみると、その2年前に私は東洋大学の人類学研究会で発表をし、その発表を高橋先生もお聞きになっている。東洋大に呼んでいただいたのは、たしか学会の地区懇談会で知り合ったIさんだ。この不思議な縁はその後もずっと続いている。論文そのものはタイトルの通りで、ウシの背渡りの儀礼を初めて活字で紹介した。一筆書きのように一気に書き上げたので、論文らしい厳密さはないが、私はこの論文の「ノリ」が気に入っている。
学会発表予稿(Proceedings)
2005 (Ken Masuda and Sebastian Sainoo-Fuller)
Indigenous Water Resource Management in an Agro-Pastoral Area in Northeast Africa: A Perspective of Environmental Anthropology." In Proceedings of The 21st Century Asian Conference on Environmental Issues (ACEI 2005), Nagasaki University. pp.165-179(共同発表)
長崎大学と、台湾の淡江大学が共同で開催した国際シンポジウムで発表したもの。持ち時間のうち、はじめの3分の2を私が話し、残りの時間をセバスチャン・フラーが、主にGISに焦点を絞って話した。セバスチャンと知り合って「一緒に研究やろうぜ」と意気投合したのが一年前。実際に具体的なことに着手したのが2005年の4月。ちょうどその頃にこの国際シンポジウムの原稿募集がかかったので、中身も決めずにタイトルだけ提出したのがこの論文と口頭発表。(一応、プロシーディングズに論文を載せたのでこのページにも「論文」として掲載しているけれど、査読も何にも無しなので、研究業績としてはカウントしにくい)。2005年9月の短期間にバンナで集めた資料にもとづいたもので、研究成果というよりは「これから二人でこういうことやります」という宣言というほうがいいだろう。
発表はすこぶる順調にいって、評判はよかったと思う。個人的には、こんなにリラックスして英語発表したことはない。 やっぱり自分のテリトリーで発表しているという強みか? 私も彼もともに忙しいのだが、わずかな空き時間を見つけては、コンピューターを前にして分析をあれこれ試したのがひじょうに有益な体験であった。水資源研究はこれでついにスタートを切った。
1997
Histories and Ethnic Identities among the Banna:An Analysis of the Bitas' Oral Histories.," K. Fukui, E. Kurimoto and M. Shigeta (Eds.) Ethiopia in Broader Perspective: Papers of the 13th International Conference of Ethiopian Studies, Vol.2, Shokado book Sellers. pp.456-470
1997年12月に京都で開かれた第13回国際エチオピア学会で発表した論文。生まれて初めて英語で論文を書き、英語で口頭発表をした。内容はバンナ各地で収集した伝承の分析で、修士論文ともすこし重なった。エチオピア研究者ばかりがあつまる学会ということもあり、資料をまとめて提示するという点に絞り込んだということもある。英文は原稿の段階でかなりの修正が入ったが、おかげで勉強になった。いまでは恥ずかしくて、もう読めない。
調査報告、書評など
2008
「書評 Yukio Miyawaki, "Imaginations in the Periphery: State Rule and Resistance of the Hor in Southwestern Ethiopia」 Nilo-Ethiopian Studies, vol.12, pp.75-76
2007
「書評 北村皆雄・新井一寛・川瀬慈『見る、撮る、魅せるアジア・アフリカ! 映像人類学の新地平』」『アフリカ研究』71: 162-164(書評記事)
2006
「書評 宮脇幸生『辺境の想像力:エチオピア国家支配に抗する少数民族ホール』」『アフリカ研究』69: 193-195(書評記事)
2004
「『殺し』を尊ぶ文化」『季刊民族学』109号、pp.41-47(エッセイ、写真)
私が10年あまり関わってきたエチオピア研究プロジェクトと『季刊民族学』編集部とのタイアップ企画「人はなぜ戦うのか」のために書いた文章。バンナの人びとの中に明確に見られる「殺しを賞賛する」価値観を、狩猟、殺人、略奪といったさまざまな側面から考えてみた。それにしても、ここ数年バンナに行っていないので、書きながら「もっと資料が欲しいなあ、エチオピアに行きたいなあ」ともどかしく思うコトしきりだった。ほかに4人の仲間がそれぞれのフィールドのことを書いているけれど、彼らの書いたものの方が断然面白い。私のなどより、そちらを読んでほしい。
2004
「銃はどこから来たか」『季刊民族学』109号、pp.41-47(エッセイ、写真)
同じ『季刊民族学』の特集に付録のようなかたちで書いた見開き2ページの文章。エチオピアに銃がもたらされた経緯、それがどのようにして南部に流れ込んできたのか、その背景だけを淡々と書いた。基本的には2001年の「武装する周辺」に書いたことの簡略版だが、その後の調査ですこし分かってきた銃弾(実包)の「国籍」についてもすこし補足した。
2003
The Banna, Encyclopaedia Aethiopica Vol. 1(A-C), Wiesbaden: Harrassiwitz Verlag. pp.466-467(事典記事)
ドイツはハンブルグの大学が出版を進めてきたエチオピア辞典・全4巻の第1巻に収録。1998年ごろに依頼されて、原稿を提出し、いちど校正をして、そのまま放置されたと思っていたら知らないうちに出版されていた。私もコピーしか持っておらず、実物も見たことがない。1950年代初頭にバンナで調査をした民族学者イェンゼンの撮った写真が貼付されていて、これはうれしい。
2001
「男として、牛の背を渡る:エチオピア南部、バンナの成人儀礼」,『季刊民族学』95号, pp.4-33(エッセイ・写真)
いつかは載せたいと思っていた『季刊民族学』。とある方に編集部に紹介してもらうと、「写真300枚を持って来てください」といわれ、神楽坂の編集部(当時)にお邪魔した。写真を吟味してもらったり、原稿の書き方の哲学みたいなものを教えてもらったり、このフォト・エッセイをまとめる過程でたいへんな勉強をさせてもらった。おまけに30ページもの破格の紙数をいただいてしまった。この号を持って『季刊民族学』の東京事務所は閉鎖になってしまった。ウシの背渡りの儀礼なのに、私の撮った中にはその場面の決定的なコマがなく、その穴を埋めるために、あの野町和嘉さんが写真を貸してくださった。原稿をまとめるために編集部からその野町さんのポジを借り、自宅のスライドプロジェクターで投影したときの幸福を忘れることはできない。
2001
「書評 Donald L. Donham "Marxist Modern: An Ethnographic History of the Ethiopian Revolution". 1999」,『アジア経済』42(6)、アジア経済研究所, pp.89-92(書評)
アジア経済研究所からの依頼で書いた文章。どの本を書評するか迷ったが、ちょうど出たばかりで読みかけだったこの本を推して、すんなりと了承された。書評自体はもっときちんとかけたに違いないと反省しきりだが、英語の本をまるまる一冊読む機会を与えていただいたことには、とても感謝している。書評を書くことは、じつに良い勉強になる。
2000
「生業経済とフード・インセキュリティ」,『JANESニュースレター』9 日本ナイル・エチオピア学会 ,pp.13-17(調査報告)
1999年12月にエチオピアから帰国し、直後に都立大学に出向いたところ、京都大学のM先生が集中講義に訪れていた。その場で、原稿の依頼を受け、2週間後に脱稿した。エチオピア南部の雨不足と、ひとびとが食糧獲得に奔走する姿を、食料援助の実態と関連づけて論じたもので、エッセイでありながら、問題意識をかなりはっきりと打ち出すことができたと思う。これも16枚程度の長さだし、どうも私は、このくらいの長さの軽い文章を書くのが好きらしい。
1999
「『国民食』インジェラと食い物の価値」,『JANESニュースレター』8 日本ナイル・エチオピア学会,pp.15-17(調査報告)
1998年の調査から帰って、なんとなく書き始めたら一編のエッセイが出来上がった。それをそのまま編集部におくって、そのまま掲載されたのがこれ。エッセイなのに、論文みたいな感じがあって、それなりの反響を得た。私としてはのちのちに響く重要な視点を含んだ文章で、ひょっとすると「武装する周辺」から博論にいたる芽は、このエッセイによって芽吹いたのかも知れない、と思うことがある。
1998
「エチオピア/エリトリア紛争の印象」,"『Monthly アフリカ NOW』42号、 アフリカ日本協議会,p.12(調査報告)
1998年、私が滞在している間にエチオピアは隣国エリトリアとの国境紛争に突入した。これはその当時のエチオピア国内の様子を書いて、とあるNGOの事務局宛に送った長いレポートを原型とする。編集によってかなり短くされてしまったうえ、一般の人にはまず目に触れない媒体に掲載されたので、いずれ目に付きやすいところに発表しようと思っている内に、戦争は終わり、この文章の賞味期限も切れてしまった。
1997
「評判の悪い首長:ベザビ・ブラ殺害をめぐるさまざまな語り」『アフリカ・レポート』24、アジア経済研究所",pp.16-19(調査報告)
こちらからダウンロード可能です。
アジア経済研究所からの依頼で書いた文章。原稿用紙16枚程度という紙数は、私には案外向いているのかも知れない。ベザビ・ブラという「困った人」の死について、人びとがどんなことをいっていたかを分析したもの。後に博士論文のなかに組み込んだ。
エッセイ、その他の記事
2011
「セベの木陰:バンナのボリ村」『旅行人』165号
2010
「社会人類学のフィールドワーク(特集「現場に飛び出せ! 躍動するフィールドワーカーたち 第1回」)『CHOHO』(長崎大学広報誌)vol.32、pp10-12(2010年7月1日)
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2010
「知れば知るほど、人間社会ってうまくできている。その発見が、ものすごく楽しい。(人クローズアップ)」『CHOHO』(長崎大学広報誌)vo.31、pp7-9 (2010年4月1日)
Full Text (PDF)
2010
「書かれなかった原稿:福井勝義先生と革命前後の新聞」『JANESニュースレター』18、p.8(2010年3月31日)
2008
「旅とフィールドワーク:発見する快楽について」『文化環境研究』(長崎大学環境科学部文化環境講座)、pp.48-49
2007
「アディスアベバのエチオピア式近代化」 『旅行人』2007年1月号、p.5
「アフリカ大陸の裂け目で暮らす人々:チャウ・バヒルの町(アルボレ)」 『旅行人』2007年1月号、p.10-11
「タッジベットからエチオピアの朝が始まる:カイ・アファールのタッジベット」 『旅行人』2007年1月号、p.12-13
「深く南部へ:もうひとつのエチオピア」 『旅行人』2007年1月号、p.66-79
「アビシャ・ファランジが帰ってきた!」 『旅行人』2007年1月号、p.82-86
「エチオピアの味 インジェラ」 『旅行人』2007年1月号、p.87
「エチオピアの歴史」 『旅行人』2007年1月号、p.88-89
「エチオピア・ブックガイド」 『旅行人』2007年1月号、p.96-97
旅行人No.154(2007年1月号)のページ
2006
「北東アフリカ、バンナの旅」(世界を歩く5) 『理念と経営』(コスモ教育出版)2006年6月号、pp.37-40
2006
「「隔絶された土地」の現在(営みの地球25:渓谷の少数民族エチオピア)」 『DAYS JAPAN』vol.3 No.4(2006年4月号)、pp.56-61
2004
「高島賞受賞記念寄稿」,『JANESニュースレター』12 日本ナイル・エチオピア学会、pp.26-28
2004
「新刊紹介:大塚和夫『いまを生きる人類学』、大塚和夫(編)『現代アラブ・ムスリム世界』」、『JANESニュースレター』12 日本ナイル・エチオピア学会、pp.44-45
2003
「アビシャ・ファランジがやってきた!」 蔵前仁一(編)『人生を変える旅』幻冬舎文庫、pp.74-100(再々録)
人生を変える旅(Amazon.co.jp)
2002
「報告 Conference ""Changing Identification and Alliances in North-Eastern Africa」,『JANESニュースレター』11 日本ナイル・エチオピア学会 ,pp.36-38(報告記事)
2002
「テレビ語でかたる」,『JANESニュースレター』11 日本ナイル・エチオピア学会 , pp.29-33、
2001年に制作されたNHK「地球に好奇心」の取材秘話と、「テレビ番組を作ること」にまつわる考察をまとめた文章。取材が済んで、帰国する途中の機内で書いた。これがきっかけとなり、のちにメディアについての研究に足を突っ込むことになる。
2002
「新刊紹介:嶋田義仁・松田素二・和崎春日(編)『アフリカの都市的世界』」,『JANESニュースレター』11 日本ナイル・エチオピア学会、p.41
2001
「報告・第14回国際エチオピア学会」,『JANESニュースレター』10 日本ナイル・エチオピア学会 ,pp.22-25
2001
「新刊紹介:大塚和夫『近代・イスラームの人類学』、遠藤保子『舞踊と社会:アフリカの舞踊を事例として』」,『JANESニュースレター』10 日本ナイル・エチオピア学会 , p.28, 30
2000
「アビシャ・ファランジがやってきた!」,『旅行人傑作選2 世界が私を呼んでいた!』旅行人,pp.112-121(再録)
旅行人傑作選2 世界が私を呼んでいた(Amazon.co.jp)
1999
「エチオピアの酒あれこれ」「エチオピアの食事情」「コンソより西へ」「アムハラ語簡単会話帳」他,"曽我裕子編『旅行人ノート2 アフリカ』(改訂版、2nd Edition)、旅行人、pp.108-124
1999
「アイスズウを待ちながら」,『旅行人』3・4月号、pp.20-23
エチオピアの交通事情と、それにからんだ「あれこれ」をまとめた文章。当初はかなり長い文章だったが、『旅行人』に掲載するためにかなり削った。わりと気に入っている文章だが、あまり話題にならなかった。
1998
「ハマル民族誌映画上映会に寄せて」,『JANESニュースレター』7 日本ナイル・エチオピア学会,pp.61-63
1996
「アムハラ語簡単会話帳」,『旅行人ノート2 アフリカ』旅行人、pp.112-3
1995
「アビシャ・ファランジがやってきた!:エチオピア南部生活誌断片」,『旅行人』4月号, pp.2-8
知人のTさんを介して紹介された『旅行人』という雑誌に掲載してもらった文章。当時の『旅行人』は巻頭エッセイというのにかなりのページを割いてくれたので、こんなに長い文章も書くことができた。この文章はのちに別の本に再録され、2003年に幻冬舎文庫『人生を変える旅』に収録された。私がお世話になったカイ・アファールという町の住人たちのことをセンチメンタルに書いた。評判は良かったと思う。「あれ、読みましたよ」といろいろなところから声をかけられた。
1994
「のんびりした日、『フォト』でのぞく世界」,『JANESニュースレター』3 日本ナイル・エチオピア学会、p.14
とくにこれといっていうことナシ。エチオピアから帰ってすぐに、学会会報の表紙写真の提供を求められ、それについてのキャプションを書いた、というのがこれ。活字になった最初の文章。
テレビ番組制作協力
2001
「少年は牛の背を渡る:エチオピア、"強き男"への旅立ち」地球に好奇心(NHK-BS2), 74分, 2001年10月6日、地球に乾杯(NHK総合),50分, 2001年12月12日(取材協力)
未発表報告など
1998
『エチオピア南部、バンナにおける成人儀礼「アーツァ」の報告:フィールドノートより』,東京都立大学大学院,79pp+,(実習レポート)
1995
『バンナにおけるウシの恵み:乳加工と利用に関する考察』,東京都立大学大学院,13pp+(実習レポート)
1992
『憑きもの筋再考:その形成と存続について』, 成城大学文芸学部, 39pp+(卒業論文)
学会・研究会における口頭発表
2011
「長崎浜町研究事始:地縁共同体としての商店街とその紐帯をめぐる人類学的アプローチ」 長崎大学重点研究課題「持続可能な東アジア交流圏の構想に向けた人文・社会科学のクロスオーバー–––「共生」概念の学際的統合にもとづいて」 第3回月例セミナー、於:長崎大学、2011年10月15日
2011(増田 研・猿渡友希)
Between Friendship and Tensity in Nagasaki, 1894: Japanese-Chinese Relationship and Identification in pre "First Sino-Japanese War" (友好と緊張のあいだで:日清戦争直前期の長崎における日本人-中国人関係) 第七回海洋文化国際シンポジウム「東亞人物的移動與文化的多樣性」、於:台灣大學文學院演講廳、2011年6月10日
2010(増田 研・中原由美子)
「ソマリ社会における母親による子供の健康促進行動:ケニア北東部ガリッサ県の事例」 第19回日本ナイル・エチオピア学会学術大会、於:明星大学、2010年4月18日
2010
「文理融合:希望の朗誦か、学問の発展か」 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所フィールドサイエンスセンター「Fieldnet」研究会、於:長崎大学熱帯医学研究所、2010年1月31日
発表時に用いたスライドを間引いたものがウェブ上に掲載されています(ただし、これだけでは発表内容を推し量ることすら難しいと思われます。)
Fieldnet:長崎合宿ページ
仕掛け人、椎野若菜による報告ページ
2009
「生存をつなぐ共生の三次元:自然・他者・過去」 長崎大学環境科学部シンポジウム「共生空間を生きる:自然・他者・過去をめぐって」 於:長崎大学文教キャンパス環境科学部、2009年5月29日
2008
Naturalization of Environment / Environmentalization of Politics.、永続発展興未来想像研究会(淡江大学・長崎大学共催)、於:長崎大学、2008年4月25日
2008
「エチオピアにおける長崎日惠社の活動、1932-33」 第17回日本ナイル・エチオピア学会学術大会、於:弘前大学、2008年4月19日
2007
「アフリカ研究と長崎をつなぐ」 第44回日本アフリカ学会学術大会 公開シンポジウム『アフリカと日本の出会い、長崎出島を介して」 於:長崎ブリックホール 2007年5月26日
2006(増田 研*、足立由起、井上綾香、田中真希、星野千瞳、向香奈子、森美里)
「大村湾南部沿岸における土地利用と社会変化:その基礎資料と問題構制の整備」「大村湾再生:その自然生態系保全と文化的意義の再認識にかかわる総合環境研究」研究発表会、於:長崎ブリックホール(NPOサンスイ機構、長崎大学、大村湾再生研究協議会共催(県民ボランティア振興基金支援事業))
2006
「バンナにおける水資源研究の展望」 第15回日本ナイル・エチオピア学会学術大会、於:南山大学、2006年4月16日
2005 (Ken Masuda and Sebastian Sainoo-Fuller)
"Indigenous Water Resource Management in an Agro-Pastoral Area in Northeast Africa: A Perspective of Environmental Anthropology." The 21st Century Asian Conference on Environmental Issues (ACEI 2005), at Nagasaki University, November 17-18, 2005.
2004
「フィールドとブラウン管のあいだに:ある成人儀礼の物語化過程」九州人類学研究会12月例会(於・九州大学箱崎キャンパス)2004年12月11日
2004
「小火器流通と野生資源の発見:エチオピア南部バンナの事例」資源人類学総括班ワークショップ(於:志ほみや、熱海)、2004年2月22日
2002
「テレビ語でかたる:番組制作の経験から」国立民族学博物館共同研究「日本のマスメディアにおける異文化表象」第3回研究会(於・国立民族学博物館),2002年3月29日
2002
「バンナ・クリスチャン受難史」日本ナイル・エチオピア学会第11回学術大会(於・牛の博物館、岩手県胆沢郡前沢町),2002年4月21日
2001
The Armed Periphery: Memories of Guns and Warfare among the Banna in Southern Ethiopia.,"Conference ""Changing Identification and Alliances in North-Eastern Africa"" at Max Planck Institute for social anthropology(Halle/Saale in Germany).
発表時の論文ドラフト版【PDFファイル】- イギリスのBerghahn Booksから、Gunther Schlee と Elizabeth Watson (eds.) の編集によるChanging Identifications and Alliances in North-east Africa::VOLUME I: Ethiopia and Kenya. の第2章として収録されています。
2000
「コンゴ・ドバイ・クラッシュ:バンナ軍事史ことはじめ」東京都立大学社会人類学研究会,2000年1月28日
2000
「アジールとしての学校と教会」日本ナイル・エチオピア学会第9回学術大会(於・京都文教大学),2000年4月23日
2000
「彼らの人生設計:エチオピア南部の学校教育と伝統的生活」日本アフリカ学会(於・広島市立大学),2000年5月28日
2000
Education in Cultural Conflict: A Case from the Banna in Southern Ethiopia.,"14th International Conference of Ethiopian Studies, Addis Ababa University. ",2000年11月7日
1997
Histories and Ethnic Identities among the Banna:An Analysis of the Bitas' Oral Histories, 13th International Conference of Ethiopian Studies, at Sun Flower Hotel Kyoto, Kyoto",1997年12月15日
1996
「エチオピア西南部・バンナ社会の成人儀礼「アーツァ」」日本ナイル・エチオピア学会第5回学術大会(於・東京都立大学),1996年4月21日
1996
「LEAP ACROSS THE CATTLE :男らしさと父系制をつなぐロジックをめぐる試論」白山人類学研究会第67回月例会(於:東洋大学),1996年11月1日
1996
「南西部エチオピア歴史民族誌・序奏:アムハラ化、あるいは辺境における未開と文明」日本アフリカ学会関東地区例会(於・慶応大学地域研究センター),1996年12月20日
1995
「チーフ・クランと半族構造:オモ系農牧民バンナのビタについての報告」日本ナイル・エチオピア学会第4回学術大会(於・宮城学院女子大学),1995年4月23日
1995
「ローカル・ネットワークと乾季の食糧獲得戦略:エチオピア西南部オモ系社会の事例から」日本民族学会第29回研究大会(於・大阪大学),1995年6月4日
1994
「調査報告:西南部エチオピア・バンナのフィールドワークより」東京都立大学社会人類学研究会(於・都立大),1994年10月28日
講演
2010
「学祭的研究あるいは文理融合は必要、だけれどもけっこうしんどい」、海外学術調査総括班フォーラム海外学術ワークショップ「共振するフィールドワーク:フィールドサイエンスの可能性」 於:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2010年6月26日
2010
「移動を余儀なくされる人びと:東アフリカの文脈の中で「故郷」とはどこなのか」、長崎大学学術セミナーin Tokyo「アフリアの角・難民の「文脈」」、於:キャンパス・イノベーション・センター(東京)、主催:長崎大学国際連携研究戦略本部、2010年6月19日
2009
「生き残ることの素晴らしさ:エチオピア南部の暮らしのなかから」 国立科学博物館・発見!体験!先端研究@上野山シリーズ「熱帯感染症と「たたかう」長崎大学 アフリカの自然・開発・そこに住む人々-地球の家族を救う国際協力- 講演、於:国立科学博物館、2009年3月8日
2008
「フィールドワークで問題を発見する:インタビューの作法を中心に」、長崎大学第22回FD「課題探求・解決型授業の支援」、2008年8月25日
2007
「フィールドワークで問題を発見する:インタビューの作法を中心に」、長崎大学第21回FD「課題探求・解決型授業の支援」、2007年8月31日、9月12日
2006
「フィールドワークで問題を発見する:インタビューの作法を中心に」、長崎大学第20回FD「課題探求・解決型授業の支援」、2006年8月31日、9月20日
2005
「辺境から眺める世界:エチオピア南部の文化人類学」、長崎大学熱帯医学研究所・RECTID特別セミナー、2005年6月13日
2005
「フィールドワークにおける観察とインタビュー」、長崎大学第18回FD「課題探求・解決型授業の支援」、2005年3月10-11日
当日用いたパワーポイントのファイルをもとに、Web用ファイルを作りました。